森友学園・籠池夫妻が語る大阪府の「便宜」安倍首相の「手のひら返し」
森友事件で検察審査会が「不起訴不当」と判断した、国有地の値引き売却。森友学園の小学校の用地だったが、取得は小学校の認可が前提だった。そこで、認可の権限を持つ大阪府が便宜を図っていた姿が、森友学園の籠池泰典前理事長(66)と諄子さん(62)夫妻の話から見えてきた。
異例の“臨時審議会”
2014年(平成26年)12月18日の夜。森友学園の籠池泰典理事長(当時)の自宅の電話が鳴った。この日、学園が出していた小学校の認可申請について審議する、大阪府の私立学校審議会(私学審議会)が開かれた。電話は事務局を務める大阪府私学課の担当者からだった。
「認可保留になりました」つまり認可は見送りだ。これでは小学校はできない。
「え~っ、あなた方、何やってんの?小学校を作らさんつもり?」怒る籠池氏に、私学課の担当者は次のように説明したという。
「できる限り早く臨時の審議会を開く予定にしていますので…」
その言葉通り、1か月後の翌年1月27日、臨時の私学審議会が開かれた。そこで私学課の担当者がいろいろと追加の説明や約束をした結果、森友学園の小学校は条件付きで「認可適当」という答申を受けた。これで通常は開校前に正式に認可されることになる。
政治家による働きかけのあと前向きに
大阪府私学課の担当者は、わざわざ臨時の審議会を開いてまで、森友学園の小学校が認可されるように便宜を図っていたことになる。しかもそれをその日のうちに当事者である学園の理事長に伝えている。だが本来は、大阪府がそこまでしてこの小学校を認可しなければならない理由はないはずだ。
相澤)大阪府が小学校の認可に協力的だったのはなぜでしょうか?
籠池氏)最初は違ったね。私たちが認可申請を出そうとしていた時、大阪府私学課の担当者は非常に後ろ向きで、相手にしてくれない感じだった。それで私たちは懇意にしていたX国会議員(会話では実名)にお願いした。「大阪府がまじめに取り組んでくれないんです。何とかなりませんか?」と。するとX議員は「大阪府なら維新だ。松井知事(当時)に声をかけよう。それならできるさ」と言ってくれました。実際にX議員がどのように働きかけをしてくれたのかはわかりませんが、それから次第に反応が変わってきた。ほかにもいろんな政治家にアプローチして大阪府への働きかけをお願いしました。これでだいぶ変わった。私学審議会に認可を諮る前には、私学課の担当者が「審議会は私学課の考え通りになりますから、大丈夫、心配せんといてください」と太鼓判を押すくらいやったね。
相澤)その時の審議会では、私学課が国有地取得について発言しています。「私学審議会での認可適当の答申を前提に、国有地処分について審議する近畿財務局の審議会が2か月後に開かれることになっている」と。つまり認可適当にならないと国有地を取得できない。これをわざわざ言うのもおかしなことです。
籠池氏)私学課は近畿財務局と綿密に連絡を取り合っていましたからね。財務局も協力してくれましたよ。財務局の担当者が何回も大阪府庁に足を運んで、認可と土地の取得について私学課と調整していたんです。財務局の担当者も「私も何回も言っているから大丈夫ですよ」と言ってたね。
相澤)でも「認可保留」になりましたが。
籠池氏)それは怒ったけど、まあその1か月後に臨時の審議会で「認可適当」になったからね。大阪府は小学校の認可に協力してくれていたんですよ。国会で私の証人喚問が行われた時(2017年3月23日)、「松井知事(当時)にはしごを外された」という私の発言について、維新の議員が言ったでしょ。「松井さんはあなたが学校ができるようなはしごをかけて」と。その通り。松井さんは我々のためにはしごをかけたんですよ。
ところが、あの国有地の値引き問題が起きた。国会で安倍首相や昭恵夫人の関わりが追及されると、松井さんは手のひらを返した。まず「敷地のごみを撤去しないと認可は難しい」と言い出して、小学校を認可しないという流れを作った。さらに「森友学園の補助金がおかしい」と言い出して、国有地の問題から世間の目をそらし、安倍首相を助けた。
