内戦終結15年後のスリランカ戦場跡探訪~①知られざるスリランカのキリング・フィールド
26年間も続いた凄惨な内戦
筆者は現在、軍事専門誌をメインに国際紛争の分析記事を執筆していますが、80年代半ばから90年代半ばにかけては、世界各地の紛争地の取材をしていました。最初の紛争地体験は1984年のイラン=イラク戦争のイラン側前線やパレスチナのガザ地区などで、最後は1997年のアルバニア暴動になります。その間、東南アジア、中東、アフリカ、ユーラシア、中南米とさまざまな戦争を取材しましたが、同時期の紛争で最後まで現地取材する機会がなかった場所がありました。南アジアのスリランカです。
スリランカでは多数派民族・シンハラ人主導の政府に対し、分離独立を求める少数民族・タミル人のゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が戦いを挑んでいました。内戦の勃発は1983年で、LTTE敗北による終戦は2009年。実に26年間も内戦状態にあったわけです。内戦前期はまさに筆者の紛争地取材の時期と被っており、何度か取材計画を立てたことはあったのですが、他の取材を優先して後回しにし続けてしまったという経緯でした。
そこでこの夏、15年前の戦場跡地を旅してみようと思い立ちました。内戦当時に取材できなかったことが心残りで、せめてその跡地だけでも見ておきたいと考えたからです。
最後の激戦地へ
取材の目的地のひとつは、最初から決めていました。スリランカ北東部の海岸に接する辺境の地で、北部州ムッライティヴ県ムッライティヴの北部のベラマリマイカルという狭い地域です。そこは2009年にLTTEの残党が最後に逃げ込んだ地域で、そこを政府軍が苛烈な包囲戦で殲滅した戦場でした。LTTEの最高司令官ヴェルピライ・プラバカランもその最終段階で、その地で戦死しています。
隠されてきた「キリング・フィールド」
その当時のことを追ったイギリスの衝撃的なドキュメンタリー作品があります。2013年に英チャンネル4で放送された「ノー・ファイア・ゾーン~スリランカのキリング・フィールド」(No Fire Zone: In the Killing Fields of Sri Lanka)という作品です。この作品はとくにこの地で起きた最後の数か月について詳細に調査し、政府による無差別砲撃や超法規的処刑によって数千人ものタミル人住民が殺害された様を描いています。
スリランカ政府は今でもその事実を認めていませんが、後に政府要人が事実と認めたことを英BBCも報じており、今や隠しようのない事実であることは明白です。同作品はリベルテ映画祭最優秀映画賞、ニュルンベルク映画祭観客賞、オスロ国際映画祭問題作賞などを受賞したほか、2014年の国際エミー賞の最優秀ドキュメンタリー賞にもノミネートされました。
※「NO FIRE ZONEの公式サイト」 https://nofirezone.org/
それまでスリランカでは、政府は「LTTEはテロ組織であり、政府軍の人道的作戦によって住民を解放した」と主張しており、政府軍側の記念碑は数多く建てられましたが、タミル人側の内戦関連施設の建設は事実上、禁止されてきました。しかし、この作品がきっかけでこの最終戦場が世界的にも注目され、2014年、その地に犠牲者追悼の像が設置されました。その像と、周辺の戦場跡を見てみたい……筆者はそう考えたのです。
その最終戦場は、インド洋とラグーン(礁湖)に挟まれた幅2kmほどの細長い回廊になっています。密林のような場所を予想していたのですが、そうではなく、開けた野原が広がる景色でした。一部に樹木が密生した場所や、湿地帯もありましたが、広くはありません。そんな景色の中に民家が点在しています。そんな集落でLTTEは住民の中に立て籠もり、それを政府軍は三方から(東はインド洋)無差別攻撃し、住民に凄まじい犠牲者を生んだのです。
政府は「風化」を狙っているが
破壊の跡は、今ではかなり綺麗に整地されています。砲撃や銃撃で壊された家屋の多くは取り壊され、あるいは全面的に改修され、ぱっと見には戦争の痕跡はほとんど見えません。現在も工事作業員やトラックが往来し、大規模な整地作業と道路建設が行われています。住民に話を聞いても、こちらを警戒してあまり当時の話はしてくれません。
そんな村の一角に、2014年に作られた「犠牲者追悼像」はポツンと佇んでいました。グーグルMAPに位置が表示されていましたが、実際はかなりズレており、地元住民に尋ねながらなんとかたどり着きました。すぐ隣に大きな古いキリスト教会があり、そこでも悲惨な光景が繰り広げられたそうです。教会には当時を偲ぶ追悼碑が設置されていました。
追悼像が設置された当時は訪ねる人もそれなりにいたそうですが、今ではほとんどこの地を訪れる人もいないとのことです。26年も続いた内戦で、その最後にまさにキリング・フィールドになった土地ですが、一見するだけでは戦場跡の空気感はほとんど感じられません。その背景には政府による「風化」政策がありますが、それでもいまだに政府の多数派シンハラ人優遇は存在しますし、民族間の軋轢もあるとのこと。ですが、表面上は山羊や牛が草を食む、のどかな風景しかありません。
※内戦15年後のスリランカ戦場跡探訪 ~②独立派ゲリラ「タミル・イーラム解放のトラ」が使用していた武器」(2024 9/1)に続く