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シリアは「紛争後」を考えるべき局面に入る

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

シリア紛争はこの3月半ばで7年目に入り、相変わらず「複雑な」情勢推移を遂げ、21世紀最悪の人道危機とも称されるシリア人民の窮状も改善の目途が立たないように見える。しかし、シリア内外の政治・軍事・社会情勢や国際関係は着実に変化しており、現在は「紛争後」、或いはシリア紛争の中で大きな存在感を示した「イスラーム国」をはじめとする、「イスラーム過激派後」の情勢について考えるべき局面に達している。もちろん、個々の政治勢力や武装勢力の行く末や、各勢力間の和解や排除には数年を要し、その間戦闘が続くことも予想される。しかし、「複雑」、「泥沼」などの言辞を弄して思考を停止した状態でシリア紛争、そしてシリアの政情を論じる局面は既に終わったといってよい。本稿では、反シリア政府、親「反体制派」色がかなり強い方面からも、「反体制派」の末路を示唆する動きが出ていることを踏まえ、シリア「紛争後」について考えてみたい。

2016年後半以降、政府軍のアレッポ制圧、「停戦」・対話を巡るロシア・トルコ・イランの連携、政府軍やクルド勢力を主力とする「民主シリア軍」による「イスラーム国」への攻勢など、シリア紛争の推移はある程度方向性が定まるとともに、戦場での情勢の展開も従来よりも早くなっている。事態は、アメリカのトランプ政権が「イスラーム過激派根絶」なり、中東の安全保障・国際関係なりで自らの方針を確定させ、実行に移すのが間に合わなくなりかねないほどの速度で推移しているかもしれない。

しかし、「紛争後」といっても、シリアを各当事者の勢力圏ごとに分割して云々と論じたり、「某所の某地区の子供がかわいそう」などとの情報を消費したりするだけでは生産的な議論とはならない。重要なのは、「シリアに安全・安定を回復するための鍵は何か」、「どうすればイスラーム過激派だけでなくテロリズムを流行させないことができるか」などの課題に、現実的な方途を見出すことができるかである。

「反体制派」の末路

もともと実質的には存在していないに等しい「反体制派」にも、彼らの後ろ盾になる諸国にとってはそれなりの利用価値があった。例えば、在外で活動する団体や活動家は、彼らを庇護する諸国がシリア紛争に介入することを正当化するために不可欠の存在である。「反体制派」武装勢力についても、彼らがどんなに無力で腐敗していようとも、それを前面に立てるか否かで、シリアに地上兵力を派遣しているアメリカやトルコの負担はずいぶん変わってくるだろう。しかし、「反体制派」を庇護した諸国が、彼らをあくまで自国の政治目標を達成するための道具として扱ったことは、過去6年にわたり各国が「シリア政府を打倒するには過少、破壊と殺戮を長期化させるには過大」な干渉しかせず、自らが「独裁打倒」なり「シリア人民救済」なりのために資源を投入しようとしなかったことに象徴されている。

その結果、シリア紛争について「「反体制派」が勝つ」という予測や見通しを立てる場合、「ゲーム・チェンジャー」があれば…云々という、他力本願どころか神頼みのような前提がつくようになった。「ゲーム・チェンジャー」としては、シリア政府の外貨枯渇による肥料の調達不足や旱魃による食糧生産の低下から、イランやロシアの経済危機や体制崩壊のようなシリア紛争の帰趨どころではなくなる重大問題まで挙げられた。しかし、シリア紛争の行く末を方向付けるような「ゲーム・チェンジャー」は、多数のアラブ人移民・難民が殺到し、欧米諸国で移民・難民をめぐる経済的負担や政治的対立が昂じた、という形で現れた。これは、欧米諸国にシリア紛争から早急に手を引きたい、という欲求を生じさせた。そうなると、「反体制派」の様々な団体・活動家・武装勢力の行く末についても、彼らが「自由の戦士、革命家」などと称賛されていたころからは予想もつかなかったような見通しが立てられるようになった

「反体制派」の先行きが悲観的になってくると、実際には「反体制派」の軍事的な主力だったイスラーム過激派諸派が、その本来の姿を顕わにして猛威を振るうか、というとそう簡単ではない。そうした団体の代表格である「ヌスラ戦線」や「シャーム自由人運動」は、今や「穏健な反体制派」を装って諸外国からの祝福と支援を得ることは難しくなっている。現在彼らは、「イスラーム国」とも「悪の独裁政権」であるシリア政府とも戦わず、利権争いで互いに戦闘を繰り返している。そうした現実を前に、「反体制派」として彼らを支援することができる外部の支援者は確実に減っている