この補助金は以前から受け取っていましたし、大阪府は毎年学園の監査を行っていましたけど、それまで問題にしなかったんですよ。それが国有地の値引きが問題になったとたんに「補助金がおかしい」と言い出した。本来、詐欺にあたるような話ではなかったはずなのに、私たちは逮捕され、300日も勾留された。これが国策捜査じゃなくて何でしょう。国有地の問題が安倍首相に及ばないようにするためとしか言いようがない。松井知事(当時)による安倍首相へのナイスアシストですよ。
初公判直前の母の死
相澤)その補助金事件の初公判が3月6日にありました。
籠池氏)ええ、「国策捜査は許せない」と、言いたいことを言い切りました。
相澤)その直前にお母様がお亡くなりになったそうですね。
籠池氏)そう。前の日の晩遅くにね。91歳で大往生なんやけど、最後まで私たちの裁判のことを心配してくれていました。初公判が終わってその晩がお通夜で、斎場で一晩、母の横で添い寝して過ごしました。
諄子さん)お父さんったら葬儀で感傷的になりかけたのよ。横で見ていたら棺に向かって「最後の最後まで心配かけてごめん」って語りかけて、今にも泣きそうな顔をしていた。でもこれから裁判で闘いが続くのにそんな気持ちじゃいけないと思って、私が棺のお母さんに「私たちは失敗したんじゃありません。これから良くなります。行ってらっしゃい」とお見送りの言葉をかけたの。
籠池氏)あれでパッと正気にかえったね。泣いている場合ではないと。
安倍首相と目が合った
初公判のあと、3月18日。参議院の予算委員会。傍聴席に籠池夫妻の姿があった。傍聴席は閣僚席と高さがほぼ同じ。距離も10メートルと離れていない。その時…
籠池氏)安倍首相が閣僚席でポットのようなものの中身を飲もうと口をつけて傾けた時、顔が上がって傍聴席の私と目が合った。安倍さんの動きがピタッと止まりました。じっと目線が合ったまんま、火花が散ったね。すると安倍さんはポットをおろして私から目をそらした。「我、勝てり」と思いましたね。
100万円の寄付を「ないしょに」
相澤)籠池さんはかつては安倍首相を信奉していましたよね。
籠池氏)安倍首相は以前、国会で私のことを「教育に対する熱意は素晴らしい」と答弁しているでしょ。昭恵夫人を通して私たちの小学校のために100万円を寄付してくれた。学園での講演も文書で確約してくれた。昭恵夫人は名誉校長に就任してくださった。2人とも小学校設立に協力してくれていたんです。
相澤)100万円について安倍首相は渡していないと話しています。
籠池氏)私たちとの関係を知らぬ存ぜぬにしたいからでしょうね。あの100万円は、昭恵夫人が小学校の名誉校長に就任したその日に、わざわざ「安倍晋三からです」と言って手渡してくれたから、よく覚えているんです。ところが昭恵夫人が学園を出て5分くらいして、夫人から電話があって「先ほどのお金はないしょでお願いします」と言われました。あの寄付金は安倍首相が小学校設立を支援していた証ですから。学園の寄付金名簿にも書きました。
安倍首相・松井前大阪府知事と闘う決意
相澤)籠池さんは今、安倍首相をどのように見ているんですか?
籠池氏)一言で言うなら「エセ保守」ですね。国有地の問題が発覚したとたん手のひら返しをして私たちを切り捨てた。人間、自分の保身を第一に考えるというのは世の常ではありますけど、自分が危ういとなったらバシャッと切ってしまった。これは私を切っただけではなくて、安倍首相が唱える「美しい国、日本」のための学校を自らつぶしてしまったことになる。
そして松井知事(当時)も、小学校の認可に協力していたのに、やはり手のひらを返した。人として許されないことです。保守の人たちこそだまされている。
この国のために、安倍首相と松井知事(当時)には身を引いてもらわなければならない。私は闘います。自分の知ることを世の中に訴えていきますよ。
2つの不可解な便宜
籠池氏の証言から浮かび上がるのは、小学校の認可に便宜を図る大阪府の公務員の不可解な行動である。国有地値引きに財務省近畿財務局の公務員が便宜を図ったのと構図が似ている。この2つの「不可解な便宜」の背後に何があるのか?大阪府と財務省の説明責任が問われている。