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史上初の本拠地でのスーパーボウル優勝に貢献した元WWE王者グロンクが元IWGP&三冠王者ベイダー超え

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
第55回スーパーボウルでタッチダウンを決めたロブ・グロンコウスキー(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 梶原一騎先生の『プロレススーパースター列伝』で育った昭和のプロレスファンにとって、未知のスポーツ「アメリカンフットボール」は強さと男らしさの象徴だった。

 第一巻で主役を張った「ザ・ファンクス」ことドリーとテリーのファンク兄弟はともにウエスト・テキサス州立大学でアメフトをプレーしていた。

 アメリカの大学アメフト事情に詳しくなかったプロレススーパースター列伝の読者は、ファンク兄弟を始め、「不沈艦」スタン・ハンセン、「超獣」ブルーザー・ブロディ、「アメリカン・ドリーム」ダスティ・ローデス、「億万長者」テッド・デビアスら多数の大物プロレスラーを輩出したウエスト・テキサス州立大学こそがアメリカ最強のアメフト・チームだと信じていた。

 そして、プロレススーパースター列伝は、アメリカに大学アメフトの上に「NFL」というプロリーグがあることも教えてくれた。

過去にはレッスルマニアでプロレスラー対NFL選手のバトルロイヤルも実現

 アメリカのプロレスラーの多くは大学でアメフトをプレーして、NFLに所属したプロレスラーも少なくはない。

 だが、NFLの最高の舞台、「スーパーボウル」を経験したプロレスラーとなると限られてくる。

 1986年開催のレッスルマニア2では、「プロレスラー対NFL選手」の20人バトルロイヤルが開催され、同年1月の第20回スーパーボウルでタッチダウンを記録してシカゴ・ベアーズの優勝に貢献した「冷蔵庫」ウィリアム・ペリー、第12回スーパーボウルのMVP、ハーベイ・マーティンら6人のNFL選手が参加して、アンドレ・ザ・ジャイアントらのプロレスラーと戦ったが、彼らは「限定参戦」でプロレスの王者にもなっていないので今回は触れない。

 1995年のレッスルマニア11でも、NFL史上最高の守備選手の一人と名高いローレンス・テイラーがメインイベントに登場。プロレス界で年間最大のビッグイベントのメインイベントがタイトルマッチではなく、NFL選手の試合だった。「素人相手」に定評があるプロレスの名手、「刺青獣」バンバン・ビガローとシングルマッチで戦ったテイラーは、3カウントを奪ってフォール勝ちしたが、彼もまた「限定参戦」だった。

主要プロレス団体の王者にもなったスーパーボウル王者のマクマイケル

 プロレスラーとして実績があり、スーパーボウルにも出た選手と言えば、「モンゴ」スティーブ・マクマイケルの名前が挙がる。

 ペリーのチームメイトとしてベアーズの第20回スーパーボウルの優勝に貢献したマクマイケルは、NFLで15年間プレーして、プロボウル(オールスター)に2度選ばれた実績を持つトップクラスの選手だった。

 NFLを引退後、39歳でプロレスラーに転身。「貴公子」リック・フレアーが結成した「ザ・フォー・ホースメン」のメンバーとしてリングでも活躍して、テリー・ファンクやハンセンも腰に巻いたことがあるWCW USヘビー級(元NWA USヘビー級、現WWE USヘビー級)のチャンピオンにもなっている。

IWGPと三冠のベルトを手にしたベイダーもスーパーボウルに「出場」

 しかし、なんと言ってもスーパーボウル「出場」選手の中で最もプロレス界で活躍したのは、「皇帝戦士」ビッグバン・ベイダーだろう。

 日本でのプロレス・デビューはビートたけし率いるTPG(たけしプロレス軍団)からの刺客という「色物扱い」だったベイダーだが、日本での初戦でアントニオ猪木からピンフォール勝ちするなどプロレスの実力は本物だった。新日本プロレスの至宝であるIWGPヘビー級王者と、全日本プロレスの象徴である三冠ヘビー級王者の両方に輝いただけでなく、UWFインターナショナルでは高田延彦からプロレスリング世界ヘビー級のベルトを奪い、アメリカでもWCW世界ヘビー級チャンピオンになっている。

 ビッグバン・ベイダーことレオン・ホワイトは、コロラド大学のアメフト部でセンターとして活躍したアメフトの有望選手だった。

 1978年のNFL新人ドラフトでは、ロサンゼルス・ラムズから3巡目指名を受けて入団した。

 ホワイトのNFL2年目のシーズンとなった1979年、ラムズはレギュラーシーズンを9勝7敗で終えプレイオフに出場すると、前年のプレイオフで完敗を喫したダラス・カウボーイズを倒す番狂わせを起こす。NFC決勝戦ではタンパベイ・バッカニアーズに辛勝して、球団初となるスーパーボウル出場を果たした。

 このシーズンのスーパーボウルの舞台は、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にあるローズボウル。ラムズの本拠地はローズボウルではなく、メモリアル・コロシアムだったが、2つのスタジアムの距離は22キロしか離れていなく、実質的にはラムズのホームタウンで開催されたスーパーボウルだった。

 ラムズはこの第14回スーパーボウルで、ピッツバーグ・スティーラーズに敗れたために、ホワイトは「地元開催」のスーパーボウルで優勝するという快挙を逃してしまった。

ベイダーが逃した快挙を成し遂げたグロンコウスキー

 そのベイダーでも成し遂げられなかった「地元開催」のスーパーボウルで優勝するという快挙を成し遂げたのが、バッカニアーズの「グロンク」ことロブ・グロンコウスキー。

 今週、タンパで開催された第55回スーパーボウルで、2つのタッチダウンを記録して、バッカニアーズの優勝に貢献した。

第55回スーパーボウルで2つのタッチダウンを上げたロブ・グロンコウスキー
第55回スーパーボウルで2つのタッチダウンを上げたロブ・グロンコウスキー写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 「引退と復帰」はプロレスラーの専売特許のようなものだが、グロンコウスキーも一度引退したNFLの世界に今季開幕前にプロレス界から戻ってきた選手。

 ニューイングランド・ペイトリオッツで盟友のトム・ブレイディと一緒に3度のスーパーボウルを制覇したグロンクは、2018年シーズン終了後にNFL選手を引退。

 しかし、この春にブレイディがペイトリオッツからバッカニアーズへ移籍すると、グロンクも引退を撤回して、NFLに復帰してバッカニアーズへ加入した。

 今春のレッスルマニアではホスト役を務めただけでなく、乱闘に飛び入り参加して、WWEの24/7王者にもなっている。

 グロンコウスキーはプロレスの主要団体のチャンピオンと、地元開催のスーパーボウル優勝の両方を成し遂げ、偉大なビッグバン・ベイダー超えに成功した。

ベイダーは本当にスーパーボウルに出場したのか?

 インターネットもなく、海外の情報が簡単に手に入らなかった昭和のプロレスファンにとって、レスラーが自らの口で発した言葉は真実を語っていた。

 「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シンはインド人だと信じていたし、「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーはアフリカのスーダン生まれで、空手家のガマ・オテナの門下生だと信じ込んでいた。

 ベイダーは第14回スーパーボウルに出場したと言っているが、歴史を紐解いてみると、ホワイトはNFLでの2年間で5度も膝を手術しており、スーパーボウルには出場できていない。

 だが、昭和のプロレスファンには史実の正確性よりも、プロレスラーが語ったことの方が大切なときもある。「ファンタジー」はプロレスの大切な要素の1つなのだから……。

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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