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娘を性虐待した父親が逆転有罪 司法が弱い者を守るために今、何が求められているか

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

■ 逆転有罪判決

 約一年前のことです。

 19歳の娘に性虐待をした父親がなぜ無罪?と日本中を怒りと疑問で満たした、名古屋地裁岡崎支部の無罪判決。

 その控訴審で、逆転有罪判決が出ました。

愛知県で実の娘に性的暴行をした罪に問われた父親が、「娘は抵抗できない状態ではなかった」として無罪とされた裁判の2審の判決で、名古屋高等裁判所は「親による継続的な性的虐待の一環だということを十分に評価していない」として1審とは逆に有罪と判断し、検察の求刑どおり、父親に懲役10年を言い渡しました。

この裁判は3年前、愛知県内で、父親が当時19歳の実の娘に性的暴行をした罪に問われたもので、1審の名古屋地方裁判所岡崎支部は娘の同意がなかったことは認めた一方、「相手が著しく抵抗できない状態につけ込んだ」という有罪の要件を満たしていないとして無罪を言い渡し、検察が控訴していました。

出典:NHK

 この事件の一審無罪判決を受けて、女性たち、過去に被害にあったサバイバーが始めた #フラワーデモ は全国に広がり、性暴力被害者の実情を無視した司法への抗議の意思を示すとともに、法改正を求めてきました。

 多くの女性たちが、まだあったこともないこの被害者の女性に連帯しながら、自分のこととして、司法判断に抗議し、署名をし、デモに参加し、何も行動できなくても、怒りの気持ちで推移を見守ってきたことと思います。

 自分の生きる国の正義の砦とされる司法が、明らかな被害者である若い女性すら救わないのだという圧倒的な現実を知り、見えない巨大な敵と戦ってきたのだと思います。

 その過程で様々な会話が交わされ、刑法も、司法も、この社会の性暴力に対する認識や、女性差別そのものを変えなければ、安全に暮らしていくことはできないという思いが共有されました。

 それがどこまで裁判官に届いたか、司法中枢に響いたかはわからないけれど、被害者の実情を踏まえた有罪判決が下されたことには大きな意味があるといえるでしょう。

 被害者の方のコメントが公開され、彼女の傷が癒えることは難しいとしても、有罪判決が彼女にとっても「やっと少しホッとできるような気持ち」(この一言にどれだけの思いが詰まっていることでしょう)になったとしたら本当に良かったと思います。

 司法関係者にはみんなこのコメントを読んでほしいです。

■ 判断をわけた「抗拒不能」とは?

 一審判決の直後に私は以下の記事を書き、何が問われるべきかを主張してきました。

19歳の娘に対する父親の性行為はなぜ無罪放免になったのか。判決文から見える刑法・性犯罪規定の問題

 また、もっと詳しく伝えたいと思い、こちらの書籍を出版しました。

 なぜ、それが無罪なのか!? 性被害を軽視する日本の司法

 すべての問題の所在は、この事件の一審判決が判示した以下の部分にあります。

刑法178条2項は意に反する性交の全てを準強制性交等罪として処罰しているものではなく、相手方が心神喪失または抗拒不能の状態にあることに乗じて性交をした場合など、暴行または脅迫を手段とする場合と同程度に相手方の性的事由を侵害した場合にかぎって同罪の成立を認めているところである

 日本では、意に反する性行為を無理やり行ったとしても、それだけでは処罰されない、それが現実、なぜなら日本の刑法がそう決めているからです。

 日本の刑法178条の2項は、

人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。

 という条文で、準強制性交等罪は「心神喪失」または「抗拒不能」がないと成立しません。

 事件では、このうち「抗拒不能」の要件を満たすか否かが焦点となり、

 一審判決は

●被害者が「解離」という精神状態に至った

●生命・身体などに重大な危害を加えられる恐れがあった

●性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされていた

 という極限的な場合でない限り、「抗拒不能」という要件を満たさないとして、無罪にしたのです。

 一方、名古屋高裁は「抗拒不能」について異なる解釈をし、「抗拒不能」を認めて有罪としました。

 つまり、無罪か懲役10年かを分けるもの、それが「抗拒不能」という要件であり、「抗拒不能」とは何かについて、一審と二審(高裁)の裁判官の解釈が変わったために無罪から一転して有罪になったのです。

