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朝ドラ『おむすび』 神戸に移ってとてもつまらなくなってしまったところ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:西村尚己/アフロ)

『おむすび』糸島から神戸へ移ってなくなったもの

朝ドラ『おむすび』の舞台が36話から神戸に移った。

自然が消えた。

1話から35話までは福岡の糸島が舞台で、糸島の雄大な風景がたびたび出てきていた。

雄大な風景と高校生たち、その姿にひそかに感銘を受けていた。

糸島の雄大な風景と高校生

たとえば13話(10月16日放送)。

書道部の憧れの風見先輩(松本怜生)が、ヒロイン結(橋本環奈)が持っている「野菜染め」の小物に目をつけて、彼女の家にやってくる。

祖母(宮崎美子)がその場で玉葱の皮を煮込んで野菜染めを実演してくれる。

そのあと、自転車を押して帰る風見先輩を結が近くまで見送るシーンの夕景が見事だった。

田園風景に山。たなびく雲。おちゆく夕陽が、すべてを朱に染めていく。

平穏無事な生活をすることが夢という結

話している内容は、高校生らしいものである。

こんどの大会ではこの野菜染めの布に文字を書きたいという話から、自分の夢を語った先輩は「米田の夢は?」と聞いてくる。

結は少し困って「農家を継いで、平穏無事な生活をすること、ですかね」と答える。

先輩はちょっと戸惑って「そうか」と答える。やさしい先輩である。

じゃここで、とヘルメットをかぶって自転車を漕ぎ出す後景の夕陽があまりに美しい。

弥生時代から同じように美しかった風景をバックに

先輩が語った夢に対して、自分には明確な夢を持たないことに対して、内心忸怩たるおもいを抱くヒロインのうしろに落ちていく夕陽。

おそらく弥生時代から同じように美しかったのだろうと、このシーンを見ていて、ふとおもってしまった。

主人公は少しもの悲しくはなるが、大きな失意があったわけでもなく、なんとなく寂しいという心情の展開で、圧倒的な自然美が映し出された。

なんでもないシーンなのに、背景が見事に美しいというのがこのドラマ『おむすび』のすぐれたところだと、このときおもった。

13話のこのシーンが忘れられない。

ギャルの活動をやめると言ったシーンの美しさ

もうひとつ挙げるのなら、17話(10月22日放送)。

戻ってきた姉(仲里依紗)と喧嘩して、ヒロインはいつもの海辺にやってきて、海を見つめてひとりたそがれている。

そこへギャル4人組がやってきて、博多ギャル連合の活動をやめる、いままでごめんねと告げて、去って行く。

夕陽が沈んでいき、ギャル四人と結の自転車がシルエットとなっている。

これまた美しい。

『おむすび』糸島編の醍醐味

そして、ここもまた、さほど重要なシーンではない。

活動をやめると言ったけれど、博多ギャル連合はその後も続くし、さらにメンバーも増えていく。

結は姉と仲直りする。

17話は流れのなかではそんなに重要な回ではない。

でもとても美しい九州の風景を見せてくれた。

こういうところが『おむすび』糸島編の醍醐味であった。

神戸に移って自然が消滅

ところが神戸に移って、自然が消えた。

家は大都市神戸の商店街のなかに移った。

糸島では農家だったが、今度は商店街の理髪店だ。

まわりに自然は見あたらない。

細い川は流れているが、うしろに電車が通って賑やかそうだ。

高台から一望する神戸は霞んでいた

37話でヒロインは彼氏(佐野勇斗)と母に勧められたデートスポットに行く。

神戸の街が一望できる高台に登り、ヒロインも彼氏も、そこからの風景に感心する。

でも、映像は霞んでいた。

神戸の街がかすみがかっているようで、ちゃんと展望できない。

美しい神戸は映し出されない。

ちょっといろいろな意図を感じてしまう。

あれだけ美しく描かれた糸島に対して、いまのところ神戸は商店街を中心とした都会のせまっくるしい片隅ばかりが映されているようにおもう。わざと美しい神戸は出て来ない。見事な夜景も、まだ出てこない。

神戸の街をくっきり映し出さないわけ

神戸の街を霞がからせてしっかり見せないのは、つまりドラマの時代設定が平成19年(2007)だからなのかもしれない。

現代とはいえいまから17年前。くっきり神戸の街を映し出すと、いやそれは平成ではない、とおもわれかねない。

それは神戸の震災から12年経ったころ、という震災からの時間経過も大事にしているから、というのもあるのだろう。

とりあえず第9週まででは、神戸は都会らしいシーンで扱われ、自然の美しさは出てこない。

結の恋人が、高台から一望して、その広大な風景がよかったようで、神戸も好きになった、というセリフがあったが、説得力はなかった。

セリフで説明させている時点でいろいろ苦しい。

豊かな自然の糸島と消費する街神戸の対比

糸島と神戸の対比、というのも明確にしたいのだろう。

糸島はは豊かな野菜や果実をたくさん産出するところであり、風景が雄大で、そしてヒロイン結は農家の娘であった。

でも神戸に移り、結は栄養学を学ぶ。

都市は、食物を生産する土地ではなく、ただ消費する土地だ。

消費地で、ヒロインは「賢い消費」について学んでいる。

神戸に移って失ったもの

舞台が移っただけではなく、ヒロインの立場が、生産者から「賢い消費者(をめざして指導する人)」へと変わった。

ドラマ前半の魅力のひとつであって、美しい自然も消えた。

ただ、糸島の自然は消えたわけではなく糸島に行けば会える。そういう設定に変わった。

地方から都市部へ移って、ヒロインはいろんなものを掴もうとしている。

そして、同時にいくつものを失っている。

そこはわかりやすく暗示されている。

だから神戸編はつまらなく見える

糸島の風景に何度もひそかに感動していたものとしては、神戸の風景は(申し訳ないのだが)とてもつまらない。

そこのところで、つまり風景を楽しみに見ていた(すこし風変わりな者にとっては)『おむすび』はつまらなくなってしまった。

物語がつまらなくなったわけではない。きちんと安定した展開を見せている。

神戸でヒロインは前向きで明るく動き出している。栄養士を目指す仲間との関係も楽しみである。

ヒロインにとって、大事なのは神戸なのか、ひょっとしたら糸島ではないのか、という疑念が湧いてしまって、私は見ていて気になってしまう。

ドラマはどうなっていくのだろうか。

私はとても興味が尽きない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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