NY地下鉄線路に突き落とされたアジア女性の悲劇 ホームドア設置が急務も「なかなか進まない」事情とは
人と電車の接触事故や自殺を防いでくれる駅のホームドア(プラットフォーム・スクリーンドア)。日本の都市部の駅ではあたり前のように見るものだが、ニューヨークの地下鉄駅ではまったく見ない。よって筆者は日本から訪れた人から「これだけ地下鉄網が発達しているのに、なぜ設置されていないのか?」と聞かれることがある。
この記事にある地図でもわかるように、ホームドアの設置はアジア諸国とヨーロッパ諸国で進んでいるようだ。だがアメリカ国内では、ラスベガスのモノレールなど一部の都市以外で目にすることはない。東海岸に至っては空港のエアトレイン駅などでは近年見るようになったが、ニューヨーク市地下鉄(MTA)ではまったく見ない。
突然線路に突き落とされ殺されたアジア女性
ニューヨーク市内では今、市民から駅のホームドアの早急な設置の必要性が叫ばれている。その要望は今月、アジア系女性が線路に突き落とされ亡くなる事件が発生して以降、大きくなっている。
ミッシェル・ゴー(Michelle Go)さん(40)は15日、タイムズスクエアの駅で電車待ちをいていた際、シモン・マーティアル(Simon Martial)容疑者(61)に線路に突き落とされ、侵入してきた電車に巻き込まれ亡くなった。事件前に2人の間にトラブルはなく、突然のことだった。マーティアル容疑者は犯罪歴と精神疾患の病歴があるホームレスだった。この事件は被害者がアジア系であったことから、特にコロナ禍以降に暴力や嫌がらせの標的になりやすいアジア系コミュニティに大きなショックを与えた。
しかし容疑者はゴーさんを殺害する前、別の女性にも危害を加えようとし、この女性がアジア系でなかったことなどから、この通り魔事件はヘイトクライムとはされていない。
24日付のamnyは、MTAの理事会メンバーや専門家から駅のホームドア設置の要望が高まっているとし、他国の地下鉄駅に設置されているホームドアのイメージ写真と共に報じた。
まず試験的な設置からスタートするようだが、その設置が検討されているのは、マンハッタンとブルックリンをつなぐL線の一部(3rdアベニュー駅)になりそうだ。MTAのスポークスパーソンによると、現在は設計段階であり、試験開始の時期、ホームドアの素材、低い柵のようなタイプかそれとも天井までを全部カバーするタイプか、など詳細は明かされていない。
マンハッタンのマーク・レヴィン(Mark Levine)区長は、「突き落とし事件防止のみならず、人々が誤って転落したり物を落としたり、自殺したりすることなどの防止にもなる。長年抱えてきた設置の障壁を克服しなければならない」と、設置の実現に向け意欲を見せた。
NY駅にホームドアが設置されていない理由
MTAのホームドア設置構想は1980年代以降、浮上しては立ち消えしてきた。実現化がなかなか進まないのは、70億ドル(約8000億円)以上とされる費用的な理由もあるが、何より運営開始から117年の歴史を持つ古い地下鉄システムの構造が仇となっているよう。また路線によって走る車両のタイプが異なり*、車両やドアの間隔などが画一化していないことも理由の1つ。ホームドア設置となると、さまざまな構造的な課題を克服する必要がある。
*今月引退した60年代の地下鉄車両R32モデルを含め、15の異なった車両タイプがある(あった)。
NY1が報じた2019年のMTAの調査では、ホームドアは市内で472駅ある地下鉄駅のうち27%にあたる128駅でのみ設置が可能であると結論付けられている(しかも、これはMTAが全車両の種類を統一した場合に限る。また70億ドルの建設費とは、市内の全駅ではなく128駅のホームから天井までのゲートを設置した場合のみに掛かる費用)。
試験運用を経て、将来的に一部の駅でホームドアの運用が開始する可能性はありそうだ。それでも全駅にホームドアを取り付けるのが専門家によって「現状では不可能」「現実的ではない」と言われているのは、古くて脆弱なインフラ設備を抱える都市のさまざまな事情が関係している。
(Text and photos by Kasumi Abe)無断転載禁止