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[甲子園]勝敗の分水嶺 第8日 足を生かした浜田、最後の松坂世代・和田毅に並べるか

楊順行スポーツライター
浜田高校入学時、和田毅は遠投が77メートルだったらしい(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 いきなりガッツポーズをした。有田工(佐賀)が1点を先制した1回裏、浜田(島根)の攻撃。ヒットで出した先頭の中野拓実が試みた盗塁を刺した、有田工の捕手・上原風雅だ。つまり、それだけ相手の足を警戒していた。

 互いに新型コロナウイルスの集団感染と判断され、8日目に組み込まれた両チームの一戦。浜田は、「ヒットが何本も打てるわけじゃない。足をからめた攻撃でチャンスをつくり、そこで1本を出す」(家田康大監督)チームカラーだ。島根大会5試合で、チーム19盗塁。そのうち一人で5を記録している中野を刺したから、上原も思わずガッツポーズが出たのだろう。

 2対2の6回、試合が動いた。浜田は先頭の四番・上田翔大がヒットで出ると、続く岡海善の3球目に仕掛けたヒットエンドランが見事に成功。送球間に岡も二塁に進んだ無死二、三塁から高木和輝が一、二塁間を破り、決勝の2点をたたき出した。

 有田工は最初の盗塁こそ封じたが、浜田持ち前の足攻にしてやられた格好だ。5対3。浜田にとっては2004年以来の甲子園の勝ち星で、これが甲子園春夏通算10勝目だ。04年の主将だった家田監督はいう。

「上田は足の速いほうではないですし、あの場面では一瞬、(次の塁を)ちゅうちょするような場面もありました。ベンチからは"しっかり走れ!"という声が出ていましたが、次の塁を狙う姿勢は見せてくれたと思います」

最後の松坂世代・和田毅以来のベスト8を

 浜田の甲子園最高成績は、和田毅(現ソフトバンク)がエースだった1998年のベスト8である。97年夏には、2年生エースとして、母校に16年ぶりの甲子園出場をもたらした。このときは初戦で敗退したが、翌98年。プロ入りした松坂世代がゴロゴロいた大会で、まず富樫和大(元日本ハム)と加藤健(元巨人ほか)のバッテリーがいた新発田農(新潟)に5対2と快勝。帝京(東東京)と対戦した3回戦でも、和田が森本稀哲(元西武ほか)に同点2ランを浴びながら、最後は優勝候補を破る3対2のジャイアント・キリングだ。

 まあ、準々決勝では豊田大谷(東愛知)に延長10回、サヨナラ負けをしてしまうのだけれど。ちなみに浜田は前年夏も、和田の押し出しで秋田商にサヨナラ負け。2年連続サヨナラ負けというのはかなりレアケースだが、そのときの秋田商のエースが1学年上の石川雅規(現ヤクルト)だ。最後の松坂世代である和田とともに、いまもNPBで投げていると思うと感慨深い。

 浜田は、8月2日には新型コロナウイルスの集団感染が発表されていた。当然、全体練習はままならない。家田監督によると、

「8日までは、(PCR検査が)陰性の選手のみの練習でした。大半が陽性とされた選手が戻り始めたのは9、10日あたりですから、全体練習は2日だけ。もちろんその間は、各自で体幹トレーニングなどをやっておいてくれ、という程度でした。もちろん、走塁の練習などできません。ただ試合前の室内練習場では、足を使うための反応などの確認、練習はしました」

 試合中には、足がつりそうになる選手がいたり、調整不足は否めない。それでも、家田監督はいう。

「(コロナ下で)たくさんのご意見があるなか、日程面などで寛大な措置をとっていただき、感謝の気持ちでいっぱいです」

 次の下関国際(山口)戦にも勝てば、チーム最高成績である和田先輩のベスト8に並ぶ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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