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ジブラルタルは「植民地」とEUからお墨付き。欧州議会の隠れ爆弾法2:イギリスEU離脱ブレグジットで

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
イギリスのクロード・モーライス欧州議員。労働党の人。(写真:ロイター/アフロ)

前回の続きです。

今回はちょっと複雑です。

◎前回の記事:崖っぷちのイギリス人に超意地悪なヨーロッパ人はだれ?:欧州議会の隠れ爆弾法1

なぜあれほど沢山のイギリス人議員が、反対票、あるいは棄権に投じたのだろうか。フランスやドイツに日帰り出張するのにもビザが必要になってしまうではないか。

「隠れ爆弾」というのは、ジブラルタル問題なのである。ジブラルタルとは、地中海に面したスペインの突端にある、イギリスの海外領土である。

面積は山中湖くらい。人口約3万2000人。多種多様な人々が住む。
面積は山中湖くらい。人口約3万2000人。多種多様な人々が住む。

この法案が欧州議会で可決されたことで、とうとう「ジブラルタルはイギリスの植民地である」と、欧州連合(EU)の完全なお墨付きをもらってしまったことになった。

しかも「イギリス王領植民地」である。

もしイギリスが合意なき離脱をしたら、遠くない将来ジブラルタルを失うのは間違いなしと感じさせる結末だ。

なんといっても、この欧州大陸にいまだに「植民地」があると、議会で公式に認めてしまったのだからーーもしイギリスが合意なき離脱をするならば。

「主権を取り戻す」という保守のイギリス人は、自分の国の領土が減るのはOKなのだろうか。

<今までのあらすじ>

以前に、ジブラルタル問題を説明した長い記事をアップしている。以下に短く説明してみたい。

ジブラルタルの大問題:英国はこの地も将来失うか。ブレグジットでイギリス VS スペイン+EU26カ国

スペインは、常々ジブラルタルの主権を取り戻そうと狙っていた。スペイン継承戦争の結果、ユトレヒト条約で1713年に英国に割譲されてしまってから、ずっとそうだった(世界史の授業を思い出します)。

ブレグジットはスペインにとって、300年待って訪れた、千載一遇のチャンスなのだ。

ジブラルタルは、EU離脱を問う国民投票では95.9%が「EU残留」を選択。飛び抜けて親EUの地域である。

しかし同時に、2002年に同地で行われた住民投票では、99%の住人が英国とスペインの共同主権を拒否、英国であることを望んだのだった。

さて、EUはというと、今までずっと中立の立場だった。

国連ではジブラルタルは、欧州に残った唯一の「植民地(自治のない領土)」ということになっているのだが、EUは特に関知しなかった。EUの中では、スペインよりも英国のほうが力が強く、民主主義度が高かったこともあるだろう。加盟した年も、英国は1973年、スペインは1986年と、スペインのほうが新参者(?)である。

英国がEU離脱を選択したことで、北アイルランドだけではなく、ジブラルタルが火種になっているのはわかっていたので、EUとしては、ちゃんと方策を用意していた。

3月29日のイギリスの合意がある離脱後に、両国がテーブルについて、3つの2国間委員会を創設して、6つの主要な問題に取り組むことを規定していた。ジブラルタル問題には、英国とスペインの両方の了承がなければ、EUは何もしないことになっていた。

しかし、合意文書の締切の直前ギリギリに、スペインは「文書の中に6行紛らわしい記述がある」と文句を言ってねじこんできた。そしてスペインのみの拒否権を、EUに認めさせてしまった。

これで味をしめたせいだろうか、スペインは「EU26カ国が後ろ盾だ!」と豪語する強気が止まらなくなってしまったのだ。

その後、英国下院は、あれほど苦労してつくりあげた合意文書を大差で否決してしまった。この反感もEU側にはあったのだと思う。

EU側では、合意なき離脱に備えはじめた。スペインは、文書の脚注の下のほうに小さい字で「ジブラルタルはイギリス王領植民地」と入れさせるのに成功したのだった。

イギリス人議員の孤独な戦い

思えば、こうなるのは当然の成り行きだったのだ。

前回の記事は、閣僚理事会(27カ国大臣の集まり)で「ジブラルタルは植民地」と書かれた書類が承認されたという話だった。

次の手続きとして、欧州議会での採決になるのは、わかっていたことだ。

しかし、「こんな採決を欧州議会でさせるものか!」と頑張ったイギリス人がいた。

クロード・モーライスといって、英労働党から選出された欧州議員だ(つまり左派)。そして欧州議会の「市民の自由と公正と内政」委員会の委員長だ。

氏は断固拒否した。「これは政治問題であって、制度の問題ではない!」と言って。

そして、加盟国の大臣たちに対するスペイン側の強力なロビーイングと、スペインの政治家やメディアからのすさまじいプレッシャーを非難した。

この法案が「市民の自由と公正と内政の委員会」の担当とされたのにも、抗議した。この委員会にまわってきたということは、ここが議会における交渉の担当ということになり、委員長、つまり彼が議会でレポーター役をつとめることになる。

