樋口尚文の千夜千本 第172夜 『竜とそばかすの姫』
相反する二極の作風が奇跡的に融合した途方もない傑作
これまでにもひじょうに質の高いアニメーション映画を手がけてきた細田守監督だが、かつて試行してきたさまざまなモチーフと技術を総動員して、圧倒的な傑作を完成させた。これはアニメーションという枠に留まらず、実写作品を含むここ十年間くらいの日本映画のなかでも突出した「映画作品」であるに違いない。
物語の骨格は至ってシンプルで、幼き日に衝撃的な事故で母を亡くし、トラウマを抱えたまま父と二人で過ごしてきた繊細で内向的な少女が、ネット空間の異世界では見違えるように華々しい魅力をふりまいて世界じゅうの注目の的になる。そこで重要なのは歌で、実世界では生きづらさに塞ぎこんで好きな歌をうたうことすらできなくなった少女が、ネット空間では絢爛たる歌声を披露するディーバに変身するのだ。その人気と喝采の対象である彼女が、異世界で孤独に荒れ狂う「竜」と呼ばれる謎の存在に出会って、実世界とネット世界をまたいださまざまな事件が起こる。
この「グラフィカルな電脳的異世界」と「自然溢れる田舎の実世界」というモチーフはそれこそ『サマーウォーズ』にもずばり描かれたので、こうしたパラレルワールドを好む原点はいったい何なのかをこのたび細田守監督に尋ねた。すると絶対そのオリジンはあるはずと言いながら、「意外にもそのオリジンを聞かれたためしがない」という細田監督はずばりの回答を見つけられなかった。しかし、かかるパラレルワールド設定がぞんぶんに活かされている『竜とそばかすの姫』を観ていると、そのオリジンを「アンベイル」することはできなかったものの、こうした設定が単に物語上のことに留まらず、細田監督のやりたいことをあれもこれも作品にぶちこむためのアリバイ(以上の跳躍台)となっていることがよくわかるのだった。
すなわち、細田監督を一般的なアニメーション監督と峻別するのはまず実写映画的な感覚を演出に活かしていることで、相米慎二とビクトル・エリセがそこに最も影響を与えている。実写映画的な感覚というのをもう少し厳密に言うと、何でもありのアニメーション表現のなかに実写映画的な縛りや限定をあえて持ち込むことである。たとえばどうにでも動かせるキャメラの視座を定点観測にしたり、いかようにでもカット割りできるところをワンシーン・ワンカットの長回しにしたり、というように。これによって細田アニメにはその虚構としてのリアリズムに実写的な緊張感や密度が醸されるのである。
そして、この「実写的」創造力は、くだんのパラレルワールドにおける「実世界」パートにおいて発揮され、さらにこの「実世界」は美しい自然が溢れ、多感な少年少女と個性的な大人たちが行き交う相米的またはエリセ的な舞台なのだ。これに対し「異世界」パートにおける細田演出にあっては、「実世界」の実写的リアリズムとは対照的に、自在にダイナミックにキャメラポジションは移動し、めまぐるしく華麗なカット割りが披歴される。
アニメーション作家としての細田監督は、古式ゆかしいディズニー・アニメをコンピュータで変革したアニメーター、グレン・キーンに多大な影響を受けている。クラシックな作法のアニメ時代にスタッフとなり、『トロン』に参加して以降、CG演出の可能性を探って91年の『美女と野獣』で目覚ましく開花させたグレン・キーンの人と作品は、細田監督のマイルストーンだ。この流れを汲んだ先に、CGによる豊饒な映像の語彙と洗練されたグラフィズムを細田監督は獲得した。
まさに一種ストイックな自然主義的リアリズムさえ感じさせる「実世界」描写と、驚くべき絢爛たる映像的粉飾とスピード感に占められた「異世界」描写。細田監督はこの両者の資質を兼備した稀有な才能なのだが、しかし普通のドラマツルギーではこれらをいっぺんに活かすことなどできないだろう。そこでおなじみのパラレルワールド設定がものを言うのだ。パラレルワールドというアリバイゆえに、細田監督はこの対極の資質を合法的に投入することができるのである。
しかも今回の『竜とそばかすの姫』がそんなフィルモグラフィにおいても突出した傑作となったのは、この「実世界」「異世界」の二重構造が切実にアクチュアルなネット社会の根深い問題意識と結びついているからで、細田監督は自らの資質の振れ幅をぞんぶんに披露しながらも、同時にその落差をもって本作のテーマ性を鮮やかに浮き彫りにし得たのだった。本作での二世界の設定は単にアリバイに終わらず、みごとにこの生きづらい社会の痛覚を焙り出すための極めて有効な仕掛けとなった。
そしてこのみごとな作品の、ある極点での赤裸々な愛情告白的キャメラワークには「これではまるでグレン・キーンではないか」と涙なしにはすまず(そもそも企画書段階で『ベルと野獣』という仮題がつけられていたほどなので作品全体に予めそういう意識はあるのだが)、さりげない役どころに往年の佐々木昭一郎ドラマのヒロインであった中尾幸世を起用するなど、さまざまなオマージュもふんだんで、本作にこめた細田監督のパーソナルな思いの濃さもまた好ましい。