詰むのは年収800万世帯の大学生、保護者の「燃料(資金)」が燃え尽きる時
2月に執筆した記事『シラバスの厳格化と「生活費はバイトで稼いで」と言う保護者の間で詰む学生が出る』には多くの反応がありました。大学関係者から「学生にはしっかり学んでほしいが、学費や生活費のために睡眠時間を削ってアルバイトをして苦しんでいるのがよく分かるので厳しく言えない」との声もありました。大学に対する「レジャーランド」イメージは学生だけでなく、熱心な教員も苦しめています。ただ、最も伝えたかった保護者世代にはあまり伝わっておらず、反応もそれほどありませんでした。実は「詰む学生」の保護者の年収が決して低いわけではないのです。
保護者の準備が圧倒的に足りない
はてな匿名ダイアリーに昨年このような投稿がありました。投稿者は50歳で収入は約700万円で、パート収入を加えれば世帯年収は約800万です。
この投稿は、私立文系の教員からすると、かなりのリアリティがあります。それなりの収入がありそうな家庭にもかかわらず、アルバイトに追われているという学生は少なくありません。
投稿のケースでは、アルバイトについては書かれていませんが、仮に、下宿したり、弟が私立中高に通ったりしたら、奨学金とアルバイトで大学生の子供に負担がかかることになるでしょう。
子供が小さいときは、バレーだスイミングだと色々な習い事などに投資し、塾通いがあり、大学生になると「あとは自分で稼いで」と突き放す保護者は、決して貧困家庭ではないのです。
私立文系に進学すれば入学金や授業料で400-500万円は必要です。一方で、準備状況はといえばソニー生命の「子どもの教育資金に関する調査2018」によると「子供の進学費用のための備えとして、一人あたり月々いくらくらい支出をしているか」の平均は15,437円。学資保険に当てたとすれば300万程度で、必要な金額に不足しています。
中学受験の過熱が、燃え尽き要因では?
大学に向けて準備した資金は、入学金と初年度の授業料、新生活の準備で消え、その後の授業料を払う余裕はない。
なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか。
学生や保護者の話を聞くと、中学受験と私立中高一貫校への進学の過熱が、大学入学前の燃料(資金)切れの要因ではないかと感じます。
文部科学省による「平成28年度子供の学習費調査」を見ても、中高では、世帯年収が800万円から999万円の人たちは、その上の1,000万円から1,200万円のゾーンと同じぐらいの学校外活動費(塾や習い事を含む)を支出していることが分かります。
その一方で、中学受験を検討する保護者から聞こえてくるのは「早慶上智やMARCHといった大学に受験せずに入れるから」と言ったものがあり、中学受験の先が、学部や大学どころか、偏差値で輪切りにされた大学のグループという「イメージ」で語られていることに猛烈な違和感があります。
中学受験はめちゃくちゃ人に聞いたり、投稿サイトを見たり、してるのに…。
このような中学受験と大学受験の差は保護者世代の「受験の経験」に起因していると考えられます。
保護者世代以上が小学生のころ、中学受験はそれほど一般的なものではありませんでした。ベネッセや日能研の調査によると、中学受験率の推移は首都圏でも1980年台は10%以下ですが、いまは20%を超え、都心部では30%を超えています。中学受験は新しい「動き」なので、情報収集に熱心になるのでしょう。
保護者の学歴が大卒の場合は私立中学の受験が増えるというデータもあり、大学入試の苦労とリスクを「先取り」するという親心が垣間見えますが、それは「入るのは難しいが、入ったらレジャーランド」という大学の古いイメージを引きずったままの行動とも言えるでしょう。
バイトやサークルで「何者かになる」のではなく
また保護者からは「アルバイトやサークルで、一生打ち込める何かを見つけてもらいたい」といった意見もありました。
作家の村上春樹さんは、母校の早稲田大学に自筆原稿やレコードコレクションなどを寄贈することを発表した際、以下のように「大学生活」を語っています。
このように授業は適当にやり過ごし、アルバイトやサークルに打ち込んでいくなかで「何者かになる」という経験は、それなりに意味があると思いますし、ある世代までの保護者はそれで良い経験をしてきたのでしょう。ただ、それは大学が「レジャーランド」だからできたことです。
前出の記事でも指摘したように「レジャーランド」批判を受けた文科省や大学は対策を進めています。大学に所属しながら勉強はせずモラトリアムな時期を過ごし、大学外で社会との接点を見つけていくことを否定したのは、このような「大学生活」を語る世代の人たちであることを忘れてはいけません。
そもそも、大学は高校とは違い、自ら考え、答えのない世界に挑む場所であり、あらゆる学びが「クリエイティブ」なはずで、その学びを通して「何者かになる」のです。アルバイトやサークルで「何者かになる」ことが悪くはありませんが、それらはあくまで「おまけ」であり、現在の大学生活と直接結びつけて語られるものではないはずです。
「何者かになる」ために、学びに打ち込める環境を
学びを通して「何者かになる」ためには、かつての大学生たちが「レジャーランド」時代にアルバイトやサークルに打ち込んだように、学びに打ち込む必要があります。その準備が圧倒的に足りていないのが、実はそれなりに収入があり、「レジャーランド」時代の大学を経験した保護者なのです。
大学での研究や実践は、中学や高校とは異なり、大学や学部といった大きな「イメージ」ではなく、個別教員の当たり外れの要素が非常に大きいため、学科やコース、研究室や教員の取り組みを確認することが重要です。依然として「レジャーランド」時代の教員がいることも事実で、大学も変化の途中で課題もあります。
不透明な時代だからこそ、保護者の「自分の子供には好きな道を歩ませたい」という願いは強く感じます。そのためには、根強い「レジャーランド」イメージ批判の対策としてのシラバス厳格化という外形的な学びが強化される一方で、学生はアルバイトに時間を取られる、ただ出席だけしている学生が増える、というネガティブなスパイラルを変えていく必要があります。
まもなく新たな学生がキャンパスに溢れるシーズンとなります。子供の可能性を信じる保護者の皆様には、授業やゼミといった大学での学びに最大限の時間を費やせるよう、できるだけ支援を頂けるとありがたいです。特に「大学生なんだからバイトでなんとかして」と思っている保護者に、この記事が届くことを願っています。