「鬼滅」の次は「滅共」?…財閥企業CEOと尹錫悦氏による‘遊び’の危険度
ここ数日、妖怪のような「滅共」という言葉が韓国社会を騒がせている。財閥企業のCEOは株価急落と不買運動に直面し、選挙運動に取り入れた大統領選の有力候補・尹錫悦氏は釈明に追われている。問題の深刻性を整理した。
●尹錫悦候補の写真
韓国では依然として日本の漫画・アニメ「鬼滅の刃」が大人気だが、最近では「鬼滅」ならぬ「滅共」が大きな話題となっている。
騒動の発端は大統領選の有力候補の一人、最大野党・国民の力の尹錫悦(ユン・ソギョル、61)候補の「買い物写真」だった。
今月8日、尹候補は「物価やワクチンパスポートの現状をチェックする」との名目で、ソウル市内の大型スーパー『Eマート』で買い物をした。
この時に公開された6枚の写真のうち、2枚の写真が話題となった。
一枚目は「ヨスミョルチ」と書かれた袋を手に持っている写真だ。ミョルチとは煮干しを指す(ヨス麗水は地名)。そして二枚目は、「ヤクコン」と書かれた袋を持っている写真だ。コンとは豆で、ヤクコンとは日本ではタンキリマメと呼ばれる品種だ。
注目された背景には、韓国財界10位圏の財閥「新世界グループ」の鄭溶鎮(チョン・ヨンジン、53)副会長の存在があった。20年10月に死去したサムスングループ総帥の李健熙(イ・ゴニ)会長の甥にあたる鄭氏は、「新世界グループ」の会長である母・李明熙(イ・ミョンヒ、78)氏が高齢なこともあり、同グル−プの実質的なCEOだ。
この鄭氏が昨年11月から最近にかけて頻繁に、「滅共」という言葉や「私は共産党が嫌いだ」という内容をインスタグラムに投稿していた。鄭氏のフォロワーは70万人を超える。
「滅共」とは文字通り、「共産主義を滅亡させる」という意味で、韓国語では「ミョルゴン」と発音される。尹候補の写真が話題を呼んだのは、「ミョルチ」の「ミョル」と「ヤクコン」の「コン」を合わせて、「ミョルゴン」を表現したのではないか、という解釈からだった。尹候補はインスタグラムにも写真を投稿し、#ミョルチ、#コンと意味深なタグを付けた。
●票が欲しい尹候補
ここまで読んだ読者の方は、「???」となるだろう。尹候補はなぜわざわざ接点の無い財閥企業のCEO・鄭溶鎮副会長を真似て「反共」をアピールする必要があったのか、それが選挙に何のプラスになるのか。説明が要る。
まず、尹候補が買い物した「Eマート」は、鄭氏率いる「新世界グループ」に所属している点で、鄭氏と尹候補がつながる。
そして、プロ野球チーム「SSKランダーズ」のオーナーであり、SNSを通じ「気さくなセレブ」を演じてきた鄭氏が、尹候補の攻略対象である20代30代男性に人気がある点が、大きな理由となる。
尹候補は今、20代30代男性の票を喉から手が出るほど欲しているからだ。
今年3月9日に行われる韓国大統領選レースで、尹候補は12月初頭まで与党の李在明(イ・ジェミョン、58)候補に対し優位に立ちトップを快走していたものの、現在は逆転を許している状況だ。
この中で特に、自身の固定支持層と見られた20代30代男性の支持が離れていることが浮き彫りになり、彼らの「呼び戻し」が喫緊の課題となっている。
なお、20代30代(特に20代男性)は韓国では特別な存在となっている。反フェミニズム、反中情緒が強い。鄭氏は中国の習近平国家主席の写真が載ったニュースを掲載し、#滅共、#勝共統一、#反共防諜といったタグを付けている。
鄭会長の一連の「反共」投稿には1万以上の賛同コメントが付くなど、爆発的な反響を得ている。尹候補がこれに便乗しようとしたかたちだ。
また、尹候補の鉄板支持層としての60代以上へのアピールもある。この世代は朝鮮戦争(1950〜53、休戦中)の直・間接的な被害を受けており、「反共」への親和性が高い。
●鄭副会長の釈明
尹候補の「とばっちり」を受けたのは鄭氏だ。
