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九州大から独立リーグ入り。満塁斬り無失点デビュー!火の国・芦谷「ドラフトへ、1年勝負のつもりです」

田尻耕太郎スポーツライター
2イニング目を無失点に抑えて、気合のこもった表情でベンチへ引き揚げる

【3月21日 ヤマエ久野 九州アジアリーグ 北九州市民球場 895人】

火の国 `000003000 3

北九州 `50000200× 7

<バッテリー>

【火】●松江、佐野、芦谷――有田、西

【北】◯荒巻、櫻井、豊村、本村、松本――ラモン、武蔵

<本塁打>

なし

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 難関国立の九州大学から火の国サラマンダーズに入団した、ルーキー左腕の芦谷汰貴投手が公式戦デビューを果たした。

 出番は六回だった。3-7と突き放され、なおも1アウト満塁の大ピンチでマウンドに送られた。

 難しい状況。しかし、芦谷はマウンドでは「緊張しなかった」という。

「マウンドに行くまでは緊張しました。だけど、それがいいんです。武井壮さんが確か言われていたと思うんですけど、緊張はほぐさないし無くさない。これまでもブルペンとかで緊張しない時はあまりいい結果が出ませんでした。緊張しているときは、良い準備ができているときなんです」

 真っ向勝負で向かっていった。最初の打者はセカンドゴロに打ち取り本塁封殺。続く打者は3球三振に仕留め、満塁危機をわずか8球で無失点に片づけた。

投げて吠える、抑えても雄叫び

満塁のピンチを乗り切って、大きな声を上げた
満塁のピンチを乗り切って、大きな声を上げた

 マウンドを下りる芦谷は大きく吠えた。とにかく声を出す。投げている際も気迫を表に出すタイプだ。芦谷は次の回も続投。先頭からの連打でピンチを招いたが、自身の好フィールディングもあり零封。そしてまた吠えた。この試合は最後まで投げて2回2/3、2安打3三振無失点の上々デビューだった。

 正直、国立大出身の秀才プレーヤーだからスマートに野球をやるタイプだと決めつけていた。取材で本人も打ち明けると「よく言われます(笑)。僕は高校時代からこんなタイプでした。広島の修道高校が出身なんですが、広陵とか強豪校相手だと最初はどうしても名前負けしてしまっていました。だから気持ちだけでも勝たないといけないと思って、マウンドでは気持ちを押し出すように心がけるようになりました」と笑顔交じりで応えてくれた。

 昨年、九州大野球部から史上初めてプロ志望届を提出。NPBからの指名が無かったが、火の国サラマンダーズのトライアウトを受験し、投手約40名の中から唯一の合格を勝ちとった。

「1年勝負のつもりで飛び込みました」

 夢はもちろん、この秋にNPBドラフトで指名されることだ。

独立リーガーとなっても勉強!?

「チームが勝っている場面で使われる投手に」と抱負を語った
「チームが勝っている場面で使われる投手に」と抱負を語った

 大学時代は最速144キロをマーク。現在も馬原孝浩監督や藤岡好明兼任コーチのもとでトレーニングを積み、逞しく成長している真っ最中だ。

 独立リーグとはいえプロ野球だ。野球に集中できる環境は整っている。

「でも、最近は毎日2時間勉強もしているんです」

 九大では工学部エネルギー科学科で原子力を学んだ。しかし、いま励んでいるのはスペイン語の習得だという。

「近々、モタ(元巨人、23日に熊本市内で入団会見予定)が合流するじゃないですか。それで覚えようと思って。大学生の時にカナダに短期留学した経験もあるので、語学には興味があるんです」

 チームはモタへの通訳は置かない予定。山岸滉一朗マネジャーが4カ月前から猛勉強中だ。

「それに感化されたのもあります(笑)」

 山岸マネジャーは「僕が100のうち10だとしたら、まだ彼は7ですよ」とライバル心を燃やしていたが、芦谷はモタにとって心強い存在となりそうだ。

芦谷汰貴(あしたに・たいき)

1998年8月4日生まれ、23歳。広島県出身。身長174cm、体重78kg。左投左打。背番号47。修道高校から1浪を経て九州大学に進学。九州六大学野球リーグでは強豪私学を相手に通算3勝をマークした。今季から火の国サラマンダーズでプレー。座右の銘は「迷わず行けよ、行けばわかるさ (アントニオ猪木)」

※写真はすべて筆者撮影

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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