 

 報道によると、名古屋高裁は「抗拒不能」を認める根拠として以下のような解釈をしています。

12日の判決で名古屋高等裁判所の堀内満裁判長は「被害者が中学2年生の頃から、意に反した性行為をくり返し受けてきたことや、経済的な負い目を感じていたことを踏まえれば、抵抗できない状態だったことは優に認められる」と指摘しました。

そして、「1審の判決は、有罪の要件である『抵抗できない状態』について、被害者の人格を完全に支配するような状態だということまで求めていて、要件を正当に解釈しなかった結果、誤った結論になっている」としました。

そのうえで「1審は、父親が子に対して継続的に行ってきた性的虐待の一環であるということを十分に評価していない。抵抗できない状態につけこみ、自分の性欲のはけ口にした卑劣な犯行で、被害者が受けた苦痛は極めて重大で深刻だ」と述べ、1審の無罪判決を取り消し、検察の求刑どおり、父親に懲役10年を言い渡しました。

出典:NHK

 別の報道では、「抗拒不能」を否定する要素は以下のとおりとされています。

◇抗拒不能に関する判決骨子

・性的虐待が行われる一方で普通の日常生活が展開されたが、虐待のある家庭では普通のこと

・弟らの協力で被告からの性交の求めを断念させたこともあるが、その後は以前より性的虐待の頻度が増して娘の無力感を増強させた

・1審判決が指摘するこれらの事情はいずれも抗拒不能状態を否定する事情ではなく、むしろ肯定する事情となり得る

出典:毎日新聞

 被害者の実情を踏まえても、また、もっと広範な市民の良識から言っても、このような判断は正当なものであると思います。

 裁判官にはジェンダーバイアスのない判断をしてもらいたいと常々私たちは訴えてきました。

 また2017年の刑法改正の際に国会で採択された衆議院付帯決議では、

刑法第百七十六条及び第百七十七条における「暴行又は脅迫」並びに刑法第百七十八条における「抗拒不能」の認定について、被害者と相手方との関係性や被害者の心理をより一層適切に踏まえてなされる必要があるとの指摘がなされていることに鑑み、これらに関連する心理学的・精神医学的知見等について調査研究を推進するとともに、司法警察職員、検察官及び裁判官に対して、性犯罪に直面した被害者の心理等についてこれらの知見を踏まえた研修を行うこと。

 と司法に求めています。

 名古屋高裁の判断は、ジェンダーの視点を考慮し、付帯決議の要請に応え、性犯罪被害者の心理に寄り添った判断として評価することができるでしょう。これが一つの先例となり、性被害を巡る判断が変わることを期待したいと思います。

■ 問題は解決していない。今もあいまいな「抗拒不能」

 では、逆転判決が出たからめでたしということでよいでしょうか?まずは判決が確定することを期待しますが、仮に判決が確定しても課題は残されています。

 高裁は以下の通り判断したと報道されています。

 「1審の判決は、有罪の要件である『抵抗できない状態』について、被害者の人格を完全に支配するような状態だということまで求めていて、要件を正当に解釈しなかった結果、誤った結論になっている」

 では、「抵抗できない状態」っていったい何なのか、はっきりしたのでしょうか?

 今も「抗拒不能」とは何かが実にあいまいなまま、裁判官に白紙委任するしかない状況にかわりはありません。

 新聞記者の間でも、「抗拒不能」という言葉を始めて聞いた方も多く、勉強のために取材に来られましたが、定義が必ずしも明確でないと説明をすると釈然とせずに疑問を深められていました。

 まして、一般の人には、「抗拒不能」とは何で、何が有罪で何が無罪か、はっきり理解できるでしょうか?

