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【光る君へ】花山法皇が藤原伊周・隆家兄弟に矢を射られた際、通っていた相手の女性は誰なのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、久しぶりに花山法皇が登場した。花山法皇が女性のもとを訪ねた際、藤原隆家の放った矢が花山法皇の衣の袖を射抜いた。終盤ながら、非常に重要な場面だった。

 ところで、花山法皇が訪問した相手の女性とは、誰だったのだろうか。この点について触れておこう。

 花山天皇が即位したのは、永観2年(984)のことである。性に奔放なところがあって、いくつもの逸話が残っている。そんな花山天皇の心を捉えたのが、藤原為光の娘の忯子だった。同年、忯子は花山天皇からの熱烈なアプローチもあり、女御になった。

 寛和元年(985)、忯子は懐妊したにもかかわらず、急な病で亡くなった。花山天皇は深く忯子を愛していたので、その悲しみは尋常ではなかった。やがて、花山天皇は忯子の死をきっかけとして、出家を考えるようになった。

 当時、藤原兼家は外戚として権勢を振るうべく、花山天皇を退位させ、孫の一条天皇を即位させようと考えていた。兼家の目論見は見事に成功し、花山天皇は半ば騙し討ちの形で出家したのである。それは、花山天皇の退位を意味した。

 こうして、長徳2年(996)1月に勃発したのが、長徳の変である。ことの発端は、花山法皇が太政大臣を務めた故藤原為光の四女のもとに通ったことである。この四女とは、儼子のことである。なぜ、花山法皇は儼子のもとを訪ねたのだろうか。

 先に触れたとおり、花山法皇が愛してやまなかった忯子は、為光の娘だった。おそらく花山法皇は、儼子に対して忯子の面影を見たのだろう。姉妹なので、容姿が似ていた可能性はある。そこで、花山法皇は出家の身にもかかわらず、儼子のもとに通ったのだが、ここで大きな誤解が生じていたのである。

 当時、儼子は為光の三女と同居していた。三女に心を寄せていたのが、藤原伊周だった。伊周は花山法皇が三女のもとに通っていると勘違いし、どうすべきか弟の隆家に相談した。結局、伊周と隆家は従者を引き連れて、花山法皇の一行を待ち伏せすることにしたのである。

 その結果、従者の1人が花山法皇に矢を放ち、その矢が衣の袖を射抜いた。のちに、このことは大問題に発展し、伊周と隆家は失脚したが、その点はドラマの進展に合わせ、改めて取り上げることにしよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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