従業員10名の地場零細企業が毎年100件以上取材を受け売上を上げる、4つの秘密。
地域には活かされるべき、「魅力的な小さな会社」がいっぱいある。
困難な衰退産業という業界でも、小さなチャレンジを積み重ねる中で、結果大きな成果につなげていくそんな「魅力的な小さな企業」を紹介していきたい。
今回紹介をするのは、たまり醤油製造業の山川醸造(岐阜県岐阜市)だ。
▼60%の需要減、90%以上の蔵が減少する衰退業種
醤油といえば、日本の食卓には決して欠かすことのできない調味料だが、一方で驚くほどの衰退産業でもある。
山川晃生社長によると、明治時代に12000社、戦後で6000社の醤油蔵が日本国内に存在していたという。しかし、現在全国の組合に加入しているのが1400社強、そのうち実際に自社醸造しているのが500社にまで減ったという。(他の蔵から購入し、ブレンドして販売している蔵も1400社強には含まれるため)
家庭での消費量も、昭和3,40年代に比べると60%減った。子供に好きなご飯を聞いてみると「カレーライス、スパゲティ、ハンバーグ、ピザ、オムライス」と醤油を使うことない料理ばかり。欠かせないから安定した産業かとおもいきや、かなりの衰退産業と言っていいだろう。
加えて、国内の製造大手上位10社で、全体の消費量の70%にのぼる供給量になる、というほどの状況で、地域の小規模醤油蔵にとっては、極めて困難な状況といえるだろう。
▼メディアが殺到する10人の醤油蔵が岐阜にある
そんな中、メディア取材が殺到し(年間120-130件近くにのぼり年もあったという)売上も上げ続けている醤油蔵が、山川醸造なのだ。
「第1回たまごかけごはんシンポジウム」が開催された2005年当時、東海地域以東で唯一「たまごかけごはん専用醤油」を市場投入して脚光を浴び、また「アイスクリーム専用醤油」で全国メディアから注目をされている「あの醤油蔵」といえば、おわかりをいただけるだろうか。
創業昭和18年の山川醸造は、創業150年・200年がざらの醤油業界では圧倒的な後発企業。したがって小売醤油の販路拡大も難しいため、創業期より名古屋・岐阜地域の飲食店(うどんやそば、うなぎなど)のたれやつゆをダシなどと調合して、業務用におろしてきており、ほぼ業務用が売上の100%であった。
そんななか、外食の低迷や洋食化の加速を背景に危機感を覚えた山川社長は当初、醤油へのこだわりを伝え販売促進の強化を行う中で限界を感じたという。「そもそもどこまで言ってもお醤油は脇役でしかない。それを主役としてなんとか味わってほしい」という思いから取り組んだ、醤油で味付けをしたごまのふりかけ「醤油ごま」の売上が上々だったことから、様々な商品開発に取り組んでいく。
「たまごかけごはん専用醤油」は、そんな中で生まれたヒット商品だ。さらにこのヒットには、インターネットの活用があった。社長自身で立ち上げたブログで、試作品を紹介し、希望者には試作品を郵送。ブロガーの口コミで広がり、自信を深めた社長が満を持して市場投入したところ、時を同じくして(偶然!)「第1回たまごかけごはんシンポジウム」の開催時期と重なり、大きなヒット商品としてつながったのだ。
その後、ターゲットや利用シーンを絞った提案型の醤油として「焼き餅専用醤油」「まぐろの漬けダレ専用醤油」「煮魚専用醤油」などを次々と市場投入。そんな積み重ねの中で生まれたのは「アイスクリームにかける醤油」だ。一度試してみたい、という関心が関心を呼び、全国的なメディア露出を通じて大ヒット商品となっていった。
ここ数年では、地域のパテシエとのコラボレーションから醤油スイーツを次々と展開。また、酒蔵の蔵開放直売会を参考に、醤油蔵を開放した「蔵開放イベント」を定期的に開催。いまや住宅街の中に立地し、決して便利とはいえない蔵には3000人以上が来場、1日に100万円を超える売上を計上するまでに成長した。こうしたユニークな専用醤油やコラボ商品をキッカケにして、山川醸造の醤油の魅力に触れた人々をリピーターとしていくため「山川醸造のおいしい新聞」を毎月の定期発行をするにいたっている。
▼山川醸造の新たなチャレンジと成果の4つ秘訣
<1>意識の転換、こだわりから開放される
長良川の伏流水をもちいて、杉の木桶で2年以上熟成させるこだわりのたまり醤油。
味はもちろんいい、実際に山川醸造のたまり醤油を試した人の90%以上がリピーターになるという。
一方で、伝統の食文化へのこだわりで展開することからの転換が大きなポイントだった。
「食は文化だから守るべきだ、こだわりをわからなくなった消費者が悪い。だから本物を教え啓蒙しなきゃ。」ってのはおごりだと山川氏は語る。昔のまんじゅうと今のまんじゅう…昔はあんこも固かった、砂糖で固めたもの。今はふんわりとした餡。まんじゅうだって何百年もの中で日進月歩だ。こだわりを押し付けるとかじゃなく、本当に美味しいもの、関心を持ってもらえるものをニーズの変化の中で作ることが大事だ。
