まもなく20年 「気象予報士」制度を考える
11月に入って、私たち気象予報士の手元に気象庁から「気象予報士の現況等に関する調査」というアンケートが届きました。説明によると、目的は「民間気象事業の振興策や気象予報士の更なる活躍の場を検討する基礎資料」。気象予報士の就業や資格取得後の学習・研鑽についての実情、気象予報士としての意向などを把握するためのもののようです。私の記憶する限り、気象庁から気象予報士に直接こうしたアンケートが届くことは初めてのことではないかと思います。
気象予報士というと、私のようにテレビなどメディアで気象解説を行う人を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、実はテレビで解説をするのに気象予報士の資格は(法律上は)要りません。では、そもそも気象予報士という「国家資格」はどんなものなのでしょうか。
以下、あえて批判的な視点で、気象予報士を取り巻く現実を掘り下げて考察することにしました。私自身、気象で生計を立てている以上、場合によっては諸刃の剣たりうる議論です。しかし、毎年のように発生する大規模な気象災害を目の当たりにして、気象予報士にできることは何なのか、気象予報士の役割とは何なのか、気象予報士だからこそ世に問う必要があるのではないかと考えるに至りました。皆さんのご意見など、お聞かせいただければ幸いです。
気象予報士制度は来年で開始から20年に
1993年の気象業務法改正を受けて、第1回の気象予報士試験は1994年に実施されました。2013年8月までに40回の試験が実施され、早いもので来年で制度開始から20年となります。試験に合格し、気象庁に登録することで、「気象予報士」となります。気象庁ホームページの記載によれば、2013年6月1日現在、8774人が気象予報士として気象庁に登録されているとのことです。
気象予報士制度は、1980~90年代の規制緩和の流れを受けて始まりました。それまでは国(気象庁)以外は広く一般向けの天気予報を発表してはいけないことになっていましたが、いわゆる「天気予報の自由化」により、1995年5月以降、民間気象会社による天気予報の発表が解禁されたのです。
なぜ天気予報が規制されていたのか、と感じる向きも多いでしょう。天気予報は日々の生活を支援する情報という役割も大きいですが、何より第一の使命は「防災・減災」です。根拠のないデタラメな予報が広く世間に出回ってしまうと、それを信じて山に登って遭難したり、海に漁に出て大嵐に巻き込まれたりなど、国民生活に大きな混乱をきたすことが心配されます。そのため、独自に天気予報を公表することが禁じられていた、というわけなのです。
それが規制緩和を受けて、国がお墨付きを与えた国家資格「気象予報士」を持つ専門家が天気現象の予想を行うのであれば、予め気象庁に届け出たうえで「予報」を発表することを許可する、となったのです。気象庁の案内によれば、「技術的な裏付けの無い予報が社会に発表され、混乱をもたらすことを防ぐ必要があるため」、気象予報士の資格制度が運用されています。
ある意味では人命を預かる資格である以上、気象予報士試験は簡単なものであってはいけません。世間では、難関資格の一つとも位置づけられているようです。しっかりと気象・防災の知識水準を満たしていると認められた者しか合格できず、これまでの合格率の平均は「5.7%」。たった1度の受験で合格する人も中にはいますがそれは珍しい例で、何年間受験し続けても一向に受からない、という人もいると聞きます。
気象予報士は日本に何人必要?
