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なぜ「FC町田トウキョウ」が炎上しているのか? クラブ名称変更をめぐるオーナーとサポーターの齟齬

宇都宮徹壱写真家・ノンフィクションライター
クラブ名称変更で揺れるFC町田ゼルビア。昨シーズンのJ2では4位に上り詰めた。

 台風19号の進路に、誰もが気もそぞろだった10月11日。J2リーグ所属のFC町田ゼルビアが、サポーターズミーティングを開催した。ミーティングの模様はネット配信され、町田サポーターのみならず他クラブのファンからも注目を集めていた。

 このミーティングには、昨年にクラブの経営権を取得した大手IT企業、サイバーエージェント(以下、CA)の藤田晋社長が登壇。クラブが今後目指すビジョンやリブランディング戦略を説明するとともに、新たなクラブ名を「FC町田トウキョウ」とすることを発表。すでにJリーグから承認を受けていることも明らかにした。

 その後の質疑応答で、最初に質問に立ったサポーターが「FC町田トウキョウというのはクソダサい!」と発言、会場から拍手が起こった。なぜオーナー側は「トウキョウ(東京)」にこだわり、町田サポーターは拒否反応を示すのか。サッカーファン以外には理解しにくい部分も少なくないだろう。

 なぜクラブ名称変更がミーティングの争点となっているのか。そしてなぜ、CA側とサポーターとの間に、深刻な齟齬が生じているのか。本稿では、ここに至るまでの経緯も含めた整理・検証を試みる。サッカーファン以外の皆さんにも、ご理解いただく一助となれば幸いである。

関東リーグ1部時代の町田。ゴール裏は芝生席で、ユニフォームもエンブレムも今とは異なる。
関東リーグ1部時代の町田。ゴール裏は芝生席で、ユニフォームもエンブレムも今とは異なる。

■ゼルビアのネーミングは「ケヤキ」と「サルビア」

 9月7日に行われた大宮アルディージャとのアウェー戦の終了後、町田のサポーター席から「このチーム名 エンブレムで積み上げてきたものはなんなのか」という横断幕が掲出された(参照)。きっかけとなったのは、特許庁に出願されていた「FC町田トウキョウ」という名称、そして新エンブレムや新マスコットと思しきデザインがSNSに流出したことであった。

 FC町田ゼルビアは1989年に設立。町田市はもともと「少年サッカーの街」として知られ、77年から活動を開始したFC町田のトップチームとしてスタートしている。「ゼルビア」がクラブ名に入るのは、東京都1部に昇格した97年から。ネーミングの由来は、町田市の樹(ケヤキ=ゼルコヴァ)と花(サルビア)である。

 町田が本格的にJリーグ入りを目指すようになったのは、関東リーグ2部で優勝した2006年からと記憶する。08年には運営会社となる株式会社ゼルビアが設立され、同年の地域リーグ決勝大会で優勝してJFLに昇格。09年にはJリーグ準加盟クラブとなり、12年には晴れてJ2リーグに昇格する。「東京都」ではなく「町田市」をホームタウンとしていることが、先行するFC東京や東京ヴェルディとの差別化という意味で目新しさが感じられた。

 しかし、その後の町田の歩みは順風満帆とは言い難く、むしろ苦難の連続であった。13年には、わずか1シーズンでJFLに降格。16年にJ2復帰を果たすも、ホームスタジアムの町田市立陸上競技場がJ1ライセンスの基準を満たさないため、どんなに好成績を残しても昇格できないという状況が続く。CAによる町田の経営権取得が発表されたのは、昇格の可能性のないままJ2での優勝争いを続けていた、昨年10月1日のことであった。

筆頭株主となった直後、町田のゴール裏にあいさつに赴いて歓迎を受けるCAの藤田晋社長。
筆頭株主となった直後、町田のゴール裏にあいさつに赴いて歓迎を受けるCAの藤田晋社長。

■「東京(トウキョウ)」を名乗るのは規定路線?

