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「自国第一主義イコール反民主主義」なのか-民主主義の罠に陥る世界

六辻彰二国際政治学者
医療費をめぐる問題で記者の質問に反論するトランプ大統領(2019.5.9)(写真:ロイター/アフロ)
  • トランプ大統領など自国第一主義の台頭を指して田原総一朗氏は「反民主主義」と表現した
  • しかし、自国第一主義の台頭は民主主義の原理にのっとったものである
  • むしろ、この現象は「反自由化」の流れを表している

 ジャーナリストの田原総一朗氏は先日、トランプ大統領に代表される自国第一主義者が反民主主義を掲げていると指摘したうえで、以下のように述べた。「トランプ大統領は自分の主張にいささかでも抵抗する政府の幹部たちを次々に更迭している。とても民主的なやり口とは思えない

 グローバル化で格差が蔓延し、それを推し進めた政治家、官僚、大企業などへの不満が増幅するなか、これまでの国際的な取り決めやルールをひっくり返してでも「自分たちの利益」を確保しようとする動きが広がっている、という田原氏の認識に異論はない。また、その中心人物たちに強権的な手法が目立つ、ということにも同意する。

 しかし、それを「反民主主義化」と呼ぶことには賛同できない。なぜなら、トランプ氏をはじめとする強権的で排他的なリーダーたちも民主的な手続きにのっとって登場し、多くの国民の支持を集めているからだ。

 また、反対派の排除も、実は民主主義の原理に即したものである。アメリカの場合、閣僚は国民に選ばれた議員ではなく、大統領に選任されるスタッフに過ぎない。そのため、大統領に異を唱える閣僚が次々と更迭されることは、トランプ氏のワンマンぶりを示すとしても、大統領が国民から負託されている以上、民主主義の原理に反するものではない。

 そのうえ、自国の利益を優先させること自体は反民主主義的ではない。多くの開発途上国では1990年代以来、主に先進国からの要請に沿って市場経済化や自由貿易が進められたが、多くの場合これは貧困を増幅させるものと国民の間で評判が悪かった。これに照らせば、自国第一主義が海外からの要求より国民の意思を優先させることは、外交上問題があるものの、民主主義の原理には適うといえる。

民主主義は万能ではない

 さらにいえば、もともと民主主義は少数派に寛容とは限らない。原理としての民主主義は、国民が主権者として政治に参加することで、いわば「多数派の意思を全体の意思にする」システムだ。多数派の意思を尊重する裏返しで、純粋な民主主義には「少数派の権利も守られるべき」という観念は薄い。

 そのため、移民や外国人に憎悪を隠さない人々が多くなった時、少数派を排除しようとすることは、それが暴力をともなわないかぎり、民主主義に反するとは言えないことになる。

 おそらく田原氏には民主主義は規範的に良いものという考えが強いのかもしれない。しかし、あらゆる思想信条がそうであるように、民主主義とて万能ではない。

 古典的な例で言えば、ナチスもまた、当時世界で最も民主的といわれたワイマール憲法にのっとって1933年選挙で勝利し、権力を握った。現代に目を転じれば、多くの国でそれまで社会的に抑え込まれてきた極右勢力は、政治に参加しようと声をあげているのであって、その意味では主権者としての権利回復を目指す動きともいえる。

反民主主義化ではなく反自由化

 より厳密に言うなら、世界は反民主主義化しているのではなく、反自由化している。

 民主主義と自由は、ともすれば混同されやすいが、基本的には全く異なるだけでなく、時には鋭く対立するものでもある。

 先述のように、民主主義とはいわば「多数者の支配」をよしとする原理だ。これは歴史的には専制君主を打ち倒す理念となったが、入れ違いに国民の負託さえあれば何でも許されるという思考から、ナチス台頭に象徴されるように「独裁者」を生む温床にもなってきた。

 これに対して、自由とは何人たりとも犯せない権利を個人に認める原理で、「少数者の権利」を擁護することにつながる。たとえ多くの人間が賛成したとしても、ユダヤ人が虐殺されるべきでなかったのは自由のゆえであり、民主主義のゆえではない。

 今の世界を見渡せば、少なくとも先進国では、デモが力づくで鎮圧されたり、特定の人々が投票を制限されたりといった、政治への参加の機会が制限されることは稀だ。つまり、多数者になることを目指す民主主義が制約されることは、ほとんどない

 むしろ目立つのは、トランプ政権による移民受け入れ制限やメディア批判に象徴される、表現の自由、思想信条の自由、報道の自由、移動の自由などの制限だ。これらは要するに、多数者によって少数者が抑圧されているのであり、民主主義の観点からよりむしろ自由の観点から問題が多い。

政治に熱心になるより重要なこと

 世界が反民主主義化しているのではなく反自由化しているのだとすれば、おのずと課題も変わってくる。

 民主主義が衰退しているのだとすれば、それを再生するため、「政治に熱心な人を増やすこと」が必要になる。しかし、移民など少数者の排除が進み、異なる意見の排撃が相次ぐ現状は、政治に熱心すぎる人の増加を意味する。

 そのなかにあって重要なことは、むしろ「政治に熱心すぎる人から権利を守ること」になる。具体的にはリアル空間だけではなくネット空間でもヘイトスピーチを取り締まること、そのための法的基盤を整備すること、メディアの自由を確保すること、政治権力に介入されることなく権利を保護するための司法の独立などがある。

 これらの点で、日本は先進国のなかで取り組みが進んでいるとはいえない。田原氏は今こそ日本が国際的に民主主義を促進する役割を果たすべきと結論しているが、そうしたハードルの高すぎる課題に手を出す以前に、手遅れになる前に日本国内での反自由化に歯止めをかけることを優先すべきだろう。これも一つの自国第一主義かもしれないが。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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