しかし、制度ができた当初から、業界の規模から類推すると、「気象予報士は1,000人いれば足りる」とも言われてきました。民間の気象会社などで気象予報士の資格を持ち、気象の仕事をする人は比較的限られています。気象業界の市場規模は数百億円と言われていますが、資格ができてから急激に大きく拡大したわけでもありません。
鉄道・道路・航空・電力など社会インフラを安定して運用する支援情報として、企業が民間気象会社からピンポイント情報を買ったり、気象予報士によるコンサルを受けたりすることは多いものの、そうした企業が急激に増えるわけでもなく、現在ある市場の拡大はなかなか簡単なことではないのです。
私たちは皆、天気と切っても切れない生活をしてはいますが、個人で「お金を払って天気予報を買おう」という発想を持つ人はまだまだ多くはありません。携帯電話の天気コンテンツで月100円を払う人は多くても、わざわざ気象予報士と個別契約をして…と考える方は少ないと感じます。
「気象予報士という生身の人間が、膨大な予測資料をもとにピンポイントの予報を検討して、それぞれの顧客に最適なアドバイスをまとめて伝える」という作業を想像してみてください。製品である予報をオーダーメイドで生み出すのに、どれくらいの時間(=人件費)がかかるか。弁護士さんへの相談料金や美容師さんのヘアカット代など、専門家に相談・施術を受ける際の料金を思えば、妥当な相場は想像するに難くないでしょう。問題は、それだけの費用を払って、天気予報を個人で買うかどうか、です。
気象予報士の資格を取得して、天気予報を提供する会社を立ち上げて、多くの人に貢献しつつ自分の生計を立てていこうという展開は、なかなかに簡単なものではないのです。誰もが少なからず天気に影響されて生きていますが、「天気予報でメシを食っていく」というのは、かなり難しいのが現状かと思います。どの業界でもそうですが、新しいビジネスモデルをどう考えていくのかが気象業界でも肝心なことで、それは大手の会社も含めて大勢の気象関係者が日々考えていることでもあります。気象予報士が活躍できる新たな分野をどう開拓できるか、何年も前から言われ続けていることですが、それが気象予報士制度の今後のあり方にも大きく影響するのに違いありません。
資格を取っただけでは「即戦力」にはならない
気象予報士試験の受験資格に大きな制限はありません。ほぼ誰でも、受験料を支払えば受けることが可能です。ただ、苦労して試験に合格して気象予報士の資格を取得しても、正直、予報の現場では、そのままでは「即戦力」にはならないことが多いのです。
現代の天気予報は、気象庁などがスーパーコンピュータで計算した専門的な予測結果を読み解き、気象学的な考察を踏まえて、人間が総合的に現象の推移を予想して「予報」を発表します。
気象予報士試験では大雑把にいうと、コンピュータがなぜこのように予想するのか、気象学的にはどのようなメカニズムになっているかをしっかり理解しているかを「学科試験」で問い、種々の予測資料を的確に読み解いて予報できるかを「実技試験」で問うて、基準を満たしていれば合格、となるのです。
しかし多くの場合、実際の天気予報はそんなに簡単ではありません。コンピュータの予想結果通りにはならなかったり、複数の計算結果がまったく違う予測を弾き出していたり。試験では、こんな問題はまず出ません。○×をつけることが容易ではなくなるからです。
試験においては、問題に答えていく過程で手順を踏んで先へと進み、予報の結論に至るパターンが多いのですが、そんな簡単なケースは、実際にはほとんどありません。日々の天気で「科学的に総合的に」適切に予報することは、資格を取ったばかりの新人気象予報士にはほとんど出来ない、と経験上断言できます。
予測資料を疑ってかかったり、ハズれた原因を同僚たちで検討したり、あるいは先輩や顧客に叱責されたり…。こうした経験を現場で数多く重ねて、一人前の「予報屋」になっていく、いわば現代の職人の世界です。気象予報士の資格を取っただけでは一朝一夕に的確な予報を出せるわけもなく、当然ながら「まだまだ」なのです。
ただ、経験を積むにしても、実際に予報作業を日々行っている気象会社は限られていて、そこに正社員として就職するのは至難の業で、派遣社員や契約社員として就業する人もとても多いです(気象予報士の社会的な待遇についても、問題の一つです)。また、うまく就業できたとしても、交代制勤務ですから土日祝日に出勤することも普通ですし、月に何度かは泊まり勤務もあります。一人前になる前に勤務が過酷だと感じて、長く続かず辞めていく人たちも決して少なくはありません。
お天気キャスターに「気象予報士」資格は必要ない?
