日本でプレーした「MLBドラフト全体1~10位」。福岡ソフトバンクのスチュワートとは経緯が違うけれど
カーター・スチュワート(福岡ソフトバンクホークス)は、昨年のドラフトでアトランタ・ブレーブスから全体8位指名を受けた。
スチュワートとは経緯が違うものの、日本プロ野球でプレーしたドラフト1巡目の選手は、決して少なくない。調べたところ、全体10位以内に限っても、25人が見つかった。2010年以降は、ブライアン・バリントン(2002年・全体1位)とグレッグ・レイノルズ(2006年・全体2位)の2人が来日している。
そのなかで、1975年に全体3位で指名されたレスリー・フィルキンスは、メジャーリーグでプレーしたことがないという点で、スチュワートと共通する。デトロイト・タイガースに入団したフィルキンスは、マイナーリーグで8シーズンを過ごした後、広島東洋カープへやってきた。一軍出場は39試合。この年限りで選手生活を終えた。ちなみに、1975年のドラフト上位5人のうち、メジャーデビューできなかったのはフィルキンスだけではない。こちらも来日した、全体1位のダニー・グッドウィンを除き、2~5位の4人はマイナーリーガーのまま引退した。
グッドウィンにとって、1975年の指名は2度目の全体1位だった。その4年前にも全体1位で指名され、この時は高校から大学へ進んだ。
同じ年の全体1位と2位もいる。1978年に指名されてプロ入りした、ボブ・ホーナーとロイド・モスビーの2人だ。この年のドラフト1巡目では、彼らの他に、全体18位のレックス・ハドラーと24位のマット・ウインタースも日本でプレーした。
また、1966年の全体7位と10位、レロン・リーとジム・ライトルは、来日直前に同じチームで過ごした。1976年7月にモントリオール・エクスポズから解雇されたライトルが、その翌月にリーのいるロサンゼルス・ドジャースと契約した。メジャーリーグにおける2人のラストゲームには、対戦チームの選手として、後に千葉ロッテマリーンズの監督となるボビー・バレンタインも出場している。1968年のドラフトで、バレンタインは全体5位指名を受けた。