車いすのキクチャンが私に教えてくれたこと「私は弱者と言われたくない」
キクチャンと出会ったのは7月20日。鳥取県米子市で行われた私の講演会でのことです。キクチャンのことを今、どうしても皆さんにお伝えしたい事情があるのです。
「弱い立場の人々」という言葉
この講演会は、障がいのある方々の自立と社会参加を支援している地元のNPO法人「おおぞら」のお招きで開かれました(※この記事では障害という言葉について主催団体の表記に合わせて「障がい」とします)。法人代表の植村ゆかりさんからあらかじめ、「障がいのある人が自分から物事を変えていった事例を紹介してほしい」とリクエストがありました。
そこで私は講演の最初に「弱い立場の人々が訴える声を届ける」というテーマをかかげ、裁判は弱い立場の人が強者を訴えることのできる仕組みだという話を始めました。そして、実際に1人の車いすの男性が、大阪のJR京橋駅でエレベーターの増設を求めてJR西日本という巨大企業を相手に裁判を起こし、増設を認めさせたことを紹介しました。
そのほかにも、森友事件の一方の主役、籠池夫妻の話や、報道の使命と記者の仕事の裏話など、1時間余りにわたって話をしたところで、質疑応答になります。ここで一番最後に発言したのが、最前列に座っていた車いすの女性、キクチャンでした。もちろん私はまだ名前を知りません。マイクを持った彼女はしっかりと私を見つめながら訴えました。
「私は弱者と言ってほしくありません。私たちは弱くはありません。弱い人という言い方は強者の言い方です」
彼女の言葉は私の胸に刺さるものがありました。私は恥ずかしくなりました。自分が知らず知らず強者の目線でものを語っていたことに気づかされたからです。彼女が語り終わった後、私は返事をしました。「おっしゃることはよくわかりました。次からどう変えるか考えますね」
そして講演が終わった後、彼女の席に近づいて話しかけました。「あのようにご意見を言ってくださってありがとうございました」
キクチャンの言葉が講演での言葉を変えた
この女性のことを、主催団体代表の植村ゆかりさんが講演後に教えてくれました。脳性マヒで車いすを使っています。名前は菊本さんですが、周囲から「キクチャン」「キクチャン」と慕われていました。私はキクチャンの言葉を踏まえて、次の講演から語り方を変えました。
米子の講演では、レジュメの冒頭3行は次のようになっていました。
【1/弱い立場の人々が訴える声を届ける】
・「弱い立場の人」は「社会的に弱い立場にある人」。「弱い人」ではない。
・裁判は「弱い立場の人」が「強者」を訴えることのできる仕組み。
これを、1週間後の長野県松本市での講演では以下のように変えました。
【1/不当な状況に置かれている人々の声を届ける】
・「不当な状況に置かれている人々」の声は、なかなか「強者」に伝わらない。
・しかし誰でも「強者」を裁判で訴えることはできる。その訴えを世に伝える。
私はこのレジュメを植村さんに送り、キクチャンに伝えてもらいました。キクチャンは「私の思いを取り上げて頂いてとってもうれしい」「植村さん、やっぱり勇気を出して言ってみるもんだね」と元気な声を返してきたそうです。それを知って私も「ああ、よかったなあ」とほっと一安心しました。
それから間もなく キクチャンの身に起きたこと
それから1週間もたたない8月1日。東京で取材中だった私に植村さんから1本のメールが届きました。ご本人の承諾を得てご紹介します。
相澤 様
突然のお知らせですが、菊本さん(キクチャン)が亡くなりました。1人で暮らしており、(福祉)サービスの方が部屋に来られた時にはもう冷たくなっていたそうです。心筋梗塞だったようです。昨夕知らせがあった時は頭が真っ白になりました。外では強気の彼女でしたが、内面はとてもナイーブでやさしく、いつも「さみしい」と言っていました。でも最後の最後まで彼女らしかったです。
