【京都市】伏見区 『本能寺の変』で謀反を起こした謎多い「明智光秀」の最後を知る『明智藪』!
「本能寺の変」は、教科書などでもよく出てくるドラマチックな事件。
天正10年6月2日(1582年6月21日)に家臣だった明智光秀が謀反を起こし、「本能寺」に滞在していた主君・織田信長を襲撃した事件のことです。
実際に「本能寺の変」という事件が起こったのは、今の寺町にある「本能寺」ではありませんでした。
此付近本能寺址 石碑
〒604-8231 京都府京都市中京区山田町 油小路 通
現在の「本能寺」では、特別展を行われています。
過去記事参照→『本能寺』で映画「るろうに剣心 最終章」劇中使用「逆刃刀」が展示中!
「本能寺の変」(1582年)のあと、明智光秀は「本能寺」で織田信長を倒し、天下人の座を奪ったのですが、わずか2週間後には中国大返しで戻った羽柴秀吉に、天王山・山崎の戦いにて敗れました。
「三日天下」でしかなかった光秀が坂本城へと逃げる際に絶命したとされる『明智藪』は伏見小栗栖にあります。
そこに足を運ぶと農民(?)に竹藪で槍に突かれて襲われ、落武者狩りにあい致命傷を受けたとされる地を実際に踏むことができます。
運がよければ、現地でボランティア観光ガイドさんが色々と説明してくれますよ!
実際に刺された場所は「ワタ出」と呼ばれましたそう。
脇腹に刺さった竹槍を引き抜いた時に、その弾みで光秀の腹から血と内臓が地面に飛び散り、"はらワタ"が"出た"場所にはその後、竹が生えることはなかったとか。
その後もうめき声のような声が聞こえたりなど怪奇現象が続いたそうです…
謎多き「明智光秀」の謎解きはまだまだ続きますよ!
本経寺・明智藪
住所:京都市伏見区小栗栖小阪町5
電話番号:075-571-2173