異色の経歴でドラフト指名を待つ東大選手。選択肢の広がりを生む好例になるか⁉
「2択」と言われる中学で野球を続ける道
少年(学童)野球をしている子はそろそろ、中学ではどこで野球をするか、考えている時期だろう。ただ、中学で野球を継続するのは容易くはないようだ。
なぜなのか?
中学で野球を続ける道は大きく2つある。1つは部活動の軟式野球部だ。指導は基本的に先生に委ねられている。ただ、業務が多岐にわたる学校の先生は、部活動指導までなかなか手が回らないのが実情だ。もちろん熱心な指導者がいる学校もあり、そういうところは活気があるが、そうでないところでは野球部離れが進んでいる。休部や廃部となるケースも少なくなく、部活で野球をやりたくても受け皿が減っている。
こうした現状を踏まえ、部活動指導員を採用している学校もある。また、文部科学省は2023年度から休日の部活動を段階的に地域移行する方針を打ち出している。ただ、報酬面や学校との連携など、浸透させるには、解決すべき問題もあるようだ。
もう1つは硬式のクラブチームである。高校野球を目指す子は硬式を選ぶ傾向があり、それが部活の部員不足にもつながっている。硬式のクラブチームには本格的に野球に取り組める環境や、野球強豪校への進学が有利に働く面もあるが、親はある意味「覚悟」が求められる。練習場への送迎、チーム運営の手伝い、金銭面…負担は決して小さくはない。それゆえ、子供の夢を応援したくても硬式はやらせられない、という家庭もある。
つまり、困っているのは、軟式で続けたくても学区域の中学に野球部がない子であり、硬式でやりたくてもできない子である。軟式のクラブチームという「第3の選択肢」がある地域もあるが、選択肢が2つしかないことが、高いハードルになっている。
他競技の経験が野球での成長を促す
そんな中、ドラフト指名を待つ選手には、中学では陸上競技部を選んだ者もいる。東大の阿久津怜生(4年、宇都宮)だ。これまで2度、単独取材したことがある。彼の場合は、選んだというよりは、小学時代に利き腕である右の肘を故障したからだが、中学では野球をしていなかった。持ち味である脚力を磨き、3年時は全国中学校体育大会の400メートルで優勝を飾っている。
ケガが治ったため、進学校の宇都宮高に入学すると硬式野球部へ。センターを守って一、二番を打った3年夏は県2回戦で敗れたが、強豪私学相手に互角に戦った。
異色の経歴はまだ続く。現役で東大合格を果たした阿久津が選んだのは、野球ではなくアメリカンフットボール。当時は体が細く、大学で野球をする自信がなかった。アメフト部には足を生かせるポジション(ランニングバック)があった。
すると体に変化が。アメフトのトレーニングと食事を意識したことで、60キロだった体重が15キロも増えたのだ。これなら、と阿久津は2年生の8月末に野球部への転部を決意。3年春から外野のレギュラーとなり、このシーズン、いきなりリーグ最多タイの6盗塁をマークした。連敗を「64」で止めた試合でも貢献している。
最上級生となった今年は打撃が進化。春に初本塁打を飛ばすと、今秋はここまでの4カードで2本記録している。
9月にはプロ志望届を提出したが、小学3年に野球を始めてから、中学時代と大学での1年半は他競技をしていたから、野球歴は長くない。
こういう経歴でドラフト指名を待つ選手は、阿久津の他にはいないだろう。
一方で、他競技での経験がポテンシャルを高め、野球選手としての成長を促した、という見方もできる。野球一筋の選手が多い中、この異色のキャリアは新たな可能性を示したのではないだろうか。
中学ではチームに所属しなかった選手もいる
中学ではどこのチームにも所属せず、プロになった選手もいる。DeNAベイスターズの大橋武尊だ。オフィシャルイヤーマガジンでの取材の際、大橋はこう話している。「いくつか硬式のチームを見て回りましたが、どこも量をこなす練習が主で、技術を高めるための具体的な対処法がないように映ったんです」。選んだのは、体のメカニズムにフォーカスした指導をしてくれるトレーナーだった。
大橋は日本の高校野球も経験していない。メジャーでのプレーを目指し、アメリカのIMGアカデミーに進学。そこでテクニカル、フィジカル、メンタルなど、各分野のエキスパートから学んだ。帰国後、独立リーグを経由して、昨年のドラフトでDeNAから育成3位指名を受けて入団。IMGアカデミー出身の選手としては初のドラフト指名選手となった。
阿久津と大橋の例は、現在の日本の野球界では極めて稀である。だが、2人のようなこれまでにない選択をする選手がもっと出てくれば…中学での野球継続に対する考え方も広がっていくような気がする。