高知で「如月の満月」前日にトップでさくら開花 歌人・西行が願った「如月の満月の日のさくらの下で」
高知でさくらのトップでの開花
令和6年(2024年)3月23日に高知でさくらが開花しました。
沖縄・奄美地方では、すでにさくら(ヒカンザクラ)が開花していますが、西日本~北日本のさくら(ソメイヨシノ又はエゾヤマザクラ)では、トップの開花です(表)。
春分の日(3月20日)頃に南下してきた寒気の影響で、少し開花が予想日より遅れたのですが、東日本太平洋側から西日本にかけての各地のさくらの木では、花芽の軸がのび、花芽が膨らんでいますので、来週は開花ラッシュとなりそうです(図1)。
高知がトップで開花した3月23日は、旧暦でいうと2月14日になります。
つまり、「如月(2月)の満月の日(15日)」の前日にあたります。
如月の満月の日には、涅槃会(ねはんえ)が行われるなど、特別な意味があります。
涅槃会(ねはんえ)
仏教には大事な行事が3つあります。
お釈迦さまのご誕生を祝う4月8日の灌仏会(かんぶつえ、お花祭)、悟りを開いた日を記念して12月8日に行う成道会(じょうどうえ)、そして、入滅した2月15日に勤める追悼報恩の涅槃会です。
太陰暦で行われていた行事は、太陽暦を使うようになってから、そのままの日付で使ったり、平均的なズレから1ヶ月遅らしたり、このときだけ太陰暦を使ったりと、取り扱いが様々になっており、涅槃会も同様です。
例えば、「関西に春を告げる」といわれている東大寺のお水取りは、涅槃会に関する行事、修二会の始まる2月12日夜に行われますが、これは太陰暦の日付をそのまま太陽暦の日付で使っている行事です。
太陰暦の2月15日であれば、年によっては晩冬から春真っ盛りまで季節が違います。
このため、いつも晩冬に行われている現在のお水取りの方が、「これから春を迎える」というイメージが強いと思います。
平安時代末期、鳥羽上皇に北面の武士として奉仕していた佐藤義清は、和歌と故実に通じた人物として知られていましたが、23歳で出家して西行と名乗り、しばしば諸国を巡る旅に出ています。
西行の代表的な和歌に、「願わくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月のころ」というのがあります。
熱心に仏教に取り組んでいた西行は、死ぬなら涅槃会の頃にと考えたのでしょう。
そして、死ぬなら咲いているさくらの花を見ながらと思ったのでしょうが、実際に西行が73歳で亡くなった文治6年2月16日は、西暦(グレゴリオ暦)になおすと1190年3月30日でした。旧暦と新暦の日付けに大きな差がある年です。
というのは、前年の文治5年は閏4月があって13か月と長かったためです。
つまり、如月の満月といっても、西行が亡くなった年は、新暦で3月末であり、さくらが咲いている可能性はかなり高いということができます。
西行が出家したとされるのが、京都市西京区にある勝持寺(しょうじじ)です(タイトル写真)。
勝持寺には西行が出家したときに植えたとされる「西行桜」があり、さくらの名所となっています。
また、西行終えんの地として有名な大阪府河南町の弘川寺(ひろかわでら)には、西行の供養のために植えられたとされる山桜が3月下旬から4月下旬にかけて新葉とともに見事な花を咲かしています。
さらに、宮城県松島町の「西行戻しの松公園」がさくらの名所となっているなど、全国各地に西行に関連するさくらの名所が残されています。
西行はさくらと関係が深い人物です。
西行が亡くなった2か月後の4月11日、文治は建久に改元となります。
そして、2年半後の建久3年7月12日(1192年8月21日)、源頼朝が征夷大将軍に任命され、貴族の時代から武士の時代に変わります。
さくらの開花の定義の変遷
現在のさくら開花の定義は「標準木で5〜6輪以上花が開いたとき」となっていますが、昔からこうだったわけではありません。
平成14年(2002年)以前は、「標準木で数輪以上花が開いたとき」でした。
改正のきっかけとなったと思われる平成14年(2002年)は、関東甲信で観測史上最も早い3月16日(当時)に開花しました(図2)。
筆者は当時、気象庁予報部予報課で予報官をしており、さくらの観測を行っていた東京管区気象台、さくらの開花予想を行っていた観測部ではありませんでした。
このため、平成14年(2002年)の記録的に早いさくらの開花を受けて始まった検討において、さくらの開花の厳密さを求めるようになった詳細は不詳ですが、デジタル化という当時の大きな流れがあったからかもしれません。
ただ、当時、「数輪」という言葉は人によって受け取り方が違うんだと思った記憶があります。筆者は「2〜3輪」と思っていましたが、「5〜6輪」と思う人も多いんだという、ちょっとした驚きがありました。
定義が「数輪」となっていることから、平成14年(2002年)以前は、気象官署によって、観測者によってまちまちということになります。
ただ、さくらは一斉に咲く性質があり、過去に「2〜3輪」としていた官署でも統計的にほとんど影響しない(1日程度の差である)ことから、気象庁では昔のさくら開花日の補正はしていません。
図1の出典:ウェザーマップ提供。
図2の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。
表の出典:ウェザーマップ提供資料をもとに筆者作成。