「紛争後」のシリアの政情のカギ

しかし、「反体制派」やイスラーム過激派の個々の団体や活動家の末路は、「紛争後」のシリアを展望する上では非常に優先度の低い問題である。問題は、いかにしてシリアの政治・経済・社会を立て直し、人民の権利や生活水準を向上させるかということである。具体的には、シリアの政治体制の「どこに、どの程度改変が加えられるか」という点が焦点となる。これついての観察の要諦は、「政府の統治能力や求心力」は可変的なものである、ということにある。紛争を通じてシリア政府の影響力は、制圧地域の面積や政府が果たす経済的機能などの物理的なものから、政府の統制に対する人民の畏怖のような不可視的なものに至るまで低下した。しかし、政府の影響力が低落した状態で固定化し、将来にわたって回復しない、というわけではない。条件次第で政府が様々な勢力(都市の名望家、資本家、田舎の部族、様々な宗教・宗派、民族などなど)に対する求心力を回復させることも当然ありうる。

実際、政府の影響力が最低限まで低落していたと思われる時期でも、政府はシリア社会の様々な構成要素を網羅して人民議会(=国会)に取り込むことができた。このことは、2012年と2016年に実施された人民議会選挙の結果に示されている。権威主義体制下の選挙などすべていんちきで、その結果に何の価値もないとの主張もあろう。しかし、こうした主張こそが実はシリア紛争についての思考を停止させ、紛争についての予測や評価を歪ませてきた。むしろ、シリア政府が権威主義体制であるがゆえに、彼らが実施する選挙は「政府は、現在シリア社会の誰と仲がいいのか、誰と仲良くしたいのか」を見極める最良の資料だったのである。紛争下においても、シリア政府は様々な社会集団の中から「仲間」や「仲良くしたい者」を見つけ出し、人民議会議員の座や閣僚の座を提供し続けた。こうしたシリア政府の政治的な手法の一端は、政府と諸部族との関係に示されているシリアの諸部族も、紛争の展開に応じて立場や政府との関係を調整していくだろう

一方、「反体制派」は、政治組織も武装勢力も、シリア全体を網羅し、なおかつ現実に機能する包括的な枠組みを作ることができなかった。イスラーム過激派も、幹部や中核となる戦闘員に外国人を多数用いており、シリア人民の目指すところと全く異なる動機や目的で紛争に関与している。その結果、「反体制派の解放区・支配地」と称される場所がどのくらい自由で民主的で繁栄した場所になったのか、或いは正しくイスラーム的になったのかについて、筆者は累次指摘してきた。報道機関や専門家が分析の基としてどのような出所や情報を用いるかは個々の責任の問題だが、紛争の重要な当事者である政府側の体制や、その体制が40年以上にわたり存続してきた理由についての分析が欠如していたことへの反省が必要だろう。

では、「紛争後」のシリアの政治体制はどのようになるだろうか?国内の要因に目を向ければ、紛争期間中民兵を組織して軍事的に貢献した勢力が論功行賞的に発言力を伸ばすことが予想される。また、アレッポの再建のような経済的な立て直しには、同地の資本家・企業経営者として活躍してきたアルメニア人の呼び戻しが重要である。民兵を組織した政党には、バアス党やシリア民族社会党(SSNP)があるし、政府側に与してきた諸部族の一部を特定することもできる。これらの政党・部族やアルメニア人については、既に2016年の人民議会選挙で政治的権益配分が手厚くなる傾向にあることが確認できる。

一方、政府としても紛争に関する累次の安保理決議やアスタナ会合の最終声明などに盛り込まれた「民主的なシリア云々」の文言を無視しては内外で正統性を回復することはできないため、紛争収束への国際的働きかけの過程で、「反体制派」との和解を演出する必要に迫られるだろう。ここで「反体制派」の活動家・政治組織の「どれをどのように」取り込んでいくかが焦点となる。しかし、シリア国内に基盤や影響力がほとんどない「反体制派」の政治活動家らは、彼らが当初掲げた目標を放棄するか大幅に譲歩するかしなければ、紛争後のシリア政界に居場所を得ることは難しそうだ。「紛争後」のシリアの将来像を展望するには、国際的な外交動向だけではなく、シリア政府と宗教界、部族、経済界との間のやり取りに注目すると見通しが立てやすくなるだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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