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J1出場300試合の小林祐三が選んだ移籍先 クリアソン新宿とはどんなクラブなのか?

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
サガン鳥栖の小林祐三が加入するクリアソン新宿。今季の関東リーグ10チーム中5位。

■3つのJクラブを渡り歩いたベテランの気になる移籍先

 Jリーグでプレーする充実感を感じつつも、自分自身のサッカーが、行き場を失っているような感覚がずっとありました。どこで、どんな人たちと、どんな風にサッカーを追求したいのか、考えた末にたどり着いたクラブがクリアソン新宿でした。(中略)クリアソン新宿を通じて、自分のプレーを価値に変え、新宿の街に届けたいと思います。

 12月3日、J1のサガン鳥栖は、小林祐三のプロサッカー選手引退と、クリアソン新宿への移籍を発表した。冒頭の小林本人のメッセージは、クリアソン新宿の公式サイトからの引用である。SNS上では現在の所属クラブのみならず、かつて所属した柏レイソルと横浜F・マリノスの公式アカウントからもアナウンスされ、それぞれのクラブのサポーターから心のこもったメッセージが多数寄せられた。いかに多くのファンから慕われていたかが窺える。

 小林は1985年生まれの35歳で東京都出身。静岡学園高校卒業後、柏(2004〜10年)、横浜FM(11〜16年)、鳥栖(17年〜)でプレー。A代表のキャリアこそないものの、U-20代表として05年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)に出場し、16年にはJ1通算300試合出場を達成している(12月4日現在364試合)。3つのクラブを渡り歩きながら、17シーズンずっと背番号13で通したことでも知られ、サポーターの間では「パンゾー」の愛称で親しまれていた。

 ところで小林のファンの多くは、彼が来季プレーすることになるクリアソン新宿について、多くの情報を持っていないだろう。実は筆者が先月上梓した『フットボール風土記』に、このクラブに関する詳細なレポートがある。これまでの取材で得た情報と、新たなインタビュー取材をもとに、J1出場300試合の実績を持つ小林が選んだ、クリアソン新宿というクラブについて紹介することにしたい。

クラブ代表の丸山和大氏。商社勤務を経て13年に株式会社Criacaoを起業し、新宿区からJリーグ入りを目指す。
クラブ代表の丸山和大氏。商社勤務を経て13年に株式会社Criacaoを起業し、新宿区からJリーグ入りを目指す。

■「フットボールとビジネスを両立させる」クリアソン新宿

 クリアソン新宿は2005年、立教大学のサークル活動でサッカーをしていた仲間たちを中心に設立された。09年に東京都リーグ4部に加入。それから11シーズンかけて、現在の関東1部までにたどり着いた(J1から数えると5部に当たる)。新宿区をホームタウンに定めたのは、東京都1部時代の17年。その理由について、クラブ代表の丸山和大氏は、以前の取材でこう述べている。

「フットボールとビジネスを両立させるなら、やっぱり東京、それも23区がマストでした。ならば、どの自治体が自分たちのコンセプトに合致するか。すべての区の政策をチェックして最も響いたのが、多様な人たちが互いの強みを活かし合う、新宿区の考え方。新宿にはオフィス街もあれば、繁華街もあれば、学生街もあります。加えて、人口の10.5%が外国籍の人たちなんですね。新宿区のビジョンが、クラブが目指す世界観や価値観に最も近いと感じました」

 注目すべきは「フットボールとビジネスを両立させる」というコメントだ。丸山氏は13年、株式会社Criacao(クリアソン)を設立。この株式会社Criacaoが、クリアソン新宿を運営している。そして所属選手26名のうち、10名は同社の社員として勤務。ただし従来の企業チームのように、社員の福利厚生の一環としてサッカークラブが存在しているのではない。フットボールとビジネスは、クリアソンにとってどちらも不可欠な両輪なのである。

 これら社員選手の中には元Jリーガーもいる。キャプテンを務める井筒陸也は、J2の徳島ヴォルティスに3シーズン所属して54試合に出場。クラブ側は新たな契約を結ぶつもりでいたが、当人は「新しいことをやりたいのでJリーガーを辞めます」と宣言、関東2部だったクリアソンに加入した。今回の小林の移籍も、2年前の井筒の決断に近いものが感じられる。

キャプテンの井筒陸也。J2徳島に3シーズン所属して54試合に出場し、2年前にプロ生活を終えてクリアソンに移籍。
キャプテンの井筒陸也。J2徳島に3シーズン所属して54試合に出場し、2年前にプロ生活を終えてクリアソンに移籍。

■変わりつつあるJリーガーのキャリアの考え方

「祐三さんとは以前、わが社が主催する大学の体育会学生向けの講演会で対談させていただいたこともあります。僕と祐三さんの共通点は、Jリーガーになることが最終目的ではなく、自分がサッカーを続ける意義を突き詰めて考えるところでしょうか。ただ、僕は3年であがりましたけど、祐三さんはJリーグでやりきって区切りをつけました。そこが、僕との一番の違いですね」

 そう語る井筒は、丸山代表から「Jリーグでの経験を新宿のために活かしてほしい」と言われ、今はクラブの広報・PRなど複数の事業に関わりながらプレーを続けている。元Jリーガーが「昇格請負人」として、地域リーグのクラブに迎えられるのは今でもよくある話。しかしクリアソンの場合、単にオン・ザ・ピッチでの戦力としてだけでなく、Jリーガー時代に培ってきた経験をビジネスに活かすことも期待されている。ならば、選手側のメリットは何か。井筒の答えは明快だった。

「仕事とサッカー、両方できるのは単純に楽しいですし、お得感がありますよね(笑)。僕自身、プロのサッカー選手だった時はチームでレギュラーを勝ち取って、対戦相手に勝利することだけを考えていました。でも今は、向き合う相手はさまざまです。今回、Jリーグ百年構想クラブの申請をするにあたっても、新宿区、僕らが『パートナー』と呼んでいるスポンサー企業の方々、地域の商店街、そしてもちろんJリーグ。そうした、多種多様な相手と向き合いながら、自分自身の成長を楽しんでいます」

「サッカーを辞めてビジネスの世界へ」ではなく、「プロは辞めてもサッカーを続けながらビジネスの世界へ」。それは、決してクリアソンが先鞭をつけたわけではなく、実は密かなキャリアのトレンドになりつつある。最近でいえば元日本代表の岩政大樹氏、あるいは大宮アルディージャなどで活躍した渡邉大剛(現・品川CC横浜)も、地域リーグや県リーグでプレーを続けながら引退後のキャリアを模索している。

 来季、クリアソンに加入する小林も、昼間は社員としてフルタイムで働き、夜はユニフォームに着替えて人工芝のグラウンドで練習することになる。従来の切り口であれば「J1出場300試合の元Jリーガーが、地域リーグのクラブに何をもたらすか?」ということになるだろう。むしろ私は、現在35歳の「パンゾー」がビジネスの世界に触れることで、彼自身がどう成長するのかに注目している。いずれ機会を見て「クリアソン新宿の小林祐三」に取材を試みることにしたい。

<この稿、了。写真はすべて筆者撮影>

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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