 一審岡崎支部の判決はキャリアのある裁判官が下した判決です。

 そして、弁護士の間には男女を問わず、この判決を擁護し、無罪判決を批判すべきではないとする意見がSNS上でも多く上がりました。法律家の間にコンセンサスがないようでは、一般の人たちは混乱するばかりです。

 2019年の岡崎支部判決と相次いで、2件の性犯罪無罪事件がありました。1件は久留米、もう1件は浜松の裁判所の判決で、いずれも意に反する性交であり、被害者は「抗拒不能」であったと認定されましたが、加害者は、被害者が同意していたと誤解した、抗拒不能であることを認識していなかったとして無罪になりました(久留米の事件も最近逆転有罪となりましたが、被告人は上告しました)。

 抗拒不能が今のまま、あいまいな要件のままでは、裁判官次第でまた同じようなことが繰り返されるかもしれません。

そして、「抗拒不能だったなんて知らなかった」という無罪主張や、無罪判決もこれからも繰り返されない保証はありません。

 こうしたあいまいな犯罪構成要件のために、被害者の方はこの1年どんな思いを味わったことでしょう。心が折れていたら控訴を断念していたかもしれません。

 被害者のの手記には以下のように書かれています。

今日、ここにつながるまでに、私は多くの傷つき体験を味わいました。

信じてもらえないつらさです。

子どもの訴えに静かに、真剣に耳を傾けてください。

そうでないと、頑張って一歩踏み出しても、意味がなくなってしまいます。

子どもの無力感をどうか救ってください。

私の経験した、信じてもらえないつらさを、これから救いを求めてくる子どもたちにはどうか味わってほしくありません。

 

■ 被害者のためにも、罪刑法定主義のためにも、刑法改正を

 一人の人間が無罪となるか、懲役10年となるか。大きな違いです。

 その判断を分ける「抗拒不能」がこのままあいまいなまま、裁判官に白紙委任ということで、法の支配といえるでしょうか?

 法は、何が犯罪で何が犯罪でないか、もっとわかりやすく規定すべきです。

 市民の自由な行動を保障するために、刑罰法規の適用は予測可能でなければならず、何が犯罪で何が犯罪でないかは明確に規定されるべき、これは罪刑法定主義の基本的要請です。

 「刑法の性犯罪規定はこのままでいい」「現行法でも対応可能」と主張する刑法学者や刑事弁護に熱心に取り組む法律家たちも誠実にこの疑問について考えてほしいと思います。

 2017年の刑法性犯罪規定の改正では3年後に改めて見直しが検討されることになっており、今年2020年がその年にあたります。

法務省が実施してきた実態調査ワーキンググループも最終とりまとめに近づいています

 市民団体では、諸外国で相次いでいる法改正の動きにならい、日本でも抜本的な法改正を求め、そもそも意に反する性行為は処罰すべきであるとの「不同意性交罪」の導入を求めています。

 併せて、準強制性交等罪については、抗拒不能などのあいまいな要件を明確化するため、スウェーデンの法制等を参考に、

 「人の無意識、睡眠、恐怖、不意打ち、酩酊その他の薬物の影響、疾患、障害もしくはその他の状況により、特別に脆弱な状況に置かれていた状況を利用し、又はその状況に乗じて行った」等の要件に改正することを求めています。

 被害者の実情(例えば虐待や依存関係など)を取り入れて、この要件はさらに十分に検討すべきですし、改正後は詳しい解説書を作って市民への教育や学校教育に活用することで、被害を防止することもできると思います。

 諸外国で実現している被害者の視点を大切にする法改正が日本でも実現できない理由はありません。

 司法が、最も弱い者を守れる存在であるために、この社会が、最も弱いものが守られる社会であるために、これから何をすべきかが問われています。

【追記】

 刑法改正を求めるChange.orgの署名がおかげさまで8万を超え、今週提出に行きます。

 賛同いただける方、よろしければぜひ署名をお願いします。

 「法務大臣: 法務大臣へ、性犯罪における刑法改正を求めます。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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