北関東の外食企業「坂東太郎」が地元集中50年間で築いた“親孝行の郷”
「坂東太郎」とは利根川のことで日本一大きな川という意味だ。それを商号とするのが株式会社坂東太郎(本社/茨城県古河市、代表取締役会長/青谷洋治)で、北関東を中心に約80店舗の飲食店等を擁し、グループで年商約100億円の規模となっている。創業は1975年、会長の青谷氏は1951年6月生まれ、地元の農家4人兄弟の長男として育ち、24歳で現在の会社を設立した。
さて、同社では2018年に和菓子製造販売業の蛸屋菓子店をグループに入れ、新たな企業グループとしての展望を描いている。
破産した会社をグループ化した狙い
蛸屋菓子店は元禄11年(1698年)の創業、1963年栃木県小山市に本社を置き「御菓子司 蛸屋総本店」の屋号で和菓子の製造と販売店を展開していた。北関東にFCを含めて100を超える店舗を構えて1990年には22億円を売り上げた。しかしながら、2017年に会社は破産、同年の8月に会社更生法が適用された。負債総額は関連会社を含めて34億円。それを坂東太郎は5億5000万円で引き継いだ。
坂東太郎の経営理念は「親孝行」。この「親」とは、目上の人、上司、先輩、親などお世話になったすべての人。「孝」とは、相手の人に理解していただくまで誠心誠意尽くすこと。「行」とは、自らの行動で実行し続けること。――このように掲げている。
坂東太郎グループの一員となった蛸屋菓子店に対し、早速行ったことは不採算店の整理。そして従業員を解雇しない約束のもとで従業員の意識改革に尽くした。働いている人たちが坂東太郎と同じ方向を向いてくれるようにと表彰制度をつくり、褒める環境をつくった。次に、工場の改造。動線を整えて働きやすい環境をつくった。工場の壁は取り壊してお客が買い物に来ることができるように直売所を設けた。
会長の青谷氏はこう語る。
「私が誓ったことは『3年間で会社を完全に更生させる』ということ。34億円の負債とは目に見えている負債であり、『人の心』という見えない負債はもっと大きい。それは人からの信頼を失った、裏切られた、希望がないがしろにされた、とか。これらを更生することが最も重要だと考えた」
「飲食店の売上は席数に比例するが、お菓子はヒットするとどんどん売れる。するとお客様は喜ばれ、働いている人も生き生きとなっていく。このような可能性に期待を寄せた」
「現状の工場には年商100億円の製造と販売のキャパシティがある。そこで、今年商100億円の坂東太郎と匹敵する。そこで当社グループの飲食業とお菓子の共創を図っていく」
商品には次々とテコ入れを行い新商品を続々投入した。看板商品の「みかもの月」の餡の中に、夏はメロンや白桃、秋は栗を入れたりして季節感をアピールした。ハンバーガーをイメージしてどら焼きの中に黒い餡と白い餡を重ねてさらに甘い餡だけでなく辛い餡をつくってみたりした。「飲食店でメニューを開発する感覚を取り入れた」(青谷氏)という斬新なアイデアの新商品が次々とヒットしていった。
イチゴで人材育成と雇用拡大を図る
さらにこの工場の敷地内では施設を増設、またイベント広場を設けて2021年10月16日「おかしパーク」としてグランドオープンした。この初日から1週間で約6400人のお客が訪れ、840万円を売り上げた。
館内では、お菓子の製造工程をガラス越しに見学が可能で、従業員によるお菓子教室も開催。つくり立ての「みかもの月」の詰め放題を楽しめるコーナー(制限時間5分、390円)や甘味処も設けている。
また、大手菓子メーカーが製造したバームクーヘン専用オーブンの「THEO」(テオ)が稼働している様子を見学できることも大きな話題。「世界のどこでもおいしいバームクーヘンをつくる」ことを目的として開発されたもので、バームクーヘンマイスターの技術をAIに記憶させている。テオの製造工程は滑らかに進んでいき見事である。
