実は札幌記念が名牝エアグルーヴ誕生の瞬間だった。武豊騎手らが語るその理由とは……。
エアグルーヴが偉業を達成する直前に走った札幌記念
8月20日に第53回札幌記念(G2)が行なわれる。
例年レベルの高いメンバーが揃いG1級とかG1・5などと呼ばれる好カードになることの多いレースだが、過去にこれを連覇した名牝がいる。
エアグルーヴだ。
ウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタやジェンティルドンナなど、近年でこそ2000メートル以上の路線で牡馬を相手に互角以上に爆発してみせる牝馬がいるが、その導火線に火をつけたのは間違いなくエアグルーヴだった。
彼女は1997年に天皇賞(秋)を制するが、牝馬が同レースを優勝したのは実に17年ぶり。距離が2000メートルになってからは初めての快挙だった。そして、その偉業を達成する直前に走ったのが札幌記念だったのだ。
札幌記念に挑戦した理由とは……
エアグルーヴは栗東・伊藤雄二厩舎から95年にデビューした。現在は調教師となった笹田和秀がデビュー前の同馬に調教をつけ、すぐに逸材であることを見抜いていた。そう語っていたのは同馬の主戦を務めた武豊だ。彼は当時、次のように続けていた。
「笹田さんが『ユタカ、この馬は絶対に乗った方が良い』って言っていました。実際、乗ってみるとそう言ってくる意味が分かりました。それくらい良い馬だったんです」
名手達の見解に誤りはなく、デビュー後、ポンポンと勝ち上がった彼女は、3歳となった96年にオークスでG1を初優勝。母ダイナカールとの母子制覇を成し遂げてみせた。
4歳となった97年は6月のマーメイドSで単勝1・9倍の圧倒的1番人気に応え勝利。そして、駒を進めたのが第33回となる札幌記念だった。
管理していた伊藤雄二は、ここが試金石だと当時、語っていた。
「秋を牝馬路線にするか、牡馬と混ざって走らせるかと考えた時、この札幌記念が良い試金石になると思いました。ここにはジェニュインが出てくるので、この馬を相手にどのくらいやれるのか……。その結果によって秋の路線を決めようと考えました」
ジェニュインは95年に皐月賞を勝ち、前年である96年にはマイルチャンピオンシップを優勝。直前の安田記念でも2着に好走していた。今後、牡馬と戦えるかどうかを計るには、牡馬のG1戦線で好走を続けるこの馬が良いモノサシになると伊藤は考えたのだ。
名牝エアグルーヴに天才騎手が捧げた言葉
ところが結果は“どのくらいやれるのか……”などというものではなかった。中団の少し後ろから進んだエアグルーヴは外をひとまくりすると最後は1頭だけ楽々と抜け出した。ジェニュインには約3馬身、2着馬にも2馬身半の差をつけ、圧勝してみせたのだ。
「ゴールに入った瞬間、天皇賞に行っても充分にやれると感じました」
伊藤がそう言うと、武豊も次のように語った。
「牝馬が牡馬を相手に好結果を残すことのない時代だったから『天皇賞で一線級に入るとどうかな?』という気持ちがなかったわけではありません。でも、同時に『大丈夫なのでは?』という手応えも感じていました」
一線級に入るとどうか?
天才騎手をしてそう思うのも当時の時代背景を考えれば仕方のないことだった。
史上初の牝馬三冠馬となったメジロラモーヌ、圧倒的な強さで牝馬二冠を制したマックスビューティ、女傑と呼ばれたヒシアマゾンや牝馬G1を5つも制したメジロドーベルでさえも最後まで牡馬相手のG1で勝利することはできなかった。
この路線では牝馬より牡馬が上。誰もがそう思う時代だったのだ。
しかし、エアグルーヴはそんな風潮に風穴を開けた。前年の覇者バブルガムフェローらを退け、牝馬としては実に17年ぶりに天皇賞(秋)の制覇を成し遂げてみせたのだ。
さらにその後もジャパンC2着、有馬記念3着と好走。翌年も牡馬相手のG1、G2は計6戦に参戦し、札幌記念連覇など2勝、2着2回、3着1回。有馬記念5着を最後にターフを去ると、数々の名馬の背中を知る武豊をして、次のように言わしめた。
「牝馬の枠を超えていました」
天才にそう言わせた名牝の物語は、この札幌記念から始まったといっても過言ではない。
JRA最北端の競馬場から、果たして今年はどんな物語が届けられるだろう。注目したい。
(文中敬称略)