気象予報士の資格を持っているからと言って、いつでもどこでも独自に予報を発表して良いというものではありません。予め気象庁に「予報業務」の許可を受ける必要があります。
「予報業務」の定義について、気象庁ホームページには以下のように書かれています。
つまり、「いつ・どこでどんな天気になるかを独自に予想して第三者へ提供し、それを毎日行う」ような仕事です。テレビやラジオなどで「独自の」予報を広く皆さんにお伝えするような仕事は、これに当たります。一方で、テレビなどで「解説」を行うぶんには、法律上、資格は必要ありません。いわゆる「お天気キャスター」に気象予報士の資格は必ずしも必要ないのです。
気象庁なり独自に許可を取った会社・個人なりが発表する予報について、「この予報は、これこれこういう理由で出されたものです」「こういう資料を見て、このような結論に至ったわけですね」などという意味合いで、予報の意味や経緯について述べたり、利用上の留意点やアドバイスを伝えたりすることは「解説」になり、「予報」ではないので、気象予報士の資格は不要なのです。
タレントさんやアナウンサーさんが天気予報を伝えているテレビ番組も多いですよね。天気予報を「読む」「解説する」ことは、気象予報士でなくても問題ないのです。
ただ、当然、「気象予報士」の資格は深い気象の知識を持っていることを示すいわば「ステータス」でもあります。また、結論である予報に至った経緯をなぞるのに、深い気象の知識は必須です。ただ予報を伝えるだけなのではなくて、視聴者に対しての日々の気象解説での深みや、突発的な気象災害について急遽解説する際のことも考えていて、放送局のお天気キャスターには専門家としての気象予報士が多いわけです。
では、どこまでが「解説」で、どこからが独自の「予報」になるのか。これは線引きが難しい問題です。例えば、気象庁の予報が「晴れ時々曇り」で「降水確率40%」の場合。「予報では雨とは書かれていませんが、確率が高いですから、雨の可能性も十分にあると思います」と伝えたら、これは独自予報なのか、解説なのか。
自分で考える場合には、予報と解説は表裏一体の面もあるため、そもそも線を引くこと自体がナンセンスなのかもしれません。しかし、良く言えば「臨機応変」、悪く言えば「グレーゾーン」の領域が多いと感じることもあります。
ネットにあふれる「独自予報」
かつては、テレビやラジオのように「広く第三者に提供する」場を持てること自体が多くありませんでしたが、気象予報士制度ができて19年のうちに現実は変わってきたと言わざるを得ません。近年の目覚ましいIT技術の発展によりインターネットを利用して、誰でも手軽にブログやツイッターなどで広く自分の意見を発信できる場になっています。
それは気象予報士でも同じで、自分が検討した予報結果を独自に広く公開しているものも実際にネット上に散見されます。予報業務許可を取得することは個人でもできますが、その方々すべてがそうした許可を取っているのか疑問です。有償・無償にかかわらず、独自の予報を広く公開することは許可がなければ法令違反に当たるおそれがあります。
ただ、それぞれの方が悪意を持ってやっているとは思えず、防災上の知識を有する気象予報士であるからこそ社会に貢献したい、災害を減らしたい、という気持ちで掲載・発信しているものと強く感じもします。
以前、私が気象予報士になりたての10数年前に、「友人向けにホームページ上で、3時間ごとの天気の推移を示した独自予報を掲載したい。URLは友人にしか教えないので、掲載しても良いか」と気象庁に尋ねたことがあります。回答は「NO」。URLを教えないとはいえ、誰でもアクセスできる所に独自予報を載せる場合には許可が必要だ、と。パスワードでロックして、パスワードを知っている人にしかアクセスできないようにするのであればOK、との回答でした。
どこからが法令に触れるのか、実際に違反事例として取り締まり・摘発はされているのか、具体的な話はあまり聞いたことがありません。
時間ごとにズバリ「晴れ」「雨」という天気マークひとつで表現するようなケースは、間違いなく独自予報とみなされるようです。しかし、もうちょっとぼかした内容であると「解説」とも解釈でき、ハッキリとしたガイドライン的なものが見当たらず、どこからがOKでどこからNGなのか、やはり「グレーゾーン」だと感じてしまいます。
また、海外の気象会社が発表する日本国内の予報も、検索サイトで簡単に調べられたりします。世界気象機関(WMO)は、他国内の気象予報を行う場合にはその国の法令を尊重するように、と呼びかけていますが、日本の「気象業務法」による制限をどの程度理解し、考慮しているのでしょうか。
気象予報の世界には、「大気に国境はない」という言葉があります。大気は全世界つながっていて、日々の天気の変化も、国境でぷっつりと分けたり切れたりできるものではないことを意味します。極端な話、海外に会社を設立し、そこから日本国内の予報を気象予報士無し(あるいは少人数)で発信する会社を立ち上げたら、気象業務法違反で摘発することができるのでしょうか。予報の伝達にも国境はないわけであって、近年のようにグローバル化が進むと、こうした懸念も顕在化してくるのだと実感します。
気象予報士でも許されないこと
気象予報士の資格を持っていても、気象庁に申請しても許可されないこともあります。「警報」や「台風予報」の発表です。
