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50年前の台風のようなビートルズ来日、羽田空港は台風4号でファンはまばら

饒村曜気象予報士
世界遺産:リヴァプール海商都市(写真:アフロ)

参議院選挙の真っ最中ですが、選挙になると、「この選挙区では、○○候補が台風の目だ」ということが、よく言われます。

このように、「台風(の目)」という言葉は、本来の意味の他に「社会に多大な影響をあたえるもの(人)」という意味でも広く使われています。

このため、「台風」というキーワードだけで検索すると、自然現象の台風だけでなく、自然現象とは異なる現象が沢山でてきます。

今から50年前の台風の時もそうでした。

昭和41年の台風4号

昭和41年6月23日12時に、日本のはるか南海上の北緯20度30分,東経136度20分で発生した台風4号は、その後ゆっくり北上しながら発達し、北緯20度線を越える頃から急速に発達しました。

25日5時から26日15時までの24時間に、実に80ヘクトパスカルも中心気圧が低くなり、880ヘクトパスカルとなっています。最大風速は毎秒80メートル、25メートル以上の暴風半径が400キロメートルと、猛烈で超大型台風にまで発達した台風4号は、その後衰えながら進路を北東にとり、房総半島の南東海上を通って、北海道の東海上に達しています(図1)。

図  昭和41年台風4号の経路とビートルズの日程
図  昭和41年台風4号の経路とビートルズの日程

この台風は、衰えながら接近し、しかも上陸しなかったこともあって、風による被害は少なかったのですが、梅雨前線を刺激し、静岡県から関東地方、東北地方南部では,200ミリ以上、伊豆半島や神奈川県の北部の山岳地帯では400ミリ以上の大雨となりました。このため、中小河川のはんらん、大都市周辺の丘陵地帯の造成宅地におけるガケ崩れが多発し、全国の被害は、死者・行方不明者61名(神奈川県41名)、全半壊223棟、浸水家屋12万戸など非常に大きなものでした。

台風4号の風による被害が少なかったとはいえ、28日午前中から、東京国際空港(羽田)の発着は、国内線・国際線ともに大きく乱れています。そしてこのため、もう一つの台風の直撃は免れています。

ビートルズの来日

台風4号による東京国際空港の乱れにより、北極回りで羽田に向かう「日航412便」がアラスカのアンカレッジ空港で10時間も待機せざるを得なくなっています。

この便に乗りあわせたのが、日本初来日のビートルズです。

昭和34年にイギリスのリバプールで結成されたビートルズは、45年に解散するまで、イエスタデー、ヘイジュード、レットイットビーなど数多くのヒット曲を発表しました。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの4人組の世界的な超人気バンドで、来日当時は、それぞれ25才、23才、23才、25才でした。

台風4号によってビートルズの日本上陸は10時間遅れ、29日の夜明け前の3時40分となっています。このため、ビートルズを出迎えたのは、前夜から警備本部を作って警戒していた300人近い警官と沢山の報道陣、ほとんどが帰ってしまってまばらとなったファンでした。

従って、上陸の時だけは、歓声も奇声も聞こえず、大混乱もありませんでした。

==ビートルズ台風==.

「台風(の目)」という言葉を「社会に多大な影響をあたえるもの(人)」という意味使うことが何時ごろから一般的になったのかよく分かりませんが、50年前のビートルズのまきおこしたさまざまな狂騒曲に対して、新聞やテレビ等では、盛んに台風になぞらえていました。

「ビートルズ台風」去る

無事に羽田発、マニラへ

ザ・ビートルズの四人は次の興行地マニラに向かうため、三日午前十時四十四分東京・羽田空港発の香港行日航機で離日した。

警視庁は熱狂的なファンに備えて一行の滞在中、宿舎、公演会場、羽田空港などにのべ約一万一千人の警官をくり出した。三日も未明から延べ約二千人(東京空港署調べ)のファンが見送ろうとして空港にやってきたが、大半は警官に説得されて帰り、混乱はなかった。

出典:昭和41年7月4日の朝日新聞

このほか,台風という言葉は,“台風手形”といった使われ方もあります。

これは、通常の商取引の手形が1~3ヶ月程度で訣裁されるのに対して、決裁期間が7ヶ月前後、つまり210日前後の手形をさしています。昭和44~45年の金融引締期に、企業金融が苦しく圧迫したため登場していますが、名称の由来は、立春から数えて210日前後(9月1日頃)から大きな被害をもたらす台風が襲来するという故事からです。

台風という言葉が、本来の意味以外に色々と使われているということは、台風が国民生活に非常に大きな影響を与え、あるいは、馴染の深い現象であることの反映といえるでしょう。

図の出展:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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