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300人に1人はリンチ症候群って知っていますか

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
映画ブラックパンサーのチャドウィック・ボーズマンは43歳で大腸がんで死亡しました(写真:REX/アフロ)

3月22日は何の日?

3月は大腸がん啓発月間です。そして3月22日は「リンチ症候群を知ってもらう日」でした。リンチ症候群なんて、聞いたことがないという人がほとんどだと思いますが、実は案外と多くの人が影響を受けているのです。

 リンチ症候群の人は、ミスマッチ修復遺伝子に変異があるために、50歳以前の若年で大腸がんや子宮体がんなどを発症しやすくなる遺伝性がん症候群です。遺伝でがんになりやすいといえば、女優のアンジェリーナ・ジョリーさんがご自身のことを公表して以来、BRCA1、2という遺伝子の変異に起因するHBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)が知られるようになりました。

 ところが「リンチ症候群」は、世界でもっとも一般的な遺伝性がん症候群でありながら、知っている人が少ないのです。筆者もリンチ症候群なのですが、少し前までは米国の一般のかかりつけ医に告げてもスルーされていました。リンチ症候群そのものが病気というわけではなく、また必ずがんを発症するということでもありません。それでも一般の人と比べ、がん発症リスクが大幅に高いことは確かです。

 なぜリンチ症候群だと、がんに罹るリスクが高いのでしょうか。人間の体は細胞分裂の過程でDNA(遺伝情報)の複製をつくった時に、時々起こる間違いを修復するミスマッチ修復遺伝子(MLH1、MSH2、MSH6、PMS2)を備えています。しかしリンチ症候群の人は、生まれつきそれらの修復遺伝子に変異があるために十分に機能せず、がんが発症しやすいのです。

米国にはリンチ症候群が100万人?

 これまでの研究では、こうしたミスマッチ修復遺伝子やEPCAMという遺伝子に変異がある人は、300人に1人とも推計されています(注1)。そうであれば、米国だけでも100万人近いリンチ症候群の人がいる計算になります。

 しかし遺伝性がん症候群は、遺伝子検査をしなければわかりません。遺伝子検査技術がすすみ費用も下がってきたものの、医療的な理由がない限り自費による検査になります。米国では遺伝子検査をもっと活用すべきという声も高まっていますが(注2)、健康な時に受ける人はほとんどいないので、自分がリンチ症候群であることを知らない人が半数以上を占めると言われています。

 リンチ症候群で最も多く発症するがんは大腸がんですが、これは若いうちから大腸内視鏡などの検診を定期的に受けることで予防ができます。同様にリンチ症候群で発症リスクが高い子宮体がんや、卵巣がん、胃がん、膵がん、腎盂・尿管がん、皮膚がんなども、若い時から医師と相談して検査を受けるなど、積極的に監視することで早期発見も可能になります。自分がリンチ症候群であることを知っていれば対策がとれるので、リンチ症候群に関する知識は重要です。

家系のがん既往歴を調べてみて 

 リンチ症候群の名称は、「遺伝性がんの父」とも呼ばれる米国のヘンリー・リンチ博士にちなんだものです。同博士は1960年代から「がんの中には、遺伝に関係するものがある」との仮説をたて、ネブラスカ州で「うちの家系は、代々、みんながんに罹るんだ」という大腸がん患者の記録を根気よく集めて研究しました。その結果、リンチ症候群の家系には特徴的ながん発症のパターンがあることをつきとめました。若くして大腸がんやその他のいくつかのがんを発症する人の数が異常に多いのです。

 私の家系でも大腸がんで亡くなった祖父をはじめ、私の母を含めて母の兄弟姉妹の6人中4人が40代かそれ以前に大腸がんを発症しています。母の姉は子宮体がんになりました。がんにならずに80代を迎えたのは母の弟のみで、6人中1人だけということになります。また私の従兄姉の中にも、やはり若年性大腸がんの経験者が数人おり、大腸がんオンパレードです。

 大腸がん以外でも、私が43歳で卵巣がんになり、従姉は40代で子宮体がん、従兄の一人は大腸がんと胃がんの二重がん、もう一人も30代で悪性黒色腫(メラノーマ)を発症しています。私の家系図を見た遺伝子カウンセラーは、遺伝子検査をする前から「典型的なリンチ症候群ですね」と言っていました。

 ただし遺伝するのは50%の確率です。がんを発症していない叔父とその子供たちにはリンチ症候群は遺伝しなかったのでしょう。また非常に若くして大腸がんで亡くなった叔父の息子(私の従兄)は、がんを発症せずに無事に70歳を迎えていますので、この従兄も父親から遺伝子の変異を受け継がなかったと考えられます。

 家系の中で若年で大腸がんを発症した人がとても多いという場合は、とりあえず遺伝子カウンセラーに相談してみるのも良いかもしれません。

増える若年性大腸がん

 大腸がんは一般的に高齢者に多く発症しますが、米国では大腸内視鏡による大腸がん検診の普及により、55歳以上の大腸がん発症率が毎年下がり続けています。その一方で、若年での大腸がん発症が増える傾向にあり、今では大腸がん発症者の約11%が50歳以下です(注3)。

 こうした若年患者でリンチ症候群の割合は16%から20%程度です。リンチ症候群であることを知らず、若いからとがんを疑わず進行した段階で見つかるケースもあります。

 映画「ブラックパンサー」の主役だったチャドウィック・ボーズマンさんがリンチ症候群だったかどうかはわかりませんが、2016年にステージ3の大腸がんの診断を受け、がんを公表することなく治療と仕事を続け、4年後の2020年に43歳で亡くなりました。

大腸がんは検診と早期発見で対策を

 リンチ症候群に限らず、若年で大腸がんになる人が増えてきたことから、米国予防医学専門委員会(USPSTF)は2021年5月、大腸がん検診の開始年齢の推奨を45歳に引き下げました。

 日本では40歳から大腸がん検診(便潜血検査)を行っていますが、受診率は男性で47.8%、女性で40.9%と低いです。その一方で、日本ではがん罹患者数の1位は大腸がんで、死亡者数でみても大腸がんは女性で1位、男性で3位です(注4)。

 大腸がん患者全体の中でリンチ症候群が占める割合は3%程度なので、大腸がんに罹る圧倒的多数の人は遺伝的要因がない人です。大腸がんは検診で予防でき、また早期発見で治癒が可能ながんです。恥ずかしがらず、面倒くさがらず、怖がらず、大腸がん検診を受けましょう。米国国立がん研究所も、米国人のユーモラスな本音トークを交えた短いビデオを作って、大腸がん検診をよびかけています。ぜひ、観てください。(ビデオは大腸がん検診推奨年齢が引き下げられる前に作成されています)

参考リンク

注1 リンチ症候群とは(米臨床腫瘍学会の一般向け英文サイト Cancer.Net)

遺伝性腫瘍・家族性腫瘍(国立がん研究センター 日本語)

注2 遺伝子パネル検査で大腸の遺伝性がん症候群をより多く検出できる可能性 (海外がん医療情報リファレンス)

注3 大腸がんリスク要因と予防(英文サイト Cancer.Net)

注4 最新がん統計(国立がん研究センター)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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