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「人影がねぇんじゃもん」西日本豪雨を経た岡山ボランティアチームが見た能登半島の今

堀潤ジャーナリスト

能登半島地震から4ヶ月。岡山から市議を中心とした有志のボランティアチームが片道10時間かけて能登半島へと入り、8bitNewsから三島がこれに同行した。

現在、能登半島へ向かうボランティア車両についてはネットから申請すれば高速道路料金が無料となる制度がある。

岡山ボランティアチームもこれを利用して能登半島へと入った。

ボランティアチームがこの情報を知ったのは出発当日の朝。それも知人のSNS投稿を介してだった。撮影:8bitNews 三島知幸
ボランティアチームがこの情報を知ったのは出発当日の朝。それも知人のSNS投稿を介してだった。撮影:8bitNews 三島知幸

能登町へ入ったボランティアチームが目の当たりにしたのは、閑散とした街の様子だった。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

「真備に入りよったけど、人おったもん。片付ける人。常に。(けど能登には)人影がねぇんじゃもん。」

西日本豪雨時の対応を経験した森山市議が、当時の倉敷・真備の様子と現在の能登町を見比べて言葉を漏らす。

今回の同行中、一般ボランティアの姿は一人も見かけなかった。

「街灯がついてるけども、家の中の灯りが消えていってるっていうのが寂しい限りですよね。」

そう語るのは、埼玉県から高齢の母の支援に来ていた藤谷さん。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

藤谷さん「母が一人なもんですから。罹災証明とか、色々な書類の手続きとか。そういうのもできないもんですから。あと、水が出てないんですよ。水が出てない間は水を運ばなくちゃいけないものですから。水が復旧するまで、(母の元に)いようかなと。」

三島「今、一番逼迫している事は何ですか。」

藤谷さん「やっぱり水。なんだかんだ言っても、水がないと何もできない。トイレも流せない。風呂も入れない。風呂は近くの自衛隊の仮設の風呂までいくんだけどもそうしないと中々行けない。」

現地の水事情は切実だった。シャワーや歯磨きに水道水は使えず、トイレも都度ペットボトルを用いてタンクの水を補充する必要がある。

当然手持ちの水がなくなれば給水車まで取りに行く必要がある。

重たい水を何度も運ぶ間に、片付けなど復旧に割く労力や余裕は失われていってしまう。高齢であれば単独で行うのはまず不可能だ。

「絶対的に人足として必要なボランティアの数は足りていないし、そことコーディネーションする人の数が足りていないっていうか、コーディネーターをやる人たちの数が足りてないなってすごい思ってます。」

そう語るのは発災当初すぐに岡山NPOセンターから派遣された詩叶さんだ。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

三島「現地に入られてから今まで、変わったことと、変わらないことはなんですか。」

詩叶さん「厳しい雪が花に変わった。そのタイミングで皆さんが農業とか、農地とかに入られて、作付けを始められたりとかっていうのがあって、街に人の動きが見えるようになった。それは春が来たっていう感じがして嬉しかったことです。」

詩叶さん「ただ、景色は変わらないっていうか。倒れた家とか、そういうものの景色は変わっていかないっていうのはあって。さて、いつまでこの片付けに時間がかかるんだろうなっていうのは思うところ。」

三島「今のボランティアの課題はなんですか?」

詩叶さん「倉敷のボランティアセンターでは、来る人たちをあの頃はシャットアウトできなかった。だから来た人たちにどうやって活動していただこうってみんなで考えて、家屋の片付けだけじゃない他の支援を作り出していった。ボランティアセンターがすごく想像的だったっていうか。クリエイティブだったっていうか。けど今はもう家屋支援をやるボランティアさん限定で、募集も絞れるっていう状況になっているので、新しい支援が生まれていかない。そんなことを言っている間に皆がこの災害があったことを忘れていく。助けが得づらくなる状況になるっていうのはすごく心配だなって思ってます。」