既にインスタグラム運営側から「身体的な暴力および扇動に関するガイドラインに違反している」として、いくつかの投稿が削除されていたが、外国メディアでも記事になり、関連投稿のほとんどを削除することとなった。
また韓国の進歩系メディアや与党側の政治家を中心に、鄭氏の書き込みを批判する言説が広がった。このため「新世界」の株価は10日に8%下落し(その後、11日にやや持ち直した)、系列の「Eマート」や「スターバックス」に対する不買行動も一部で始まっている。
また、サムスン電子をはじめ、サムスングループへの影響を憂慮する声もある。韓国の輸出の約25%は中国が占めるためだ。「オーナーではなく、雇われCEOならばどうなっていたか」という鋭い批判も出ている。
中国へと飛び火することを意識してか鄭氏は7日、「私の『滅共』は中国とは何の関係もありません」「私の滅共はただ、私の上(北側)に住む奴らに対する滅共です。私を中国とつなげない事を望みます」と書き込んだ。
一方、鄭氏は11日朝にも、北朝鮮のミサイル発射実験のニュースをキャプチャした画像と共に、○○とインスタグラムに書き込んだ。世間の批判を受けたため、「反共」を婉曲に表現したものではないかと話題になった。
●尹氏のシンパシー
ふたたび尹候補に話題を戻す。筆者は今回の騒動で、(結果としてリスクを自分で負った)鄭氏よりも、無責任な行動をとった尹候補が批判されるべきだと考えるからだ。
鄭氏に対する世間の批判が高まると同時に、同じ国民の力の党内からも自制を求める声が高まるや尹候補は10日、「近所のマートに行って必要な品物を買っただけ」とし、「普段から煮干しの出汁をよく使うため、煮干しをよく買い、豆のスープを飲むため豆をたくさん買う」と説明した。
その上で「各自が自由民主主義という憲法秩序に反しない範囲で、誰もが表現の自由を持っている」と延べた。「反共」という言葉は許容範囲内の表現ということだ。
そもそも、支持率アップのための人気取りだけで、尹候補は冒頭に挙げたような煮干しと豆を手に持った不自然な投稿を行うだろうか。筆者はそう思わない。背景には尹候補自身による、「滅共(反共)へのシンパシー」があると見るのが妥当だ。
例えば尹候補は、昨年12月6日の同党の中央選対委員会発足式の演説で「万一、来年の大統領選で勝利することができなければ、続く選挙(統一地方選が6月にある)でも手痛い敗北を喫する可能性も大きく、私たちの自由民主主義の大韓民国はそうやって消え去るかもしれない」と述べている。
この発言から、李在明候補をはじめとする競争相手を「自由も民主主義も信奉しない者たち」と見なしていることが分かる。
また、昨年12月30日には朝鮮戦争勃発後最大の激戦地の一つで、追い込まれた韓国軍と米軍が最終防衛ラインとして守り抜いたことを記念する多富洞(タブドン、慶尚北道漆谷郡)戦績碑を訪ねた際にも似たような発言があった。
尹候補はこの場で「政治の一年生であるが、この国の倒れゆく自由民主主義を守らなければならないという気持ちで政権交替に名乗り出た」とし、「この勢力(与党を指す)に立ち向かい、必ず政権交替を成し遂げ、多富洞と同様にこの国の自由民主主義を確実に守る」と述べている。
尹候補の発言の背景には、北朝鮮との対話にこだわる文在寅政権を批判する思いがあるのだろう。しかし、韓国のどの主要政党を見ても民主主義を否定する政党など存在しない。尹候補の主張はこじつけ、レッテル貼りとの指弾を免れないだろう。
そもそもこの「自由民主主義」という言葉は、朝鮮戦争(1950〜53年、休戦中)以降に、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が全面に押し出し始めたものだ。
当時、南側に攻め込んできた‘共産主義の朝鮮民主主義人民共和国’に対抗するためのもので、「独裁、侵略主義」への対抗軸として存在しており、本来の自由民主主義とは異なる意味を持つ。
