「めちゃくちゃになった」 立川談志による“放送禁止”の円楽襲名口上に隠された意味
9月23日に放送された『謝りたい人がいます。』(TBS)では、三遊亭円楽が立川談志に“不義理”をしたことを墓前で謝罪した。
その不義理とは散々お世話になり、六代目円楽の襲名披露の際にも口上を述べてくれた談志に対し、亡くなるまで改めてお礼を言う場を作れなかったことだ。
2010年3月、病気療養中にもかかわらず、飛び入りで談志が円楽襲名披露興行に登場したのは当時、大きなニュースになった。
しかし、その口上の内容についてはほとんど報じられなかった。
今回の『謝りたい人がいます。』でも、紹介されたのは以下のようなごく一部の部分だけだった。
なぜ詳しく報じられなかったのか。
答えは簡単だ。「めちゃくちゃになった。放送できないようなことばっかり言ってるの」と円楽が振り返るように、それが放送禁止用語が飛び交う過激なものだったからだ。たとえば口上にはこんな一節もあったという。
確かに放送しようがない。言いたい放題だ。
もちろん、この罵詈雑言ともいえる口上は談志なりの円楽への深い愛情の裏返しだろう。だが、この口上の裏にはもうひとつの意味が隠されているのだ。
談志と円楽の絆
ところで、僕のように落語に詳しくない人からすると、一門も違う円楽と談志に、病気をおしてまで襲名披露に参加するほど深い関係があったことは意外に思うかもしれない。
なぜそのような関係になったかは『謝りたい人がいます。』でも語られていた。
談志と先代の円楽とは同世代。ライバルでもあり盟友でもあった。先代円楽自身も気づかないでいた司会者としての資質をいち早く見抜き『笑点』の司会に指名したのも談志だった。その円楽に弟子入りした楽太郎(現・六代目円楽)は入門直後、ちょうど選挙運動で多忙を極めていた談志の手伝いに行った。
それが縁で談志の前座を務めるようになった。
ある高座の反省会。談志は「いざ高座に上がったら上の空。しっくりこない。うまく行かなかった」と語り始めた。そして「今日はダメだっただろ?」と弟子に聞いていく。当然、弟子たちは言い淀み、「そんなことはない」などと返した。納得しない談志が目があったのは前座だった楽太郎。
「お前はどうなんだい?」
「師匠、落語に飽きてきてるんじゃないですか?」
「何?」とすごむ談志に楽太郎は後に引けなくなって続けた。
「師匠は落語に飽きてきているんですよ。立川談志が普通にやればそれで通用するのに、『ああでもない』、『こうでもない』って考えすぎですよ。普通にやればいいんですよ」
「うるせえ、バカヤロウ! おめえにそんなこと指摘されたくないよ!」
談志は激昂してそのまま帰ってしまった。
だが、ハマった。
これがきっかけになり談志は楽太郎を気に入り、一門でもないのに飲みに連れ歩き、落語の稽古までつけてくれるようになった。
ある時、楽太郎は談志にこう言われたという。
「楽太、お前に俺の落語の財産を半分やります」
口上に隠された仕掛け
談志が放送禁止の襲名披露口上を披露した時、隣に座っていたのは笑福亭鶴瓶だ。
鶴瓶はその夜、談志の長女・弓子がやっている店を訪れた。
「さっきまで談志師匠と一緒やってン。元気に口上に並んではったで」
「ああ、朝鮮人って言ってた? ベトナム人のコンドームの話、した?」
口上を聞いているはずのない弓子の言葉に鶴瓶は驚いた。
「お前、なんでそんなん知ってんのや?」
「だって、きのう一生懸命練習してたもん」
「えーっ、あれ、ネタ繰ってんの? 練習してたんか!」
談志一流のブラックな言葉が次々とその場で言いたい放題に溢れ出ていたのだとばかり思っていた鶴瓶は仰天した。
さらに翌日、たまたま立川志の輔に会い、そのことを話すとさらに驚いた。
古典落語「大工調べ」で棟梁が大家の素性をバラすシーンがある。そのパロディだったのだ(ちなみに放送された部分も同様だ。たとえば「こちとらには東京地検がついてんだからな」はそのまま「お奉行」を置き換えたものだ)。
談志が普通にしゃべれば、それだけで充分だ。だが、談志はそれでは納得がいかない。「俺の落語の財産を半分やる」と言った相手だからこそ、落語家として口上に落語を使ったのだろう。病床の中、練習までして。
談志は、円楽への深い愛を、落語への深い愛を表現することで伝えたのだ。
そしてもちろん、その対象は六代目円楽にだけではない。亡くなった先代円楽に対しても向けられていたのだろう。
この口上から1年あまり、先代円楽の後を追うように立川談志はその生涯を閉じた。