相澤さんの御返事をとてもよろこび「うれしい」と繰り返していたあの声が忘れられません。どうぞ何かの折には思い出してあげて下さい。きっとよろこぶと思います。
暑い夏ですがお体に気を付けてお過ごし下さい。
植村 ゆかり
こんなことってあるのでしょうか? あの米子での講演から2週間もたっていません。もう一度、内容を改めた講演を聞いてほしかったのに、あっという間に旅立ってしまいました…
その夜、お通夜が行われました。参列した植村さんによると、小さな体が一段と小さく細く、まるで眠っているようだったということです。植村さんは思わず「キクチャン、あなたが出場を楽しみにしていたアクアスロン大会は、可愛く写っている写真を持って走るからね」と声をかけたそうです。
障がいのある人が自信を持って意見を言える世の中に
植村さんが代表を務めるNPO法人「おおぞら」は、元々地元の養護学校で知り合った保護者たちが子どもたちの将来を考えて作業所を始めたのが始まりです。
植村さんによると、障がいのある人は自分に自信がない人が多く、なかなか人前で自分の考えを訴えることができない。それは経験がないからです。多くの人が「障がいのある人は何も人並みにできない」という思い込みを持っている。だからはじめから聞こうともしないし、話せる環境にもないというのです。山本太郎さんが立ち上げた政党「れいわ新選組」の2人の障がいのある議員に対する心ない発言も、そういう背景があるのでしょう。
そんな現状を変えようと、植村さんたちは「本音を語る会」や「Challengedによるファッションショー」などに取り組んできました。こうした活動に興味を持って参加するようになったのが、キクチャンでした。やがてキクチャンは植村さんのことを「お姉ちゃん」と呼んで慕うようになります。
「障がいがあっても走りたい、泳ぎたい」で始まったChallengedアクアスロン大会
鳥取県米子市は、実は日本のトライアスロン発祥の地です。市内の有名な皆生(かいけ)温泉の周辺で第1回大会が開かれ、その名を冠した「全日本トライアスロン皆生大会」が毎年続いています。名峰、大山(だいせん)の麓でもあります。
なのに、ご当地に暮らす障がいのある人の中には、海を泳いだこともなければ大山に登ったこともないという方もいる。「そんなことおかしい」と声を上げたのが植村さんたちでした。いろんな方に呼びかけ、協力を求め、ようやく「全日本Challengedアクアスロン皆生大会」の開催にこぎ着けました。今年の大会は10月14日に開催されます。キクチャンは毎年出場してきました。
娘を気遣い弱音を吐かなかったキクチャン
キクチャンはかつて結婚して2人の娘を育てたそうです。きつくても弱音を吐かず、がんで手術を受け体が弱ってからも、「一緒に住もう」という娘さんの誘いに「私は一人で住む」と言い続けていました。その訳を植村さんが尋ねると、「娘が『子どもも小さいのにそんな手のかかるお母さんを引き取って』と周囲に思われたら娘に申し訳ないから」という答えが返ってきたそうです。
自分も障がいのある息子を1人で育ててきた植村さんは、「本当は娘と暮らしたかったろうに」という思いがこみ上げたといいます。キクチャンが時に「お姉ちゃん、さみしい」と漏らしていたのは、そういう寂しさだったのかもしれません。
弱さを知る人は強い人
キクチャンの葬儀が終わった後、植村さんのもとにキクチャンが使っていた車いすが送られてきました。「この狭い空間にキクチャンはいつもいたんだな」と思うと、こみ上げるものがあったそうです。
そこで植村さんは短歌を詠みました。
「弱い自分を知っていたからこそ<弱い>という言葉を忌みて 五十八年」
キクチャン、あなたは強い人でしたね。弱い人ではありません。私が誤っていることに気づかせてくれてありがとうございました。
本名、菊本久美子さん。享年58。ご冥福をお祈り致します。
【執筆・相澤冬樹】