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内戦15年後のスリランカ戦場跡探訪~②独立派ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」が使用していた武器

黒井文太郎軍事ジャーナリスト
分離独立派ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」の珍しい3連装突撃銃

※内戦終結15年後のスリランカ戦場跡探訪 ~①知られざるスリランカのキリング・フィールド(2024 8/31)はこちら

東部の港湾都市・トリンコマリー

 スリランカの分離独立派ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)は、1983年の武装蜂起以降、同国の北部と東部に広い支配地域を確保していました。しかし、2004年に東部の有力グループが内部抗争で分派して勢力が減退。2006年からの政府軍の攻勢で、翌2007年には東部の支配地域を喪失。以後、東部は政府の支配下に置かれました。

 その旧LTTE勢力圏の東部の中心が、北東部の港湾都市・トリンコマリーです。内戦当時、トリンコマリー南方の湾の対岸になるサンプールでは激しい戦闘が行われたといいます。

↑2007年までのLTTE勢力圏(※赤斜線部分は筆者作成)
↑2007年までのLTTE勢力圏(※赤斜線部分は筆者作成)

 その後、2009年にLTTEは壊滅し、内戦は終わりました。トリンコマリーは東部最大の都市として発展し、今ではスリランカ有数のビーチリゾートに変貌しています。

↑ビーチリゾートは主にトリンコマリーの北部の海岸にある。ダイビングや鯨ウォッチングも人気。
↑ビーチリゾートは主にトリンコマリーの北部の海岸にある。ダイビングや鯨ウォッチングも人気。

↑スリランカのビーチリゾートの中心は同国南西部だが、夏はそちらが雨季にあたり、東部海岸が乾季となるため、トリンコマリー北部のビーチリゾート「ウプベリビーチ」は主にヨーロッパからの観光客で賑わっていた。
↑スリランカのビーチリゾートの中心は同国南西部だが、夏はそちらが雨季にあたり、東部海岸が乾季となるため、トリンコマリー北部のビーチリゾート「ウプベリビーチ」は主にヨーロッパからの観光客で賑わっていた。

↑トリンコマリーのダウンタウン。中心都市コロンボに比べるとだいぶ地方都市の趣。外国人観光客のほとんどはビーチリゾートに行ってしまうため、あまり姿は見かけない。通りには貴金属取引の店が多い。
↑トリンコマリーのダウンタウン。中心都市コロンボに比べるとだいぶ地方都市の趣。外国人観光客のほとんどはビーチリゾートに行ってしまうため、あまり姿は見かけない。通りには貴金属取引の店が多い。

日本軍の空爆で戦死した将兵の墓地

 筆者はトリンコマリー北部のビーチリゾートのゲストハウスに宿泊しましたが、なんとそこから徒歩10分のところに、軍の墓地がありました。第2次世界大戦中にこの地で戦死したイギリス軍将兵の墓地です。

 見ると、日本軍による空爆で戦死した将兵の墓碑もそこにはありました。日付は1942年4月9日。この日、日本軍はトリンコマリーを空爆。英軍警備艦「エレバス」も至近被弾し、同艦乗組員の水兵7名が戦死しています。

陸軍の宣伝施設「オーアーズヒル陸軍博物館」

 トリンコマリー南部の湾に突き出たオーアーズヒル地区に、スリランカ陸軍は2016年、簡素な施設「オーアーズヒル陸軍博物館」を開設しました。いちおう陸軍の博物館として同軍の古い退役戦車や装甲兵員輸送車なども展示されていますが、メインは「LTTEから鹵獲した武器」です。開設の際の記事を発見しましたが、陸軍司令官がじきじきに参列し、「テロリストとの戦いの勝利」を大々的に宣言していました。つまり、政府軍の宣伝のための施設です。

↑勇敢な兵士の肖像は、こうした政府軍施設の定番。
↑勇敢な兵士の肖像は、こうした政府軍施設の定番。

↑政府軍が戦果を挙げた主要な作戦を解説するパネルも展示されている。こちらはトリンコマリー南方の湾の対岸・サンプールに陣取ったLTTEを、スリランカ陸軍第57師団が攻略した作戦を示す図。
↑政府軍が戦果を挙げた主要な作戦を解説するパネルも展示されている。こちらはトリンコマリー南方の湾の対岸・サンプールに陣取ったLTTEを、スリランカ陸軍第57師団が攻略した作戦を示す図。