なぜこの委員会にこの法案がまわってくるのだ、なぜ自分がレポーターの役割をしなくてはならないのだ、これもそれも、政治問題を制度の問題にするからだ、と言いたいのだと思う。そして自分の立場の独立性を主張した。

この問題については、5回話し合いがあったというが、進展はほとんどなし。

とうとう欧州議会議長が乗り出してきた。議長のタイヤーニ氏は、数百万人の人々の移動に関することだから、この法案は可決しないわけにはいかないと、モーライス氏にこの役を降りることを求めたが、氏は拒否した。

結局、大政党の党首が解決にあたった。欧州議会の第1党(中道右派のEPP)と、氏の属する第2党(中道左派のS&D)の党首が、彼をこの役から強制的に解任した。前者の党首はドイツ人のマンフレッド・ウエーバーで、次の委員長(ユンケル氏の後継)の有力候補、後者の党首はイタリア人のジャンニ・ピッテラである。

モーライス氏は、「スペインがこの文書を人質に取ったとわかったのが遅すぎた」と言って嘆いている。

でも仕方ないのだ。27加盟国の首脳や大臣が集まる会議には、もうイギリス人はいない。英国は正式に離脱を通告したからだ。決めごとの詳細が公表されたときは、既に27加盟国の大臣や首脳の合意が取れているときだ。自分の国が参加していない組織の内部で何が起こっているかわからないのは、当たり前だ。

ただし欧州議員だけは、市民に直接選ばれた人たちだから、立場が少し違う。イギリスが完全に離脱するまでは、イギリス人議員は欧州議会にいる(今の議員全員の任期は7月1日に終わる)。

珍しい野蛮

さて、なぜこの法案にジブラルタルの話が書いてあるかというと、イギリス人が90日間はビザ無しで旅行できるのはどこなのか、はっきりさせないといけないからだ。

この法案を見ると、EU加盟国ではないスイスはどうとか、リヒテンシュタインはどうとか書かれている。

それでも、何も「ジブラルタルはイギリス王領植民地」などと、この法案に書く必要はなかったのに。徹底的にスペインにしてやられた。イギリス側の完全な敗北である。

でも、なんだか野蛮だなあと感じてしまう。そして、そう感じる自分に驚いている。このように領土めがけて国益がムキダシになった行動を見るのは、欧州という舞台では極めてまれというか、もう存在しないのだと思う。

世界史で暗記させられた欧州の国々の争いは、完全に歴史であって、過去の話になっているのだ。これもEUのおかげなんだなと、改めて気づいた(この程度でも野蛮なのです。超ド級の野蛮がすぐ近くにある日本は、本当に恵まれていない。一緒にレベルが下がってしまわないか不安)。

ジブラルタルの自治政府長のピカルド氏は「ジブラルタルの人々は、モーライス氏が行った優れた仕事を忘れないだろう。 また、人々の権利を無視して、国粋主義的な脚注を載せることを企てた人々のことも、決して忘れないだろう」と言った。

モーライス氏の代わりを務めたのは、彼と同じく左派で、ブルガリアの議員セルゲイ・スタニシェフだった(ブルガリアという、英国の騒動とはかなり遠いところから連れてくるのも、人事に味があるなあと思う)。

彼は「ジブラルタルの事件で交渉が阻止されたことは、秘密ではない。結局、議会がその責任を引き受け、市民の利益を最優先にした」と語り、欧州理事会(27カ国首脳会議)の「無責任なアプローチ」を批判した。

ともかく、イギリス人にもEU市民にも、日帰り旅行ですらビザが必要になるようなことになってはいけない。たとえ合意なき離脱であっても。

だからこの法案は、欧州議会のほぼすべての欧州政党から過半数の支持を受けることになった。

でも一つだけ、反旗を翻したグループがいた。フランスの極右であった。

続く

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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