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デザイン界の巨星ジャック・ガルシアの財宝が競売へ - パリ「サザビーズ」一般公開で江戸の名品に遭遇

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
競売で特に注目されている江戸時代の漆のキャビネット(写真はすべて筆者撮影)

フランス大統領官邸「エリゼ宮」の向かいに位置するオークションハウス「サザビーズ」パリでは、5月16日火曜日14時30分から(パリ時間)注目の競売が行われます。

「Jacques Garcia, Intemporel(ジャック・ガルシア / 永遠不変の)」と題されたこの競売では、フランスを代表するインテリアデザイナー、ジャック・ガルシア(1947年〜)のコレクションの一部が出品されます。

オークションに先立って、5月11日から15日まで「サザビーズ」の二つのフロアを使って一般公開が行われました。

「サザビーズ」パリの外観
「サザビーズ」パリの外観

「サザビーズ」パリの1階。競売の出展品がまるでミュージアムのように飾られている
「サザビーズ」パリの1階。競売の出展品がまるでミュージアムのように飾られている

競売にかけられるのはジャック・ガルシア氏が所有しているノルマンディー地方の城館に飾られていた家具や食器などで、合計75ロットが出品されます。

ジャック・ガルシアは1970年代から世界的に活躍しているインテリアデザイナーで、パリの「コスト」、「ロワイヤルモンソー」、「ル・レゼルヴ」、マラケッシュの「マムーニア」、ベニスの「ダニエリ」など地球上の超一流のホテルの内装を手がけています。さらに超富裕層たちの邸宅を多く手掛けるだけでなく、パリのルーヴル美術館の展示室やヴェルサイユ宮殿の内装の再構築など、国家レベルのプロジェクトも担当しています。

彼は長い間非常に人気があり、フランスの名士と言っても過言ではありません。1992年にはノルマンディーにある歴史的建造物であるChâteau du Champs de Bataille(シャン・デュ・バタイユ城)を購入しました。翌年、ノルマンディー全域を襲った嵐で庭の木々がほとんど倒れてしまったものの、彼は自身の本業から得た富を使ってこの城の大規模な改装を行い、その空間にふさわしい調度品を収集し続けてきました。

オークション会場に掲げられたシャトーの写真
オークション会場に掲げられたシャトーの写真

シャトーの中でインタビューに答えるジャック・ガルシア氏。今回のオークションに先立って撮影された動画から
シャトーの中でインタビューに答えるジャック・ガルシア氏。今回のオークションに先立って撮影された動画から

今回のオークションに出品されるのは、30年以上にわたって築き上げてきた大規模なコレクションの一部です。彼がそれほどまでに心血を注いできたものをどうして今手放すのかという疑問に対する答えは、シャン・デュ・バタイユ城の存続を確保するためだとされています。

さて、出展品についてですが、それはすべて宮殿や美術館の展示品としてふさわしい見事なものばかりです。

中でも特に注目を集めているものをここで紹介しましょう。

中央にあるのは、ルイ16世とマリー=アントワネットが注文したと推定されるコンソールテーブル
中央にあるのは、ルイ16世とマリー=アントワネットが注文したと推定されるコンソールテーブル

このコンソールテーブルは、マリー=アントワネットがお気に入りだったとされる木工職人ヴァイスヴェラーが手掛けたものです。おそらく、ルイ16世とマリー=アントワネットが王と王妃という座にあった時代の終わりに注文され、完成したのはフランス革命後だと考えられます。そのため、彼らがこのテーブルを目にすることはなかったのではないかと言われています。

コンソールテーブルの天板と正面の装飾
コンソールテーブルの天板と正面の装飾

テーブルのサイドの部分
テーブルのサイドの部分

注目すべきは、その一部に日本の漆器のような細工が施されている点です。正面と側面には日本の家紋を思わせる模様があしらわれています。ほかの部分は全くの西洋家具と言えるもので、テーブルの天板部分には当時のイタリア趣味を反映した色とりどりの大理石の見本が敷き詰められています。日本の漆器と色とりどりの大理石をマッチングさせるという大胆な美的センスは、今見ても非常に斬新に映ります。

江戸時代の日本で制作された漆器のキャビネット。2点が一対になっている
江戸時代の日本で制作された漆器のキャビネット。2点が一対になっている

これも大注目の出展品。イギリスのウィリアム3世とメアリー2世というロイヤルカップルの持ち物だったと推定される漆器のキャビネットです。メアリー2世は日本と中国の磁器や漆器を精力的に収集し、ヨーロッパに普及させた人物と言われています。今回展示されているキャビネットもまたメアリー2世の趣味が反映された彼女のコレクションであった可能性が高いとされています。

このキャビネットはオランダ東インド会社によって日本からもたらされたもので、1640年から1680年の制作と推定されています。漆器のクオリティや意匠、オブジェとしての風格は群を抜いており、さらに銀で装飾されている点がこの作品の独自性を際立たせています。

