19歳の娘に対する父親の性行為はなぜ無罪放免になったのか。判決文から見える刑法・性犯罪規定の問題
■ 同居していた19歳の娘と性交
3月28日、名古屋地裁岡崎支部は、娘に中学2年の頃から性虐待を続け、19歳になった娘と性交した父親に対する準強制性交等罪の事件で、父親に無罪判決を言い渡しました。
実の娘と性交をしても無罪放免という結論には多くの疑問が表明され、「これで無罪なら、どんなケースが性犯罪となりうるのか」と、司法に対する強い不信感が表明されています。
このたび、この事件の判決文に接することができましたので、判決の問題点、判決からうかがえる問題点を述べたいと思います。
■ 判決は、性虐待、父親から娘への暴行を認めている。
まず判決は、以下のような事実を認めています(以下、女性はA、父親は被告人とされています)。
なんとひどいことでしょうか。
これに対し、被告人である父親は、性交には娘の同意があったと主張していました。しかし判決文は、
と判断したのです。
父親は中学二年の時から娘を性虐待し続け、父親が未成年の娘の意に反する性行為をした、判決はそのことを認めているのです。
■ 女性が性行為に抵抗できなかった状況
本件で起訴された事案は、2017年8月と9月にこの女性が父親から車に乗せられて、それぞれ閉鎖的な空間に連れていかれて性交をされたという件です。これらの件では、女性は物理的な抵抗が認定されていません。
この性交の直前(7月後半から、8月の性交の前日までの間)の出来事として、判決文は以下のように、父親からの強い暴行があったことを認定しています。
判決は、この暴力により、女性のふくらはぎなどに大きなアザができたとしています。
また、裁判では、精神科医が女性の心理状態について鑑定意見を提出しています。判決によれば、鑑定人は
被告人による性的虐待等が積み重なった結果、Aにおいて被告人には抵抗ができないのではないか、抵抗しても無理ではないかという気持ちになっていき、被告人に対して心理的に抵抗できない状況が作出された
と証言しているとのことであり、裁判所はこの鑑定について「高い信用性が認められる。」と認めています。
さらに、まだ19歳の女性は経済的に実父に依存して生活しており、NOとは言いにくい状況に置かれていたとされています。
判決は以下のように認定しているのです。
こうした事情があるのに、なぜ、判決は無罪を言い渡したのでしょうか。
■「抗拒不能」の高いハードル
判決は、以下のように説明します。
確かに日本の刑法178条の2項、準強制性交等罪は、
人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。
という条文で、「心神喪失」または「抗拒不能」がないと成立しません。抗拒不能、というのは抵抗が困難、という意味です。
判決はこの条文を本件にどうあてはめたのでしょうか。まず、直前にあった暴行の影響はどうでしょうか。
次に、精神科医から、女性は抗拒不能な心理状態だった、という鑑定意見が出ていることについてはどうでしょうか。判決は
として、鑑定意見などによって裁判所の判断は左右されないんだぞ、という姿勢を示したうえで、
と判断しました。
さらに、女性が被告人に依存していた関係についてはどう判断したでしょうか。
としています。
そして最後のまとめとして、判決は以下のようにダメ押しをして、無罪としたのです。
つまり、女性が被告人に対して抵抗しがたい心理状態にあったとしてもそれだけでは十分でない、
●「解離」という精神状態に至った
●生命・身体などに重大な危害を加えられる恐れがあった
●性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされていた場合
という極めて高いハードルを課して、これをクリアしない限り、いかに性虐待があっても、親から無理やり性交されても、レイプにはならない、父親は何らの刑事責任を問われない、というのがこの判決の結論なのです。
■ 諸外国では「不同意性交は犯罪」が趨勢になりつつある。
このような判断、日本でも愕然とする方が多いことでしょうが、国際的にも仰天されることは間違いないでしょう。
いま、諸外国では同意なき性行為は犯罪、という法改正が進んでいるのです。
最近実施した10か国の性犯罪に関する法制度の比較調査の結果、例えば、スウェーデン、イギリス、カナダ、ドイツ、米国の一部の州(ニューヨーク州等)では、既に同意なき性行為をすべて犯罪とする法制度が実現していることが明らかになりました(ヒューマンライツ・ナウ調査報告)。
#MeTooの影響もあり、この流れはどんどん進んでおり、さらに法改正を進める国も増えていくでしょう。
また、不同意以外の何らかの要件を課す国の中でも、日本のように、暴行・脅迫、心神喪失・抗拒不能、というほどの厳しい要件を課すのでなく、もう少し緩やかな要件で性暴力を認めています。
日本は性犯罪が成立しにくい法規定となっているのです。
もし、この女性と父親がスウェーデン、イギリス、カナダ、ドイツ等に住んでいたなら、同じ事実認定のもとで無罪など到底ありえなかったでしょう。
欧米だけではありません。隣の韓国にも
未成年者又は心神微弱者に対し、偽計又は威力により、姦淫又はわいせつな行為をした者は、5年以下の懲役に処する
という条文があり、未成年は19歳以下とされています。
台湾にも
「性交するために、家族、後見人、家庭教師、教育者、指導者、後援者、公務員、職業的関係、その他同種の性質の関係にあることが理由で、自身の監督、支援、保護の対象になっている者に対する権威を利用した者は、6ヶ月以上5年以下の有期懲役刑に処する。