「おかしパーク」の近くで同所の場所を示す看板の前には従業員が案内人として寄り添って存在感を伝えると共にアクセスを容易にしている。都心からは日光東照宮を結ぶ位置にあり、ルート観光のポイントとしても注目されていくことであろう。
さて、本社の敷地内にはイチゴのビニールハウスが3棟存在し、2019年7月からイチゴを生産している。このアイデアは蛸屋菓子店をグループ化するときに描いたことだ。それはイチゴ大福のイチゴを自社製のものにしようと考え、飲食事業のスイーツを充実させていくことも想定した。これからは和菓子職人、パティシエを自社で育成していくという。ビニールハウスの担当者は社内で公募し、責任者には農業大学出身者が就任した。
収穫の時期などには、本社近くにある県立の特別支援学校の生徒に手伝いにきてもらっている。将来的には障害者雇用を行うという構想が背景にある。
人々が集まる理想郷「母の里山」構想
このような社会事業の発想は前述した経営理念「親孝行」に基づくものだ。さらに「坂東太郎の原点」として2005年に発案した「母の里山」構想を進捗させている。青谷氏はこう語る。
「食べることは生きること。食べ物は、体をつくるだけでなく、心と思いもつくる。母の里山から生まれた自然の恵みを生かして、家族を思う母の心でごちそうをつくってお客様に提供するということが当社の役割」
「人間は自然の一部であり、常に自然に生かされている存在。大自然に帰ることによって謙虚さや尊敬の心、感謝の心を取り戻すことが高い人間性を育む。当社はこれまでの外食産業の枠を超えて、伝統や民族文化を伝承する、人々の学びの場をつくるという構想を考えた」
この構想はこの概念に基づいた「農村」をつくるということ。そこには古民家や田園、果樹園、蔵や工房、神社や寺があり、自然の息吹の中で人が暮らし行き交っている。田畑や果樹園では種まきや植樹、田植えや稲刈りといったさまざまな季節の農業が営まれ、蔵では味噌や醤油、工房では伝統工芸品もつくられる。
「母の里山」構想に向けて筑波山の麓に1万5000坪の土地を確保しており、理想郷は少しずつ具体化している。最初の取り組みは敷地内にある古民家で営んでいる「神群塾」。青谷氏が塾長となり、各分野で活躍している著名人を講師に招き、学びの場を展開している。現在は教育関係者や経営者など84人の塾生が月1回の講義を受けている。今年で10周年を迎える。
本社内には「母の里山」のジオラマが設けられていて、その全体像を具体的に示している。
創業者のマインドで育まれた“親孝行の郷”
2020年3月、首都圏中央連絡自動車道の境古河インターチェンジの近くに「坂東離宮」をオープン。庭園をあしらった敷地の中に221坪の施設をつくった。ここには個室を中心とした客席に加えて、着席で100人が収容できる宴会場も設けている。冠婚葬祭にも対応できる地元の社交場という位置づけだ。店内の入口部分には同施設をつくるにあたって携わった、例えば建築業者、不動産業者といった約500人の名前が掲出されている。ここに掲出されている人がここを訪れると連れの人に誇らしげに紹介している。
同じ敷地内には「あお学園保育園」がある。これは坂東太郎の従業員の子供を預かる施設としてつくられたものだが、現在は一般の子供も受け入れている。
これらの施設を見て回ってひらめいた言葉は“親孝行の郷”。青谷氏のマインドが1975年に事業を起こしてから地元に広く深く浸透している。
これからの事業の在り方について青谷氏に尋ねてみた。
「当社を育ててくれた古河(茨城県)を中心とした北関東での事業に邁進していく」
「地域一番店という発想はしていない。地域で一番二番という発想をしている限り本当に地域の人に必要とされる店となっていない。地元の人から『さん』付けで呼ばれる会社、このような特別な存在であり続けていくことが重要だ」
青谷氏のマインドが人々の心を動かし賛同する人々の輪を広げて、このエリア独特の和やかな空気感をつくり上げているのだろう。