キャビネットの扉を閉めた状態
キャビネットの扉を閉めた状態

キャビネットの扉を閉じた状態
キャビネットの扉を閉じた状態

漆器のコレクションとしては、例えばマリー=アントワネットがコレクションしていたことがよく知られているように、この時代、ヨーロッパの上流階級には相当数が伝わっていました。そのため、漆器の見事な作品をヨーロッパで目にするということは決して珍しいことではありません。しかし、このキャビネットをガラスケースを通さず、ほとんど触れられるくらいの至近距離で細部まで見た私は、非常に感銘を受けました。

というのも、日本とは全く違う気候条件下で、400年近く経過しても漆器にほとんど傷みが見られないことがまず素晴らしい。また、銀の装飾部分は一見するととても西洋風なのですが、よく見ると、細部の表現は紛れもなく東洋的です。梅の枝振り、葉脈などの表現の繊細さがそれを物語っています。

キャビネットの側面
キャビネットの側面

銀装飾の部分。鍵穴が見えるが、付属の鍵には、WとMのアルファベットがデザインされており、そのことからこのキャビネットがウイリアム3世とメアリー2世のためのものだったと推定されている
銀装飾の部分。鍵穴が見えるが、付属の鍵には、WとMのアルファベットがデザインされており、そのことからこのキャビネットがウイリアム3世とメアリー2世のためのものだったと推定されている

私は以前、日本から漆器本体を運び、ヨーロッパで当地の顧客の趣味に合うように金属の装飾が付け加えられたと想像していました。しかし、この作品を見て、銀装飾の部分も日本の職人が作った可能性があると感じました。そのくらい日本の意匠表現が見事に反映されているのです。銀装飾も日本の職人によるものなのか、あるいはヨーロッパの名工の手によるものなのか、確かな答えは残念ながら私の手元にはありません。

しかし、このキャビネットからは、当時の東西の職人技、美的センスと創造力が、完璧に融合していたことは明らかです。鎖国という時代にもかかわらず、これほどのマッチングがなされていたとは驚きです。ちなみに このキャビネットの競売想定価格は70万〜100万ユーロ。日本円にして 1億円から1億5000万円の価格が見込まれています。

「サザビーズ」上階の展示室
「サザビーズ」上階の展示室

「サザビーズ」の展示室の上階に上がると、さらに息をのむようなコレクションが展示されていました。セーヴル焼きのディナーセット一式が、まるで今から晩餐会が始まるかのように設置されていました。この一式は、ある専門家によると、過去20年間で最も重要なセーヴル焼きの競売品とのことです。92ピースからなるこのシリーズは、1792〜93年に制作されたもので、鳥の研究家のデッサンを元にして、すべてのピースに異なる鳥の絵が精巧に描かれています。

一つ一つ絵柄の異なるセーヴル焼きのシリーズ
一つ一つ絵柄の異なるセーヴル焼きのシリーズ

92点から成る見事なシリーズにはいずれも青と金の華麗な縁取りがある
92点から成る見事なシリーズにはいずれも青と金の華麗な縁取りがある

さらに、器の縁を飾るセーブル焼き独特の深い青と金の装飾は見事です。ルイ14世の時代から受け継がれたフランスの豪華さが見事に表現され、18世紀終盤にヨーロッパ各地で愛でられたことを象徴しています。一式を注文したのは、綿糸業界の大物、イギリス人のHenri Sudell だったのではないかと推定されています。

その後、20世紀後半にはアメリカの慈善家ローレンス・ロックフェラーのコレクションの一部になり、そして現在の持ち主であるジャック・ガルシアの手に渡ったのです。フランスの王家に由来するセーヴル焼きの名品がイギリス、アメリカを経て再びフランスに戻る経緯は、その時代の富める国や成功者たちの手を通じての移動を象徴しています。今、私たちが目の当たりにしているのはその歴史の一部です。

次にこの見事なコレクションの数々が誰の手に渡るのか、というのは興味深い問いです。美術品の所有履歴はそれ自体が一種の世界史であると改めて感じさせられます。

ちなみに「サザビーズ」で開催されるこのような競売前の展示は、一般に無料で公開されています。公式ウェブサイトからは、今後の競売予定を知ることができ、さらに競売そのものに参加することが可能です。ご興味のある方はぜひのぞいてみてはいかがでしょう。あなたが次の所有者になるかもしれません。

18世紀初頭の有田焼の磁器に金箔を施したブロンズの土台をつけた2体一対のオブジェ。ルイ15世の時代のもの。推定競売価格は24000〜40000ユーロ
18世紀初頭の有田焼の磁器に金箔を施したブロンズの土台をつけた2体一対のオブジェ。ルイ15世の時代のもの。推定競売価格は24000〜40000ユーロ

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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