あの韓国の名優、名監督も絶賛 ヤン ヨンヒ監督の「スープとイデオロギー」
日本で公開中のドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」(ヤン ヨンヒ監督)は昨年、一足先に韓国の映画祭で上映され、韓国の名優、名監督も絶賛した。その一人は、「モガディシュ 脱出までの14日間」(リュ・スンワン監督)にも主演しているキム・ユンソクだ。熱烈に勧める「スープとイデオロギー」について、そして出演作「モガディシュ」について語ってもらった。
キム・ユンソクはヤン監督のドキュメンタリー「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」「スープとイデオロギー」3本すべて見ており、「3本はヤン監督の家族史を通して、東アジアの近代史から現在に至るまでの時間を照らし出している。とてつもない力を持った唯一無二の作品」と絶賛する。「特に『スープとイデオロギー』は私が最も期待していたオモニ(お母さん)の話」と言う。
「ディア・ピョンヤン」と「愛しきソナ」では北朝鮮とヤン監督の家族や親戚の関係が描かれていたが、実はヤン監督の両親のルーツは韓国の済州島だ。今回の「スープとイデオロギー」は、済州4・3事件を直接経験したオモニがメインで描かれた。済州4・3事件(以下、4・3事件)とは、1948年4月3日に起きた済州島での武装蜂起をきっかけに、その鎮圧過程で多くの島民が犠牲になった事件だ。その後軍事政権が続いた韓国では長くタブー視され、今も十分に知られているとは言い難い。それゆえ経験者が語る「スープとイデオロギー」は韓国でも貴重な作品だ。
キム・ユンソクは4・3事件について「我々韓国人が実際に経験した事件で、誰を支持するということではない。起きてはならないことが起きてしまい、忘れてはならない過去だ」と述べた。4・3事件が起きたのは朝鮮半島が南北分断に向かう時期だった。済州島での武装蜂起は南だけの単独選挙に反対する武装蜂起、つまり南北分断を止めようとする動きだったが、イデオロギーとは無縁の島民まで「パルゲンイ(アカ、共産主義者)」とレッテルを貼られ、虐殺された。キム・ユンソクが「誰を支持するということではない」と言うのは、そういう意味が含まれている。
ヤン監督のオモニは大阪生まれの在日コリアンだが、太平洋戦争中、空襲を避けて親の故郷の済州島に渡り、戦後、4・3事件に遭遇して再び大阪へ戻ってきた。朝鮮総連の活動家である夫を支え、息子3人を帰国事業で北朝鮮へ送った。ヤン監督は兄3人を北朝鮮に送った両親を許せなかったが、オモニが4・3事件の経験を語り始め、なぜ済州島がルーツのオモニが北朝鮮を支持したのか少し理解できるようになった。その理解の過程が、ヤン監督自身のナレーションによって「スープとイデオロギー」の中で語られる。
キム・ユンソクが「ヤン監督のドキュメンタリーを見ていると、自分がヤン監督のカメラの後ろに隠れて、ヤン監督の家族を直接見つめているような気になる。映画を見ているということを忘れてしまうほど、そこに一緒にいるような気になる」と言うのは、ヤン監督自身が語り手となっているからだろう。
「スープとイデオロギー」が最初に上映されたのは、昨年9月に開かれたDMZ国際ドキュメンタリー映画祭。開幕作として上映された。ヤン監督は「映画祭の会場に綿パンにTシャツというラフな格好で現れ、『ヤン監督、見に来ました。どれだけ待ち焦がれたか』とマスクを下ろしたのが、キム・ユンソクさん。びっくりして大声を上げてしまいました」と話す。
上映後、映画祭事務局の会議室に目を真っ赤にしたキム・ユンソクが入ってきて、感想を語り始めた。ヤン監督は「本当に一つ一つのシーンの細かい部分まで鮮明に覚えていた。私の作品を愛してくださっていることを実感できて、幸せな時間だった」と振り返る。5時間にわたって熱弁したという。