 実のところ、藤田社長が町田のホワイトナイトに名乗りをあげた時点で、クラブが「東京」を名乗る可能性は予想できていた。理由は2つ。まずCAが町田の経営権を取得する前に、ヴェルディにアプローチしていたこと。そしてCAも藤田社長も、町田市にまったく地縁がなかったこと(CAの創業の地は渋谷区であり、藤田社長は福井県鯖江市の出身)。

 ヴェルディの件については、06年にCAが日本テレビに次ぐ第2の株主として出資していたものの、成績不振などを理由に2年で撤退したという経緯があった。ゆえに、再びJリーグに参入するにあたり「仁義を切った」という見方もできよう(結局、モバイルゲームのアカツキが株式を取得することが決まっていたため断念)。だがそれ以上に、彼らが「東京のクラブ」というポジションに魅力を感じていたことは、今回の「トウキョウ」へのこだわりからも明らかだ。

 今も一定以上のブランド力があり、熱心なサポーターや固定ファンに支えられ、勝手知った部分も少なくないヴェルディが、CAにとって第1のターゲットであったのは間違いない。そのアプローチが不履行となった時、第2のターゲットとして彼らの視界に入ってきたのが、ヴェルディの近所で活動を続けていた町田。結果として11億5000万円という、大手IT企業にしてみれば実にリーズナブルな金額でクラブを傘下に収めることとなった。

 もちろんCAが(そして藤田社長が)「われわれは町田と共に成長していきます」という考えで、クラブの株式を取得した可能性もゼロではなかった。だが、それならヴェルディにお伺いをたてることなく、最初から町田に打診すればよいだけの話。そうしなかったところに、彼らが「町田」ではなく「東京」を求めていたことは、容易に想像できた。

「FC町田トウキョウ」へのネーミング変更は、町田市民のアイデンティティにかかわる問題となり得る。
「FC町田トウキョウ」へのネーミング変更は、町田市民のアイデンティティにかかわる問題となり得る。

■町田サポーターが「トウキョウ」に抵抗を感じる理由

 さながら神奈川県に打ち込まれたクサビのように、東京都から不自然に飛び出した地域。それが町田市である。東京のようで東京でない。「神奈川県町田市でも郵便物が届く」という都市伝説は、町田市民の鉄板の自虐ネタとなっている。良くも悪くも都民意識は希薄。それゆえ町田市民には「われわれは、東京ではなくて町田だ!」という、確固たるアイデンティティが存在する。

 ただでさえ愛着のあった「ゼルビア」が外されるだけでなく、心理的な距離感があった「東京」を、しかもカタカナで充てがわれる。地元へのロイヤリティが強い、ゴール裏のサポーターからすれば、二重の意味での当惑を禁じ得なかっただろう。「クソダサい!」と反発するのも当然である。サポーターの心情を逆撫でるリブランディングは、発表の手順を間違えたことと同じくらい、藤田社長のミスであったと言わざるを得ない。

 もっともクラブ名の変更そのものは、決して珍しいことではないのも事実である。登録商標の問題(アルビレオ新潟→アルビレックス新潟など)やホームタウンの広域化(ベルマーレ平塚→湘南ベルマーレなど)。そして最近では、地域以外から広くスポンサーを集めるために、名称変更を検討している栃木SCのケースもある(ただし栃木の場合、この件に関してはサポーターとの話し合いを重ねており、町田の事例とは大きく異なる)。

 経営を安定化させ、トップリーグに昇格し、いずれアジアや世界に挑んでゆく。そのためには町田限定でなく「トウキョウ」を名乗る必要があるというロジックは、ある程度の理解はできる。しかし「ゼルビア」を切り捨てることについて、藤田社長から説得力のある説明は最後まで聞かれなかった。それどころか「ゼルビアという名前は覚えづらい」という発言に、反発を覚えたサポーターも多かったはずだ。

 今回のサポーターズミーティングでは、クラブの名称変更は「いったん保留」ということになった。「ゼルビアの名前を残してほしい」という、若いサポーターの涙ながらの訴えが、あるいは藤田社長の心に響いたのかもしれない。クラブが成長していくことはもちろん重要だが、だからといって、それまでクラブを支えてきた人々が大切にしてきたものを簡単に奪ってよいという話にはならないはずだ。この件、引き続き注視することにしたい。

<この稿、了。写真はすべて筆者撮影>

※なお町田の名称変更の可能性については、宇都宮徹壱ウェブマガジンにて1年前から言及している。本稿執筆のベースとなった、2つのコラムは以下のとおり。

FC町田ゼルビアが「東京」を名乗る日 IT企業の子会社化は何をもたらすか?

「ゼルビー、いなくなっちゃうの?」マスコット変更という悪手を憂う理由

写真家・ノンフィクションライター

東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。『フットボールの犬』(同)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)で2016サッカー本大賞を受賞。2016年より宇都宮徹壱ウェブマガジン(WM)を配信中。このほど新著『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)を上梓。お仕事の依頼はこちら。http://www.targma.jp/tetsumaga/work/

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