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ベテラン漫才師の大会「ザ・セカンド」で「勝ちきる漫才」とはどういう漫才なのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

漫才の可能性を広げる「ザ・セカンド」

「ザ・セカンド」は、キャリア16年以上の漫才師の大会である。

司会は東野幸治。

2023年が第一回大会であった。

いろんな可能性が広がった大会であった。

準優勝のマシンガンズもよくテレビで見かける

第一回優勝したギャロップだけではなく、準優勝のマシンガンズもテレビでよく見かけるようになった。

「ザ・セカンド」によって漫才世界はあらたに広がっている。

いろんな芸人に夢を与える大会である。

優勝するまで18分の漫才

あらためて昨年2023年第一回の4時間余の放送を見直すと、かなり大変な大会だとおもう。

出場者は8組である。

この時点でベスト8、対決勝ち抜き式なので、ひとつ勝ってベスト4、さらに決勝がある。

優勝するには、3本漫才を見せないといけない。

しかも1ネタ6分である。

M−1は4分なので、その1.5倍の長さだ。

3本合計だと18分。

18分を全力で演じきるというのは、おそろしく体力を使う。

見ものだったギャロップとテンダラーの対決

2023年の一回戦の見どころは、ギャロップとテンダラーの対決であった。

松本人志も、もっとあとで対決させてあげたかったと言っていたおり、つまりネタ1本で消えるのはもったいない2組だとおもわれていた。

対照的な2組であった。

1本で6分押し切る型と、6本で6分駆け抜ける型

ギャロップはハゲ(カツラ)ネタで押しとおした。

6分を1ネタで押しとおすというのは恐ろしい底力である。

いっぽうテンダラーは、まさに手練れの漫才という貫禄であった。

少しずつ軽いつなぎを入れて、次々とネタを変えていった。

変わっていったネタを並べてみると「運命的な出会い」「スカウト」「侍ジャパン」「ビール掛け」「酔い潰れる先輩」「駅伝」、この6つに分けられる。

おそらく1ネタ1分と決めて、6本押し込んだのではないか。すごい漫才だった。

でもギャロップに負けた。

6分1本ネタと6分6本ネタの対決で、1本ネタが勝ったのだ。

しかたがない。

テンダラーがおそらく用意していたであろう残り12本のネタもとても気になった。

6分漫才の乗り切りかた

6分ステージはひと息では喋りきれない。一気には駆け抜けられない。

4分ステージは、息を詰めて見ていたら、そのまま息をするのを忘れて最後まで見ていられる長さだが(実際はきちんと息していますけど)、6分ステージではそれは無理だ。

2度、ときには3度、ギアを入れかえて、べつの空気に変えて、漫才を続ける。

ここもまさに技術の見せどころである。

キャリア16年以上のベテランなら、6分は当然、10分や15分のステージも経験しているはずである。

ただ、賞レースの6分というのはやはりむずかしい。間合いをあけすぎると、評価してもらえない。

わからないようにどう息継ぎするのかも大事なポイントだ。

必ず受けるネタ3本で家が建つ

もう1つは、ネタを3回披露する、というところも難しい。

実際に3回披露できるのは2組だけだが、でもその準備はしておかないといけない。

「必ず受けるネタ」というのは、芸人はそんなに持っているものではない。

いつどこでやっても必ず受けるネタが1つあるだけで、芸人は売れると言われている。

「日本全国どこでやっても必ず受けるネタを3つ持っていれば、家が建てられる」、というのはかつて落語家から聞いたセリフだが、どうやらそういうものらしい。

昭和の芸人の言葉だとおもわれるのだが、いまでもあまり変わっていないだろう。

必ず受けるネタを3つ持っている芸人は、まず、いない。

その状態で、どう3本を繰り広げるか、博打じみた展開も考えないといけない。

その戦略が見えてくるのも、おもしろい。

ちなみに必ず受けるというのは、お笑い好きが集まった東京の大会でも、鹿児島県の老人会の集まりでも、長野県での小学生の会でも、島根の婦人会でも、どこでも必ず揺れるほど沸かせるネタ、というレベルである。

3本なんて、とても持てるものではない。

1ネタで押し切る畏るべき技術

2023年優勝のギャロップは1ネタで6分を押し切るというワザを、3本続けて見せた。

それぞれ「ハゲ」「満員電車」「フレンチ修行」のネタである。

「フレンチ修行」というのも、披露宴での料理は、パンが一番おいしかったわ、と言われがちだ、という1フレーズの漫才で、淀みないボケ(林)の喋りもすごいが、それをフォローして1本で押し切らせたツッコミ(毛利)の技術も凄まじかった。

やはり優勝するコンビは、どこか決定的に違っている。

アドリブで乗り切ろうとする才覚

2023年準優勝だったマシンガンズは、細かいネタを寄せ集めているタイプの展開だから、おそらく最初の2本で受けるネタの大半をぶちこんだのだろう。

3本目はあきらかに得意な小ネタが少なくなっていた。

無理に受けないネタを展開するより、現場の空気を反映したおもいつき発言のほうがいいだろうと判断しての喋りだったとおもわれる。漫才の型から見ればかなり崩れた喋りであったが、でも、見事な判断だったとおもう。

変な間があいてるな、と何度もおもったが、でも同時に大笑いもした。

ちょっとすごい。

どこのバカが賞レースで引き延ばしてるんだよ

あらためて見直すと、マシンガンズのスタイルも見事だったと気づく。

ボケとツッコミという役割分担をやっていない。

二人で喋って、二人で同じネタを重ねて、最後に二人で手を挙げて、同じツッコミセリフをユニゾンで叫ぶ。

言ってる内容を越えて、そのスタイルそのものが面白い。

初見のときにはただセリフで笑っていたが、見返すと、どこまで同時に喋ってるんだよ、というそっちへの努力に感心する。

そしてそれが無意味におもしろい。

「どこのバカが賞レースで引き延ばしてるんだよ、詰めろ詰めろ」と漫才中に反省を口にしていたのが、いまみると大笑いしてしまう。

「ザ・セカンド」で勝ちきる漫才

1つネタで押し切ったギャロップが2023年は優勝した。

これはでもネタの形式というより、自分たちのネタに対する信念の強さだろう。

おれたちはこの型でいけば強い、と信じる力で勝ちきったようにおもう。

マシンガンズが変則の漫才ながら2位になったのも、あきらかに信念の強さだった。

若手の大会だと、着想のすごさで抜きん出ることもあるが、ベテランの漫才は、自信の差によるものだろう。

技術よりも自分を信じる力の差によって、勝ち負けがついている。

それが「ザ・セカンド」のおもしろさでもある。

テレビだからこそ通じるおもしろさ

テレビで見るからこそ感じられるおもしろさがある。

つまり、ちょっと引いた視点から眺めると、よりおもしろく感じられるというところだ。

漫才の喋りを超えた、揺らぎや遊び、とまどいが明確に見えてくる。若手の戦いよりもそこがわかりやすい。

それは16年越えのベテランの戦いだからだ。

悲哀もふくめて、いろんな姿が複層的に浮かび上がってくる。

漫才には本来余計な「うしろにある物語」が、広く見る人を巻き込んでいくようだ。

テレビだからこそおもしろさが際立っている。

もともとの企図からも逸脱しはじめ、それは確実に「M−1」とは違う漫才レースの姿を見せるようになった。

今年も、そして来年以降も、ずっと『ザ・セカンド』が楽しみである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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