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イラク軍人からサドル支持者、元民兵たちまで イラク反政府抗議行動の現場から(3)

伊藤めぐみドキュメンタリー・ディレクター
タハリール広場のモニュメントと亡くなった人たちの追悼展示 筆者撮影

■イラク軍兵士も否定できないデモ

イラクの目抜き通りの1つサドゥーン通りは現在、大きなコンクリートのブロックが設置されている。抗議行動が行われている今、車は通行止めとなり、安全管理のため簡単な検問所が設置されているからだ。

歩いてコンクリートブロックの隙間から反対側に行くと、イラク軍の兵士が待ち構えていた。一瞬どきりとするが、カメラの入ったカバンを開けてみせると数秒で通された。思いの外、好意的なのである。少し時間をかけて荷物を見ようとする兵士がいた時には、上官がやって来て、「さっさと通してあげなさい」とその兵士を止め丁寧な物腰で前へと進ませてくれたくらいである。

サドゥーン通り、この向こう側がタハリール広場へと続く 筆者撮影
サドゥーン通り、この向こう側がタハリール広場へと続く 筆者撮影

兵士は自分たちの役割をこう話した。

「私たちはここで安全管理を行っています。抗議行動の参加者の中には暴力を振るう人も時にいるので、そういう人たちを取り締まっています」

「中には」という言い方をするということは、それ以外の多数派の抗議運動参加者に関しては、非暴力だと兵士たちが認めていることになる。率直にこのデモについてどう思っているのか尋ねてみた。

「暴力を使わない限りは支持しています」

仮にもここは反政府運動の抗議運動の現場なのである。この言葉の持つ意味の可能性は3つ。

1)イラク軍人も抗議運動を支持している、

2)あるいは『支持している』と答えなければならないほどデモがイラク全体で広く支持されている(首相も当初、抗議運動の要求自体は正当だと言ったりもしている)

3)デモ拡大のきっかけがイラク軍のイスラム国掃討作戦に貢献した超人気軍人が解雇されたことだったので、イラク軍の一部もデモに親近感を持っている

あたりを見回すと、兵士たちがイラクの旗を売る露店商たちの側に座って世間話をしてくつろいでいた。兵士たちは抗議行動の中心部までには基本的には行かないというルールも持っているようだった。

ただし、イラク軍や警察はデモ隊に対する「謎の武装集団」(民兵と思われる)の暴力を見逃している側面もあるので、組織全体としてはデモ隊支持ではないはず。それでも個々人を見れば抗議運動に好意的な人も少なからずいるようなのだ。

■イスラム国と戦った元民兵の失望

このデモが多種多様な層を含んだデモであることは第1回の記事でも書いたが、デモの現場ではイラク軍とは異なる元人民動員軍兵士の存在感もあった。

抗議運動参加者の案内で前線近くを取材している時に、先頭に立って案内してくれる男性が防弾チョッキを着ていて、立ち姿が若干、他の人たちとも違うのに気づいた。もしやと思い聞いてみた。

ー 軍人だったんですか?

「そう、私は兵士だった。人民動員軍(ハッシェド・シャービー)にいたんだ。モスルやラマディ、いろいろなところに行ったよ」

人民動員軍はイスラム国と戦うために2014年にシーア派指導者アリ・シスタニのファトワで作られた民兵集団だ。のちに正規軍に昇格したが、戦場での拷問や捕虜虐待など悪い噂が絶えない。また指導部はイラン政府とも繋がりが強くイラク政府よりも時に力を持っているなど、イラクの屈折をよく表現している組織なのである。

