没後10年、稀代の作詞家「阿久 悠」のこと
今年、没後10年を迎える作詞家の阿久悠さん。都はるみ『北の宿から』、八代亜紀『舟唄』、そしてピンク・レディーの『UFO』など、ヒット曲は数えきれません。
母校から出版された評伝『阿久悠 詞と人生』
6年前、故人が遺した資料が母校に寄贈され、「明治大学 阿久悠記念館」が出来ました。先日出版された、吉田悦志『阿久悠 詞と人生』(明治大学出版会)は、日本文学が専門の明大教授による力作評伝です。
「小説を読むのは、どこか謎とき的な要素があるものだ」と言ったのは、『謎とき 村上春樹』(光文社新書)などの著者・石原千秋さんですが、本書を読むと、優れた「歌詞」もまた謎ときに値することがよくわかります。
阿久さんを読み解く第一の鍵は、戦中戦後を淡路島で駐在所の巡査として過ごした「父」の存在です。著者は、「自ら律することに頑固とも思える律儀さを抱えて生きた」阿久さんの原型をこの父に見ています。阿久さんの詞がそなえる独特の「品」もまた、父につながるものでした。
次の鍵は、「女性」への眼差しです。阿久さんは、それまで「女」として描かれてきた流行歌を、「女性」に書き換えることに挑みました。
『津軽海峡・冬景色』のヒロインは竜飛岬を見つめますが、泣き崩れてはいません。また「私は帰ります」は決意表明でもあります。「どうせ」や「しょせん」という言葉を使わない女性像の創出でした。
そして、謎ときの第三の鍵として挙げるのが「文学」。阿久さんは作品の中に、映画、テレビ、書籍、写真などから得たものを巧みに取り込みましたが、著者はその最たるものが文学だと指摘します。
たとえば大橋純子さんが歌った『たそがれマイ・ラブ』では森鴎外『舞姫』の内容が、『津軽海峡・冬景色』には『古今和歌集』の手法が生かされているというのです。
しかし、阿久さんは作詞作品を「文学」だと考えていたわけではありません。それは明らかに「商品」でした。「詞」と「詩」を厳密に分けていたのです。
そこにあるのは阿久さんならではのダンディズムであり、矜持であり、そして強烈なプロフェッショナリズムでした。
「やっかいな同居人」としてのテレビ
阿久さん自身が書いた本で今も忘れられないのが、1998年に出版された『第3の家族―テレビ、このやっかいな同居人』(ケイエスケイ→朝日文庫)です。
テレビで仕事をし、テレビを育て、テレビをとことん知る人の、テレビに対する“愛憎”が、じわりと伝わってくる評論風エッセイ集でした。
かなり辛口であるこの本で、阿久さんは「テレビ」について、こんなふうに語っています。
つくづくテレビジョンというものは、
悪魔の発明だと思ってしまう。
「テレビは人格を狂わすことがありますので、
見方には気をつけてください」と
絶対明記しなきゃ駄目だと、
ぼくは前からいってるんですよ。
鎮静のつもりが煽動となり、
警告のつもりが宣伝になり、
糾弾のつもりが評価になる。
この文章が書かれてから20年近く経った現在、テレビの位置づけも大きく変化しました。それでも、どこか当時以上に核心をつく言葉だと思ったりするのです。