そこへ「息もできない」の監督・主演で知られ、ヤン ヨンヒ監督の「かぞくのくに」にも出演したヤン・イクチュン、「ナヌムの家」「火車 HELPLESS」などで知られるピョン・ヨンジュ監督、映画祭事務局のメンバーも加わって一緒にヤン監督の作品について語り合ったという。
さらに別の上映日には、パク・チャヌク監督も「スープとイデオロギー」を見に来た。今年カンヌ国際映画祭で「別れる決心」で監督賞を受賞した、あのパク・チャヌク監督だ。やはり上映後は映画祭事務局の会議室で3時間にわたって感想を語ったという。「こんな映画を作るなんて…すごい。大したもんだ」と感嘆し、パク・チャヌク大ファンのヤン監督は「もう思い残すことはない」と感無量だったという。「スープとイデオロギー」のチョ・ヨンウク音楽監督がパク・チャヌク監督作の音楽監督を務めているという縁もある。
ドキュメンタリー映画祭は通常は地味な雰囲気だが、「スープとイデオロギー」にはセレブ映画人が続々やって来て、映画祭事務局もざわついた。「スープとイデオロギー」は平日の上映も含め満席続きで、一般の観客の評価も高く、ホワイトグース賞(最高賞)を受賞した。
その後、「スープとイデオロギー」はさらに昨年11~12月に開かれたソウル独立映画祭でも上映された。キム・ユンソクは、直接映画祭に連絡して「ヤン監督のGV(観客とのトーク)の司会をさせてほしい」と提案し、当日のサプライズゲストとして登壇した。
キム・ユンソクは映画監督でもあり、「未成年」は日本でも公開された。ヤン監督は「とても繊細な作品で好き。世代が違う、立場が違うそれぞれの女性たちに対する、監督の敬意と愛があふれる作品だと思う」と話す。ヤン監督の家族の中で特にオモニに関心を持っていたというのもうなずける。
一方、キム・ユンソクは日本で公開中の「モガディシュ」で、駐ソマリア韓国大使のハン・シンソンを演じている。ソマリア内戦から韓国と北朝鮮の大使館員たちが力を合わせて脱出するという1991年に実際にあった出来事をもとに作った映画だ。キム・ユンソクは「実話については知らなかった。シナリオに出てくるハン・シンソンは平凡な人物だが、劇的な瞬間に非凡なことを考える人物だと思った」と話す。
当時、韓国と北朝鮮は国連加盟をめぐって敵対していたが、同じ民族ゆえの情もある。韓国大使としては、北朝鮮大使館員たちを助けると、韓国大使館員が危険にさらされる可能性もあり、難しい判断を迫られた。キム・ユンソクは「ハン・シンソンの判断に納得できた。自分でも同じ選択をしたと思う」と語る。
内戦が繰り広げられるなか、飛行機の乗り場に車で向かうカーアクションなど、緊張感あふれるシーンが多かったが、「カーアクションはスタントマンと徹底した準備をして挑んだのでそこまで難しくはなかった。皆が一緒に脱出しなければならない状況そのものが難しかった。観客の共感を得なければいけないから」と話した。
手を取り合って命がけの脱出をした後は、南北分断の現実が待っている。二度と会えないであろう別れだ。どういう思いでエンディングを演じたのか問うと、キム・ユンソクは「これで最後という感情の前に、彼らの安全が最優先と考えた。最後まで緊張の解けない状況だった」と、ハン・シンソンの立場になりきって答えた。
最後に観客への一言をお願いすると、改めて「『スープとイデオロギー』は決して見逃してはならない作品。できればヤン監督のドキュメンタリー3本すべて見ることを勧めたい」と、強調した。「スープとイデオロギー」は韓国では今年秋に公開の予定だが、強力な助っ人たちが待っているようだ。
「モガディシュ 脱出までの14日間」写真 (c)2021 LOTTE ENTERTAINMENT & DEXTER STUDIOS & FILMMAKERS R&K All Rights Reserved.