個人的によくない先入観を抱いていた人民動員軍兵士が友好的で私たちの安全管理を取り計らってくれたことに小さな驚きを覚えた。気づけは元兵士はそこら中にいた。

橋のそばにいたある男性もそうだった。逆立てた髪をなびかせながら、1ヶ月以上ここにいると言った。そしてこう続けた。

「人民動員軍兵士としてモスルや、それから隣国のシリアまで行って戦ったんだ。腹をイスラム国戦闘員に撃たれたんだ」

ディワニヤ出身の青年アンマールは、こちらが特に質問をするわけでもないのに、進んで人民動員軍の話を始めた。

「私はもともとイラク軍にいたけれど、人民動員軍の第40旅団に移った。人民動員軍のほうがもっと自由があるから」

怪我をした仲間を助けに行きたいのに上官に止められたことが彼が移籍した理由だというが、一方で人民動員軍は国際人道法を逸脱して、一般市民にまで危害を加えていると人権団体などからの批判もある。彼のいう自由はどういう意味だろかと考えてしまった。

「人民動員軍にまた入れるなら入る。自分は結婚して子供もいる。仕事がいる。自分たちには権利がないんだ」

彼の過去がどうであったにしろ、要求はいたってシンプルなものだった。失業の問題は多くの人が共通で抱える苦しみだ。

一方で信念の問題として語る元人民動員軍兵士のジャーシムのような人もいた。

「人民動員軍には、シスタニ師のファトワを聞いて、それでバグダッドのリクルート事務所へいって志願したんだ。第33旅団に入ってサマラなどに行った。10日間バグダッドでタクシードライバーとして働いて、それからまた10日間、人民動員軍として従軍する生活をしていた。子どももいたから生活費も必要だったから。2017年にサマラにいる時に銃弾で怪我をして戦うのを辞めた」

彼は3年間、人民動員軍にいたが、先ほどのアンマールと違って、その間、一度も給料を払われることがなかったという。

「給料がないのはわかっていたからいいんだ。宗教、自分の国のために戦いにいった。お金のためじゃない。もうイスラム国との戦いは終わったからまた入るつもりもない」

人民動員軍に入ったこと後悔しているかと尋ねるとこんな答えが返ってきた。

「いいえ、後悔はしていない。私は国を守った。人民動員軍に入ったもの国を守るため。ここにいるのも国を守るため」

人々が人民動員軍に入ったのは生活のため、信念のためと異なる。しかしイスラム国に対して命をかけて戦う中で、ともに戦う政府への支持や忠誠心も強まるだろう。またイスラム国への勝利で暮らしはよくなるだろうと期待しただろう。ところがイスラム国への勝利から2年立った今、相変わらず失業の問題も汚職の問題も深刻だ。政府への信頼や期待が政府への憤りに変わるのは自然な流れだったのかもしれない。人民動員軍兵士は低所得者も多いのでその失望はさらに大きい。

抗議行動の会場でみかけた白地に黒と緑と赤で描かれているのが人民動員軍の旗 筆者撮影
抗議行動の会場でみかけた白地に黒と緑と赤で描かれているのが人民動員軍の旗 筆者撮影

しかしこの人民動員軍問題は複雑だ。

抗議に参加する人々に人民動員軍の元兵士が多い一方で、またその抗議者を攻撃しているのもまた人民動員軍を構成する政党グループの兵士だからだ。

人民動員軍自体がもともと寄せ集めのような団体だ。イスラム国という共通の敵がいなくなった今、それぞれの立場、持つものからバラバラに動いているようなのだ。

特にイラクの南部では人民動員軍の一部であるバドル旅団やアサイブ・アル・ハックが抗議する人々を激しく攻撃するという事態が起きている。イラク南部では暗殺なども多く、民兵集団の暴力は激しい。

ナシリアにあるバドル旅団の事務所  筆者撮影
ナシリアにあるバドル旅団の事務所 筆者撮影

■ムクタダ・サドルの存在感

このデモはどこへ向かうのか。イラク人はよく「私たちには強いリーダーが必要だ」という言い方をすることがある。

取材をしていた医療テントの裏で巨大な看板を見つけ、私は考え込んでしまった。

サディーク・サドル師の合成看板 筆者撮影
サディーク・サドル師の合成看板 筆者撮影

真ん中の白い髪と髭の人はサディーク・サドル。ムクタダ・サドルの父親と言ってピンとくる人もいるかもしれない。サダム・フセイン政権に1999年に殺害されたシーア派指導者である。イスラム主義を掲げた社会運動を牽引、貧困層に対する慈善事業なども行い大きな支持を集めた。看板は今回のデモの様子と合成して特別に作られたようだった。

