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織田信長の命が狙われた暗殺未遂事件3選

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
織田信長。(提供:アフロ)

 権力者が命を狙われ、暗殺(未遂)事件が起こるのは今も昔も同じである。それは、織田信長も同じことだったので、暗殺未遂事件を3つ取り上げることにしよう。

◎杉谷善住坊による信長狙撃事件

 元亀元年(1570)、信長は鉄砲の名手の杉谷善住坊に狙撃された。しかし、鉄砲弾は信長を射抜くことなく、掠めただけだったという。むろん、信長は善住坊を許すことなく、捕えるよう命じた。その後、善住坊は近江に潜んでいるところを捕縛されたのである。

 善住坊は生きたまま土中に首まで埋められ、往来する人に首を鋸で引かせるという刑を科された。鋸引きである。善住坊に信長の狙撃を依頼したのは、六角氏の残党だったといわれている。大河ドラマ「黄金の日々」では、善住坊を川谷拓三さんが演じ、お茶の間の涙を誘った。

◎城戸弥左衛門による信長狙撃未遂事件

 弥左衛門は、伊賀の忍者だったといわれている。弥左衛門は信長が存命中の天正年間(1573~1582)において、2度も鉄砲による狙撃を行ったという。とはいえ、残念ながら信長殺害を命じた人物は、今のところ不明である。

 弥左衛門は敢国神社(三重県伊賀市)、膳所(滋賀県大津市)で信長を狙撃したといわれるが、結局は未遂に終わったようである。チャンスを狙ったのだが、うまくいかなかったのだろう。弥左衛門は捕らえられたが、脱出時に落命したといわれている。

◎築城中の落石事件

 天正8年(1580)4月、信長が伊庭山の築城現場を視察した際、落石事故が発生した。おそらく、石垣用の石が不注意により、信長の目の前に転がって来たということになろう。

 このとき築城奉行を担当していたのは、丹羽氏勝だった。氏勝は織田信次(信長のおじ)の配下にあったが、のちに信長に仕えた。激怒した信長は、氏勝の配下の者を手討ちにしたが、氏勝が自分の命を狙ったのではないかと疑ったといわれている。

◎まとめ

 信長が天下人の階段を上るにつれて、敵は増していった。敵からの刺客もいたが、家臣すら心を許せず、常に警戒する必要があったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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