これを証明するかのように、李承晩大統領は、みずから憲法をないがしろにし選挙法を有利なものに変え、暴力を用いた不正選挙により権力を維持した。そして1960年の4月革命により倒されることになる。李大統領が反対者を弾圧する際の最大の名分が「反共」であった。
尹候補が所属する政党・国民の力は、こんな韓国の保守政党の系譜を継承している。そして韓国保守派のアイデンティティが「反共」にあることを否定する者はいないだろう。
1997年の大統領選挙に際し、当時の保守政党・新韓国党の李会昌(イ・フェチャン)候補(同党総裁)が「共産主義に対抗し安定を追求してきた勢力を総称するもの」と韓国の保守を位置づけたのが一例だ。尹候補の発言とかぶる。
もちろん、「(与党の)共に民主党に入れないため、仕方なく国民の力に入った」(昨年12月23日の発言)と述べた尹候補がどんな脈絡で「自由民主主義」という言葉を使っているのかは正確に分からない。
しかし、反共とイコールに近い意味で、少なくない韓国市民が持つ反共意識に訴えるかたちで使っている可能性は充分にある。
●歴史に目を背ける未熟な政治家
今回の一連の騒動の中で、前出の尹候補の発言にもあるように、「反共」への批判は表現の自由の批判という指摘がある。ネットを中心に人気の論客・陳重権(チン・ジュングォン)氏などがその筆頭だ。
筆者もこの場で「反共」という単語自体を「言葉狩り」しようとは思わない(一方で後述する理由から陳氏の指摘も的外れと考える)。
そもそも韓国では朝鮮戦争の際、人口の1割弱に迫るような軍人・民間人の被害があり、離散家族も多く生まれた。こうした歴史的経緯から北朝鮮(=共産主義)への反発があり、社会現象としての反共意識は明確に存在しているからだ(なお、「反中」は民族意識によるものの方が大きい)。
それよりも筆者は、今なお休戦体制そして分断国家である韓国で、大統領になろうとする有力政治家が後先考えず安易に「反共」を振り回す危険性を指摘したい。
理由は、韓国の現代史を紐解けば分かる。済州4.3事件、麗水・順川事件、そして保導連盟事件に代表される朝鮮戦争期の民間人虐殺、独裁政権下での民主化運動弾圧の過程で、「反共」の名の下にたくさんの無辜の市民が投獄され、殺されてきた歴史がある。
【参考記事】「ここが故郷のよう」、朝鮮戦争期の民間人虐殺現場で遺族が明かした悲しみと願い
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20211231-00275370
筆者と同じ在日韓国人のうち、1970年代に韓国へと留学した者たちがスパイとでっちあげられ、長期間にわたり投獄されるなど生々しい事件もあった。
このような、「反共」を権力側が棍棒のように振り回してきた歴史に背を向け、表現の自由という問題に矮小化するのは、極論すると「弾圧する側の論理」である。
南北関係、統一問題に関する取材をライフワークとして続けている筆者は、極右派デモの現場で、反共の名の下に反対派が「アカ」とされ、暴力が扇動される様子を目の前で何度も見てきた。襟首を掴まれ糾弾されたこともある。
国民の力では尹候補に続き、過去に同党の院内代表を務めた羅卿媛(ナ・ギョンウォン)氏や、尹候補と党内大統領予備選をたたかった崔在享(チェ・ジェヒョン)前監査院長などの著名政治家が、煮干しと豆を並べた「滅共」をほのめかせる写真を掲載している。
こんな政治家たちの時代認識と扇動とも取られかねない行動は、冷戦時代の観念を1ミリも出ておらず、一部の支持者に媚びを売る幼稚なものでしかない。
さいわい、同党の中では自制を求める冷静な声が優勢なようだ。だが筆者は今回の一件を通じ、尹錫悦候補の大統領としての資質に大いに疑問を持つこととなった事実を、ここに記録しておく。
(参考文献:『韓国の保守と守旧』イ・ナミ、2011)