「醤油を使わない場面で、どう醤油を使うかを考えている。大切なのは、新たな利用シーンの発掘だ」例えばごはんに醤油、ならパンに醤油はどうだろう…という中で生まれたのが「はちみつ醤油バター」だった。
「枠が外れた商品展開」は、作っているものへのこだわりをいったん脇に おいて考えてみたからこそ生まれたもの、だという。思い入れを一旦おいて、見直そう。
「醤油をつくってうるのが仕事でなく、最終的に美味しい食卓をどう作るか」が山川醸造の仕事だとかんがえるようになった。美味しい食卓をつくっていく上で、ただ現在の山川醸造の武器は醤油しかない、だからそれを活かしてどうしようかとかんがえるようになり、で枠が外れたという。
こういった中でたまり醤油を活かした商品は注目を浴びる。そして、アイスクリームにかける醤油などに注目があつまると、そこから山川醸造のこだわりのたまり醤油に触れ、売れるようになってきた。
そして、たまり醤油を使ったヒトの90%以上がリピーターなってきたのだ。
<2>「長期実践型インターン」の活用
10人程度の小規模事業者にとって、新たな企画展開をしていく際の、最大の課題は「担い手」となる。意欲ある経営者がいたとしても、一緒に主体的に取り組んでくれる存在は得難い。そんな中、山川醸造の躍進の原動力となったのが「長期実践型インターン」だ。通常、インターンというと2週間程度の就業体験を指すことが多いが、G-netと連携し6ヶ月に及ぶ長期実践型インターンの受け入れを数年前から積極的にしてきた。
新規事業、とは社内にノウハウや経験のない事業のこと。
ヒトもカネも余裕もない、のであれば、知識も経験も足りないとしても熱意と意欲ある若者を新規事業の担い手として活用してみよう、というのがこの取組のポイントだ。学生にとっては経営者直属で新たな事業立ち上げを経験でき、また教育的配慮されたプログラムの中で、中小企業の実態を体感し、成長を実感することができる。
実は「蔵開放イベント」の定期開催も、パテシエらとコラボした「醤油スイーツ」の展開も、地元大学の「長期実践型インターン生」がプロジェクトの担い手として生み出されてきた。
山川社長には柔軟な発想と意欲があれど、時間的な制約がある。そんな中で、山川社長の右腕として新たなチャレンジの試行錯誤を担い、形にして行ったのがインターン生たちなのでした。
【東海地区で長期実践型インターン、導入に関心ある中小企業はこちら・参加したい学生はこちら】
<3>ターゲットと利用シーンを明確にイメージした商品開発
山川醸造が市場投入してきた商品群をみて、「思いつきや偶然」と考える人もいるかもしれない(失礼!)が、決してそうではない。それぞれに、ターゲットの具体的なイメージと、実際の利用シーンを明確にイメージしつつ、実際の想定顧客などに試作品を試してもらいながら、プロダクトアウトでなくマーケットインの、そして提案型の商品展開を意図してる。だからこそ、「◯◯専用」と銘打った(つまり具体的なターゲットと利用シーンを意識した)商品展開となってきたのだ。
<4>情報発信、ブログ・リリース
いかに良いものを作っていても、知ってもらわなければ売れていかない。山川醸造の情報発信は、一手間をかけている。プレスリリースをメディアに送付するのはもちろんだけれど、商品開発やイベント企画の段階でも「これは、メディアや世間が関心を寄せてくれるか」という視点も重視しているという。また、山川社長自身が10年以上前からのブロガーで(現在はお休み中)、「たまごかけご飯専用醤油」は、ブログを通じて試作品を紹介し、関心を示した読者に見本品を送り、フィードバックをもらいながら商品開発をすすめ、そして「これはいける!」との確信を得ての商品市場投入となったという。(前述のとおり)現在でも、フェイスブック上などで、試作品のアイディアを公開しては、様々ななフィードバックを受けて商品開発に活かしている。
お金をかけずに、しかしいいものをどう知ってもらうか。
そこへの努力あっての今日の成果といえるだろう。
▼最後に
山川醸造の新たな挑戦に対して、当初否定的な考え方を示す人も少なくなかったという。「社長も行くところまでいってしまった…」と家族や社員などからも言われたこともあるという。
ただ衰退著しい業種のなかで、「王道を貫き、こだわって美味しいお醤油を作っていた1万軒以上の店が潰れた
のが事実」と山川氏。だから、こそ新たなチャレンジが必要なのだとかんがえるのだ。
その際に、「前を否定して新たなことをやるのでなく、前を肯定してその上に載せていく」ということもまた意識しているという。
こぼれ話
おごりと誇りの違いは?との質問に対して、「消費者の立場にたっているか、否かだ」と山川氏。
この言葉ひとつに、象徴的な姿勢が透けて見えた。