20年近く前に亡くなったサディーク・サドルの写真を掲げるとは、人々を思いやる指導者が欲しいという願いの現れなのだろう。しかしその息子のムクタダ・サドルとなるとその意味はより複雑になる。

音楽に合わせて広場で踊り狂っている集団の前にスピーカーが設置されており、その上にムクタダ・サドルの写真が掲げられていたのを見つけた。

軽トラックの上のスピーカーとムクタダ・サドルの看板 筆者撮影
軽トラックの上のスピーカーとムクタダ・サドルの看板 筆者撮影

息子ムクタダ・サドルはイラク戦争開戦後に、反米強硬派として有名になった人物である。当時、30歳になるかならないかの頃だったが、亡くなった父親サディーク・サドルの評判もあって、多くの支持者を集めた。時に外国メディアからはやんちゃな若造と揶揄される対象でもあったが、マフディ軍なる独自の民兵組織まで作ってしまい、米軍への攻撃も行った。2018年のイラク選挙では自身の率いる党が得票率では第1党になった。

イスラム国掃討作戦の際、人民動員軍下にあった自分の民兵をイラン政府の希望でシリアに派遣するようにと言われた時に、拒否をしたりとイランとは距離をおいた側面もある人物

とはいうものの、イランとのコネクションも強く、サウジアラビアと接近したりもし謎の多い人物である。今回のデモに関しては支持を示して来た人物でもある。ただしデモの期間の大半をイランで過ごしたり、自分の名前を抗議行動で言わないようにと微妙な立場でもある。

抗議現場で見かけたサラヤ・サラームの旗 筆者撮影
抗議現場で見かけたサラヤ・サラームの旗 筆者撮影
広場で踊り狂う人たち 筆者撮影
広場で踊り狂う人たち 筆者撮影

取材から3週間ほどたち、状況はさらに複雑になっている。

12月8日の深夜に、抗議行動の中に紛れ込んだ「謎の武装集団」が抗議者にナイフで切りつけるなどしているのだ。死者25人以上、負傷者130人以上を出し、人民動員軍下を構成する民兵集団の犯行も疑われている。

この状況にサドルの民兵であるサラヤ・サラームが抗議者を守るために派遣されることになったという。またサドルの家がドローンで何者かに攻撃をされている。 サドルの民兵の派遣はサドルがデモを支持していることの表れではあるが、しかし、抗議行動参加者からは「彼らもいずれは民兵にすぎない」と批判的な声も出ている。サドルはこの状況を利用して自らの力を広げようとしているという指摘もある

■この暴力を止められるのは誰か

今回のデモの参加者たちはその協力や団結を自ら主導して達成している。

一方で強いリーダーを求める願望もゼロになったわけではない。多数派の表現かはわからないものの、サディーク・サドルの看板や、ムクタダ・サドル支持の表現の仕方からもそれを感じる。強いリーダー論がよいか悪いかは別として、幅広い層を巻き込んだこの動きが何かに乗っ取られてしまう可能性もある。

またデモ隊を襲撃していたと見られる人物が、デモ隊によって殺害され逆さ吊りにされている映像も12月12日から出回っている。

(追記12月15日:その後、襲撃していたと見られる人物は、実際はデモ隊を襲撃していなかったと報じられている。無実の人がデモ隊によって殺されてしまったことになる)

デモの中心人物たちは平和的に行うということを改めて主張しているが、その動きから外れる人たちが今後さらに出てくることも否定できない。

皆が納得する汚職撲滅や失業率の改善は前途多難だろう。しかし、今はまず、イラク政府、民兵の暴力を止めることだ。政府側、民兵側が見境のない攻撃を始めている。イラクの人々の呼びかけに各国がどのような反応を示すかだ。

ドキュメンタリー・ディレクター

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程に留学中。

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