眞子さま結婚騒動の局面変化を受けて週刊誌のバッシング報道はどうなったか
読売新聞の結婚報道は「官邸のリーク」という説も…
9月に入り新聞・テレビが一斉報道することで局面が変わった眞子さま結婚騒動。局面を変えるきっかけになった読売新聞の報道についてはヤフーニュースの下記記事に書いた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210905-00256723
読売新聞報道で一気に変わった眞子さま結婚騒動の今後の展開はどうなる?
『女性セブン』9月23日号は、この読売報道について、支持率低下で行き詰まった官邸によるリークではないかと書いている。興味深い見方ではあるが、そう判断する根拠が示されておらず、あまり確証があるとは言い難い。
上記の記事に私は、週刊誌のバッシング報道はこれからどうなるのか、相変わらずのバッシングを続けるのかどうか、と書いた。1週間たって各誌の誌面を検証してみたが、結論を言えば、基本はあまり変わっていない。
「まだ引き返せる」と『女性セブン』
『女性自身』9月21日号「眞子さま計算通りの皇室追放」、『週刊女性』9月21日号「眞子さま“一億総ブーイング”覆す最後の『窮策』」とも従来と同じ切り口だ。今回の決着が眞子さま主導と判断してのことだろうが、批判の対象が小室圭さんより眞子さまに向いているのが気になるところだ。
前出『女性セブン』9月23日号は「眞子さま、天皇陛下と雅子さまへの『結婚挨拶』さえ拒否」と激しい見出しだ。リードにこう書いている。「『天皇皇后両陛下へのご挨拶の儀式』さえ行われないことが本当に許されるのか。まだすべてが決まったわけではない。いまならまだ、引き返せる」
考え直せ、と進言しているわけだが、そもそもバッシングの嵐にさらされてやむなく海外へ避難しようという眞子さまに、いったいどこに引き返せというのだろうか。
「皇室」崩壊の危機を唱えた『週刊新潮』
この間、女性週刊誌とは異なる角度から小室家バッシングを行ってきた『週刊新潮』は、批判のボルテージが一気に高まった。9月16日号「『眞子さま』“暴走婚”で『皇室』崩壊」では、今回の結婚について「皇室崩壊の足音も聞こえてくる」とまで書いている。
編集部記事の後に「『公より私』に異議あり」と題して4人の識者コメントを掲げているが、この「公より私」を優先したという眞子さま批判の問題の立て方自体に、同誌のスタンスが反映されている。つまり同誌は、個人の意志を通した眞子さまの行動に「皇室の危機」をかぎとったというわけだ。
もともと一連の眞子さまと小室圭さんの結婚への批判の底流には、皇室の伝統を守れという保守的立場があるのだが、『週刊新潮』はそれを前面に押し出した形だ。
『週刊文春』9月16日号「“婚約”前から小室家通い、眞子さま暴走婚全内幕」は、見出しこそ激しいけれど、4年間の騒動の舞台裏を書いたものだ。
新聞社系週刊誌は多少趣が異なるとはいえ…
これまで新聞社系を含めて週刊誌全体が結婚に批判的なキャンペーンを展開してきたわけだが、今回の局面の変化を経て、新聞社系週刊誌の切り口が出版社系と違ってきたように見える。『アエラ』9月13日号はコラムニスト矢部万紀子さんの署名で「『離脱ドミノ』の可能性」という記事を掲載。『サンデー毎日』9月19日号は森暢平成城大教授の寄稿で「眞子さまが変える皇室の恋愛」(翌週からこれは連載になった)、『週刊朝日』9月17日号は8ページの大特集を組んでおり、タイトルは「眞子さま待ち受ける『これだけの試練』」。
いずれもバッシング一色の出版社系とは趣が違う。むしろバッシング一色報道とは一線を画そうとしているようにも見える。
ただ、新聞社系はまだ独自色を押し出せていない。だから、今回の事態をどう見るのか、週刊誌全体で論争と言えるような状況には全くなっていない。
前出『女性セブン』が「急転の皇室全内幕」という特集で、眞子さま結婚問題と並べてもうひとつ、「愛子さまが天皇になる!自民党総裁選実現の条件」という記事を掲げているが、そもそも眞子さま結婚問題は、「女性天皇」論議や「女性宮家」問題と関わり合うテーマだ。
「皇室典範に関する有識者会議」でそれは議論されているようなのだが、今回の眞子さま結婚問題は、象徴天皇制のあり方に関わるテーマだけに、もっと本格的な議論が、週刊誌のような大衆メディアで展開されてほしいと思う。