↑政府軍の側の施設なので、掃討作戦を「人道的作戦」と表記。
↑政府軍の側の施設なので、掃討作戦を「人道的作戦」と表記。

「タミル・イーラム解放のトラ」の武器ルート

 1976 年結成のLTTEは少数民族・タミル人の組織で、基本は民族主義的な組織ですが、タミル人の主流であるヒンズー教の影響はあまりなく、時代的な背景もあって左翼系ゲリラの系譜になります。インド政府とも敵対し、人脈的にはインド共産党毛沢東主義派と近かったのですが、キューバ革命を指導したチェ・ゲバラを英雄視してもいました。

 ただ、海外の左翼勢力との連携はあまりなく、それより外国のタミル人同胞社会から大きな支援を受けていました。もっとも密接だったのがインド南部タミル・ナードゥ州の同胞社会で、他にもイギリス、南アフリカ、シンガポールの同胞社会から支援を受けていました。

 LTTEの武器は、80年代前期の内戦初期は、主にアフガニスタンから旧式の個人用武器をインド・パキスタン国境経由で調達していました。爆薬はインドの闇市場での調達です。その後、勢力拡大につれて大量の武器が必要になり、レバノン、キプロス、シンガポール、マレーシアなどの武器商人から入手しました。武器密輸拠点はミャンマー、タイ、マレーシア、カンボジア、インドネシアなどです。

 90年代以降は、主に旧ソ連諸国の武器商人と北朝鮮から購入しています。そのため、内戦後期のLTTEの武器は、旧ソ連製武器の中国コピー版がたいへん多くなっています。

 LTTEが調達した武器の多くは歩兵用のもので、それも安価な旧式のものが多く、独自に修理したり改造したりして使っていました。ただ、最盛期は11個師団もの軍隊を運営していたので、各種装甲車も調達していました。また、海軍「シータイガース」、空軍「エアタイガース」も運用しており、小型の高速艇、潜水艇、航空機も持っていました。LTTE独自の部隊としては、自爆テロ部隊「ブラックタイガース」があり、自爆ベストなどは自前で製造していました。

「タミル・イーラム解放のトラ」から鹵獲した武器

 トリンコマリーの陸軍博物館に展示されていたLTTEの武器を紹介します。特徴としては、前述したように旧ソ連製武器の中国コピー版があること、そして独自の改造を加えたなかなか他では見ないものがあることでしょうか(名称は展示での表記に拠ります)。

↑12 連装小型ロケット発射機
↑12 連装小型ロケット発射機

↑展示説明文には「ガス弾砲」とある。
↑展示説明文には「ガス弾砲」とある。

↑25mm機関砲
↑25mm機関砲

↑140mm砲
↑140mm砲

↑4連装20mm機関砲
↑4連装20mm機関砲

↑30mm連装砲
↑30mm連装砲

↑82mm砲
↑82mm砲

↑20mm機関砲
↑20mm機関砲

↑12口径銃
↑12口径銃

↑7.62mm狙撃銃
↑7.62mm狙撃銃

↑42mmランチャー
↑42mmランチャー

↑37mmランチャー
↑37mmランチャー

↑実戦での使用は珍しい3連装T56 突撃銃。
↑実戦での使用は珍しい3連装T56 突撃銃。

↑T56 突撃銃を大型三脚に固定したもの。
↑T56 突撃銃を大型三脚に固定したもの。

↑狙撃用T56突撃銃
↑狙撃用T56突撃銃

↑現代戦で実戦で使われるのは珍しいクロスボウ。
↑現代戦で実戦で使われるのは珍しいクロスボウ。

(以上、写真はいずれも黒井文太郎撮影)
(以上、写真はいずれも黒井文太郎撮影)

※【内戦15年後のスリランカ戦場跡探訪 ~③分離独立派ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」の本拠地をゆく】に続く

軍事ジャーナリスト

1963年、福島県いわき市生まれ。横浜市立大学卒業後、(株)講談社入社。週刊誌編集者を経て退職。フォトジャーナリスト(紛争地域専門)、月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。ニューヨーク、モスクワ、カイロを拠点に海外取材多数。専門分野はインテリジェンス、テロ、国際紛争、日本の安全保障、北朝鮮情勢、中東情勢、サイバー戦、旧軍特務機関など。著書多数。

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