発災当初から継続して支援に入っていた一般社団法人OPEN JAPANによると、被災者からニーズを吸い上げることに苦戦しているという。

支援ニーズがあっても自力でなんとかしようとしたり、我慢する傾向があるという。

街の中で一般ボランティアを見かける機会がほぼなく、被災された方達の中に「自力でなんとかするしかないのか」という諦めにも似た空気が漂っているためだ。

岡山から来たボランティアチームは、倒壊した家屋の片付け支援に入った。支援に入ったのは能登町、鵜川地区にある石田さんのお宅。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

石田さん宅は住居部分は残ったものの、倉庫部分が崩れてしまった。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

三島「鵜川は、どんな街なんですか?」

石田さん「鵜川地区はみんな、みんな一つの家族。一家やと。鵜川地区は一家やと。みんな家族だよ、と。いい町ですよ。」

画像は石川県観光公式サイトより
画像は石川県観光公式サイトより

石田さんの住む鵜川地区ではにわか祭りというお祭りが恒例行事だった。にわか祭りには、地域コミュニティを維持する重要な役割があった。

石田さん「皆祭り中心の生き方してるみたいな感じやな。その祭りができんようになってもうた。」

石田さんは寂しそうに語る。するとおもむろに崩れた倉庫を指差した。

石田さん「その祭りのね。絵の、本物がそこに入っとる。無傷で出てくればいいなあと思っとるんやけど、まぁ出てくるかどうか。」

ボランティアチームが確認すると、今にも崩れる寸前の箇所にダンボールの切れ端のようなものがはみ出ていた。

「どうにか、こう、倒す前にあれだけとろうや。なぁ。」

石田さんの声を聞いたボランティアチームの岡崎市議が言う。

岡崎さん「あのなぁ。そこの、ダンボールがあろう。あれが地域のお祭りのな、大事な物なんじゃって。」

ボランティアチームに同行していた技術者の松尾さんに情報を伝える。

岡崎さん「ここからはプロの仕事じゃ。」

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

松尾さんが倒壊した倉庫の中に入る。数分後、中から無事に目的のダンボールを引っ張り出すことができた。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

森山さん「すげぇやつですね。お金じゃ買えんやつだ。石田さん、よかったね。これは宝物だね。」

石田さん「ひょっとしたら、潰れてるかなと思っとったもんね。

もう潰れる寸前やったであれ。」

救出した絵は、ところどころ濡れていた。当然だ。発災はお正月。雪の季節だったし、この間に何度も雨が降っただろう。だが絵に大きなダメージはなかった。奇跡だった。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

絵を保管場所の公民館へと運ぶ道中、絵を見かけた町の人が声をかけてくれた。

聞くと、毎年あるにわか祭りで、その年の祭り主をやった人が絵を持ち帰れるのだという。

場所をとるため、大抵は切り抜いて一部だけを保管するそうで、石田さんのように大きなサイズで保管している人は珍しいそうだ。余程大事にしていたのだろうと町の人は語る。その声色はとても嬉しそうだった。

岡崎さん「大変だと思いますけども、頑張ってください。」

石田さん「はい。どうもありがとうございます。」

「またこにゃおえんな。」

別れ際に岡崎さんが岡山弁で言う。

撮影:8bitNews 三島知幸
撮影:8bitNews 三島知幸

今、能登にはボランティアが、支援が、発信が足りていない。

その使命感のようなものとともにボランティアチームへ同行した。

しかし現地にあったのは足りないものばかりではなかった。こんなときだからこそ出会えた人たちがいた。

今回我々が救出した絵は、言ってしまえばただの絵だ。食べれもしなければ、何かに役立つ道具でもない。しかしこの絵の救出はひょっとしてこの地域の未来の運命を分ける出来事だったのではないか。私にはそう思えてならない。

ジャーナリスト

NPO法人8bitNews代表理事/株式会社GARDEN代表。2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター。2012年、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で客員研究員。2013年、NHKを退局しNPO法人「8bitNews」代表に。2016年(株)GARDEN設立。現在、TOKYO MX「堀潤モーニングFLAG」キャスター、Amazon Music「JAM THE WORLD」、ABEMA「AbemaPrime」コメンテーター。2019年4月より早稲田大学グローバル科学知融合研究所招聘研究員。2020年3月映画「わたしは分断を許さない」公開。

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