という規定があるのです。
この女性と父親が韓国や台湾に住んでいたとしても、同じ事実認定のもとで無罪にはならなかったと考えられます。
日本は改めて性暴力に寛大な国、性暴力のうち広範な範囲が犯罪と認められないことが法律で定められている国、として、他国とはかなり異質になりつつあるといえるでしょう。
■ 2017年改正-なぜ抗拒不能の要件は残されたのか。
日本も何も変わっていないわけではなく、2017年に日本では、110年ぶりの刑法・性犯罪規定の改正がありました。
その際にもこの「抗拒不能」という要件は「暴行脅迫」要件とともに問題にされ、『不同意性交はすべて犯罪』にしてほしいとの被害者の切なる意見が届けられました。
しかし、これに先立つ法務省・法制審議会の議論では、この論点は見送りにされました。
法務省の法制審議会の議論にあたって法務省が委員のために配布した資料のなかに、抗拒不能に関する裁判例の紹介があります。
この裁判例をみると、かなり緩やかに抗拒不能を認定している事例が少なくありません。
テレビ局への就職を志望する女子学生が、局の人事担当者と名乗る者から性的関係を迫られ、「断ればここには就職できない」と認識した場合等も「抗拒不能」と認定されている、などの例が紹介されています。
このような判例のみをピックアップされて見ていると、「ま、実務でも常識的な判断をしているのだから、このままでよいのではないでしょうか」という意見に傾くのも理解できます。事実、法制審議会ではそうだったのです。
ところが、このような判例に励まされて、被害者の代理人として刑事裁判に臨むと、現実に横行しているのは、あまりにも高い壁です。
今回の岡崎支部の判例はあまりに極端だと思いますが、それでもしばしば同様の高いハードルが課されているのです。
そこで、2017年法改正に際しては、衆議院で以下のような付帯決議が採択されました。
参議院でも同様な付帯決議が採択されています。
ところが、今回、精神科医の鑑定になど左右されない、裁判官の専権事項として抗拒不能を決めてよい、という判決が出されたのです。
裁判官・裁判所は付帯決議など全く意に介していないのではないか、と疑われます。
■ 翻弄される被害者・不平等な正義
今回の判決を受けて検察庁は控訴をしました。これだけ疑問がある中、控訴審が原審の判断を維持するのか、注目されます。
しかし、もし逆転判決が出ればそれで一件落着なのでしょうか。
ここで問題にしたいこととして、法制審議会に提出された判例上の「抗拒不能」の判断と、岡崎支部の判決の「抗拒不能」の判断であまりにも「抗拒不能」の範囲に違いがありすぎる、ということがあります。
これだけ裁判官によって解釈に幅があり、こちらでは被害者が絶望の淵に落とされ、あちらでは行為者が有罪になる、ということで、果たして日本は法治国家として適正に平等に正義を実現しているといえるのか、犯罪と非犯罪の境界線が明確にされているのか、予測可能性があるのか、という点で、深刻な疑問があります。
そしてひとたびこのように、著しく「抗拒不能」を限定する判決が出てしまうと、その影響は大きく、検察官は起訴するか否かの判断に慎重になり、多くの性犯罪事例で不起訴が相次ぐという効果に跳ね返ります。判決であればこうやって検討することもできますが、検察官が不起訴にしてしまうとまさにブラックボックス、どんなに不当でも社会ではほとんど問題視すらされません。
私は性暴力にあったのに加害者が起訴されずに悔し涙を飲んでいる女性たちをたくさん見て、相談に乗ってきました。もうこれ以上苦しむ女性は見たくないのですが、現行法がこのままの運用で放置されれば、そうした女性は今後とも後を絶たないでしょう。
性虐待を今も受けて苦しんでいる女性たち、少女たちが日本国内にはどれだけいることでしょう。彼女たち、彼らにとって、この判決やそれを可能としている法制度は絶望しかもたらさないのではないでしょうか。
■ 今こそ、刑法の再改正を真剣に検討すべき
2017年の刑法改正から2年もたたないうちに、本件に限らず、多くの人が驚くような性犯罪の無罪事例が立て続けに報道されています。 今回は判決文が入手でき、コメントができましたが、他の事例も、裁判官の解釈への疑問から、そのような解釈を可能としている現行法制度の問題が浮き彫りになってくるような事案かもしれません。
法務省では性犯罪被害の実態調査を実施するとのことですが、あわせて判例や不起訴事例なども参考にして、不同意性交なのに処罰されない事例としてどのような事例があるのか、それが実体的正義に合致するのか否かについて真剣な検討を進めるべきです。
そして、暴行・脅迫、心神喪失・抗拒不能の要件を改正することを焦点とする、刑法の再改正について速やかに、真剣に検討を進めるべきだと考えます。(了)
後注: 2017年の日本の刑法改正の際に『監護者性交等罪』という犯罪が新たに導入され、この法改正後は18歳未満の者に対して、親などの監護者がその影響力に乗じて性交等をする行為は処罰の対象となりました。
しかし、今回のように19歳の女性が被害者の場合は適用されません。
また、判決によれば女性は中学2年生の時から性虐待を受けていましたが、日本の性交同意年齢は13歳とされ、14歳以上で繰り返し性交されていたとしても、「抗拒不能」「暴行脅迫」が証拠により立証されなければ、罪に問えなかったものと考えられます。ちなみに、性交同意年齢は諸外国に比較して極めて低年齢に設定され、この点も広く疑問視されています。
追記について: 性交の直前の暴力について、「直前とは?」とのご質問をいただきましたので、本文に追記しました。