酷暑順延ができない東京オリンピックのマラソン・競歩と、酷暑順延ができる夏の高校野球
![](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/nyomurayo/00153379/top_image.jpeg?exp=10800)
文部科学大臣の懸念
令和元年(2019年)11月27日の衆議院文部科学委員会において、萩生田(はぎうだ)光一文部科学大臣が述べた「アスリートファーストの観点で言えば、甲子園での夏の大会は無理だと思う」という発言が波紋を呼びました。
東京オリンピックのマラソンと競歩が、東京の夏の暑さは競技を行うのはふさわしくないとして、急遽札幌に変更になったという経緯を踏まえての発言と思います。
翌日のスポーツ新聞等では、夏の大会を秋の大会にすべきだとか、甲子園球場ではなく空調の効いたドーム球場で行うべきだとの多くの意見が取り上げられました。
萩生田文部科学大臣は、2日後の29日に「夏の甲子園大会を中止すべきと申し上げたつもりは全くない」と釈明し、「国際オリンピック委員会(IOC)のアスリートファーストの観点からすれば無理だという感想を述べたまでだ」と改めて真意を説明し、主催する日本高野連の自主性に任せたいと話しています。
ただ、一連の報道を聞いて、酷暑順延が事実上できない東京オリンピックのマラソン・競歩と、酷暑順延が可能な夏の高校野球とは対応が違うと思いました。
神戸の最高気温
夏の高校野球が開催されているのは、兵庫県西宮市にある甲子園球場ですが、ここに一番近い気象庁の気温観測所は、神戸地方気象台です。
神戸測候所や神戸海洋気象台の時代も含めて、120年以上の観測データがありますが、その中での最高気温は、平成6年(1994年)8月8日の38.8度です。
神戸は、大都市ですが、海からの風が吹きやすいことや、都市化による気温上昇が小さい都市ですので、極端な高温にはなりにくいと言われています。
最高気温が体温より高い37度を記録したのは15日です(表1)。
![表1 神戸における日最高気温ランキング](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/nyomurayo/00153379/image02.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
最高気温が35度以上の日を猛暑日と言いますが、最高気温が37度以上の日を酷暑日と呼びたくなります。
気温が体温以上になると体温調節が難しくなりますので、猛暑日よりも強い言葉が必要と思ったからです。
ここでは、37度以上の日を酷暑日と書きます。
神戸での酷暑日は、大正時代に1日、昭和時代に1日しかありません。
しかし、平成時代には13日もあります。
30年に1日あるかないかといった酷暑日が、平成時代には2年に1日の割合に急増しているといえるでしょう。
38.8度の気温での試合
夏の高校野球は大正4年(1915年)に始まっていますので、大正3年(1914年)8月6日の37.6度のときは、高校(当時は中等学校)野球は行われていません。
その後も、夏の高校野球大会が始まる前か、後に酷暑日が出現していますので、高校野球が酷暑日に行われたのは5日です(表2)。
![表2 高校野球大会における最高気温のランキング](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/nyomurayo/00153379/image03.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
その中で、一番高かったのは、平成6年(1994年)8月8日の38.8度です。
日本列島は西日本に居座る太平洋高気圧と、上空に大陸から張り出したチベット高気圧が重なり合い、低気圧や台風が近づけない強力な気圧配置になっており、8月6日に最高気温の記録がでたあと、翌7日に6日の記録を更新し、さらに8日に7日の記録を更新しました。
そして、この8日がこの年の夏の高校野球が開会した日でした。
「立秋」なのに「熱帯日本」 甲子園球児ら日射病でダウン
8日は立秋。しかし、日本列島は引き続き太平洋高気圧に覆われ、各地の気温はぐんぐん上昇。甲子園球場で開幕した夏の全国高校野球大会や富山県で開かれた全国高校総合体育大会では、日射病や熱射病で倒れる選手が出た。
甲子園で倒れたのは、開幕第一試合で浜松工(静岡)と対戦した佐賀商(佐賀)の〇〇選手(16)=2年。試合後の報道機関のインタビューを受けたあと、突然「気分が悪い」と吐き気などを訴え、救急車で西宮市内の病院に運ばれ、点滴などの治療を受け、回復に向かった。医師の診断では、軽い日射病だという。〇〇選手はこの日の試合に、4番・セカンドで出場。試合では4打数2安打と活躍し、元気良くプレーしていた。
神戸地方気象台によると、この日の気温は午後1時50分に38度を記録。球場のグラウンドでは40度を超えていたとみられる。
甲子園球場ではこの日、開会式の合唱担当の女子高校生数人も気分が悪くなって式典途中で退場したほか、観客も熱射病の五人を含め、熱当たりや寝不足などで26人が救護室に運ばれた。
出典:平成6年(1994)8月9日の産経新聞
当時、私は神戸の気象台の予報課長をしていました。
高校野球が始まると、気象台に甲子園球場の天気の問合せが急増します。
この時も増えたのですが、「もっと涼しくしろ」などのクレームが混じっていた記憶があります。
高校野球の酷暑順延
オリンピックなどの大きな国際大会になると、天気による変更が難しくなります。
令和元年(2019年)ラグビーのワールドカップは、台風19号による大雨で、予選の一部が中止となり、引き分け扱いとなりました。
これは、順延ができなかったからです。
東京オリンピックも、マラソンや競歩が予定された日が猛烈な暑さとなっても、順延ができないから、東京より気温が低い札幌へという話がでてきたと思います。
ただ、高校野球は違うと思います。
実際に雨天順延が行われていまので、酷暑順延というのがあってもおかしくないと思います。
最高気温が38.8度を記録した、平成6年(1994年)で考えてみます(表3)。
![表3 平成6年(1994年)8月の気温が35℃以上であった時刻(30℃以上は黒点、35℃以上は白丸、37℃以上は二十丸:大会は8日から21日の14日間)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/iwiz-yn/rpr/nyomurayo/00153379/image01.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
大会期間中に猛暑日は5日ありますが、長時間続いていたのは8月8日だけです。
また、多くの日で早朝や夜には気温が30度を下回っています。
つまり、平成6年(1994年)であっても、本当に厳しい暑さの時は酷暑順延をし、ナイターの試合を増やせば「アスリートファースト」の大会になったと思いますし、大会期間の増加も1~2日ですんだと思います。
表1、表2、表3の出典:気象庁資料より著者作成。