いずれも人命に直接関わる重大な事象であり、気象庁以外が行ってはいけないことになるのです。警報については、確かに、誰彼かまわず独自の判断で発表されてしまったら社会に大きな混乱をきたすこと必定でしょう。気象庁の責任において、様々なメディアで広く伝えられたり自治体に伝達されたりして、一元化された防災情報としてこそ効力を発揮するものと考えられます。
ただ、台風予報については、こちらもグレーゾーンがあると感じられます。基本的には、気象庁の発表に基づいて伝えなければなりません。しかし、断定的な言い方の解説もよく耳にします。ただ、様々な気象予測資料を読み解いた結果として、ある程度絞り込めた結論に至る場合もあり得るわけです。気象庁は「予報円」という形式で台風予報を発表している以上、予報には必ず「幅」が出てくるわけですが、その幅を専門家の知見でケースバイケースで適切に読み取って解説に活かすことも、気象予測のスキルが高ければ可能なのです。
これも、どこからが法令違反なのか。気象庁が発表する台風予報について、どこまで詳しく読み解いて伝えられるか、技術的な面だけでなく法令との兼ね合いで、解説者としてもいつも一言一句にまで頭を悩ませる、非常にデリケートな問題です。
また、海外の気象機関の予測計算結果(スーパーコンピュータによる)も、ネット上で簡単に見ることができる時代になりました。米軍やヨーロッパの気象機関が発表した台風の進路の計算結果を見たことのある方も多いかもしれません。気象庁の台風予報と合わせて見て対策を立てる公共機関もある、と耳にしたこともあります。こうした面でも、法令によるしばりがしっかりと守られていない(海外なのでそもそもしばれない)現実があるのであって、そうした現実をどう受け止めるか、非常に難しい問題だと思います。
「自己責任」と「規制緩和」
本稿の初めのほうでも示した通り、「技術的な裏付けの無い予報が社会に発表され、混乱をもたらすことを防ぐ必要があるため」気象予報士の資格制度が運用されています。しかし一方で、ネット上では国内でも「グレーゾーン」の予報があふれていたり、海外からの予報はもっとダイレクトな内容で発信されていたり、現実は許可のない独自予報があふれている状況もお示ししました。
あなたがネット上で見た天気予報について、予報している発信元がどこかを確かめたことはありますか? ほかの分野でもそうですが、IT技術の進展が進むと、「自己責任」と「規制緩和」の問題が一層表れてくると思います。
あふれる気象情報の洪水もいわば玉石混淆で、その「玉」の部分だけが世に出るように・国民の安全な生活を守るために、気象予報士制度による規制が行われています。その一方で、フィルターにはかけずに、「玉」も「石」もある沢山の情報の中から自分で取捨選択したり見比べたりして、自ら判断して行動の指針にしたいという声もあると思います。また、すでに「現実」として、(許可を得ていないと思われるものも含め)独自の予報がそこかしこで見られるようになっているという実情からも目を背けてはいけません。
気象庁がしっかりとガイドラインを示して、国民の安全な生活を守るとの理念のもと「取り締まる」のか、それとも規制緩和を一層強めて「自己責任」とするのか。医療や美容の分野と異なり、「無許可の業者の施術を受けて健康に支障が出た」というような、明らかな因果関係による被害が表面化しにくいのが「情報」の分野です。より深い議論が必要だと思います。
気象予報士の「国家資格」は必要なのか?
ここまで、いろいろと批判的な視点で書いてきましたが、読者の皆さんは気象予報士制度の今後について、どうお感じになったでしょうか。
私は「気象予報士制度が不要だ」と言いたいのではありません。医師や弁護士のように、専門知識を持ち、それを活かして社会に貢献し、高い倫理観を持って業務に臨む資格として、国民の安全な生活を守る一翼として重要なものだと思っています。
しかし、「誰でも受験できる」というお手軽さや、予報業務の許可制度のあり方については本当にこのままでいいのか、深い議論が必要ではないかと感じるのです。
気象庁のホームページの気象予報士の紹介欄には、「気象予報士は、民間の気象会社などで、予報業務を行うにあたって、必要な資格です。しかし、山によく出かけるから、海でサーフィンするのが好きだからとか、日々の天気の移り変わりに興味があるから。そういう理由で、勉強され、資格を取っている方もたくさんいらっしゃいます。」との記載があります。そうした理由での受験も大いに結構でしょう。ただ、それって果たして国家資格である必要があるでしょうか。「趣味」の部分については、民間の検定やカルチャースクール、大学の公開講座ではいけないのでしょうか。
国民の生命を守る仕事に直結する部分については、「実務経験年数が○○年」「口頭試問を行う」「数か月の合同研修の後に…」など、もう少し試験内容や受験資格を厳しくしても良いのでは、ともある面では感じます。気象技術者(予測・解説・コンサルなど)を業務として行うには、さらにしっかりとした技術や倫理観の担保があっても良いのではないでしょうか。「プロフェッショナル」と「趣味」とは、違うと感じるのです。
気象予報士制度が始まった時には、テレビやラジオをはじめたくさんのメディアで取り上げられました。今後についても、気象業界の関係者だけで議論していれば良いことではありません。制度開始20年を前に、もっと広く皆さんで考えていただければ、と思います。私たちの生活にとても身近なお天気の、そして時として私たちの命を守る資格なのですから。