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辞めさせてもらえない ~ 転職したい人たちと引き留める経営者の葛藤

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
転職先からは急かされているのに、辞表を受理してもらえない(写真:アフロ)

 中小企業の経営者たちの集まりに出ると、最近かならず出る話題が「求人しても人が来ない」ということである。「最近の若い奴らは、すぐに会社を辞めてしまう。困ったものだ。」という若者に批判に走りがちの話題だが、一方の若者たちからも悲壮な声が聞こえてくる。

・求人難は、若者たちの「転職癖」のせいではない

 地方に出かけても、大都市部でもこの一年、中小企業経営者から尋ねられることは、「若者をどう確保したら良いか」という点だ。中には、「今は景気が良いから採用できないだけだ。もう少しして、景気が悪くなれば、また戻ってくる」と言うような意見もあれば、「最低賃金や労基法を守っていたら、経営なんて成り立たない。」と投げやりな意見も出てくる。

 しかし、バブル経済期の時と同様の人手不足だと考えてよいのだろうか。

 総務省が発表している人口統計の人口ピラミッドを見てみよう。判り切っていることだが、いわゆる団塊の世代の人たちの人口が突出して多いことが一目瞭然だ。この人たちが、この数年で65歳を超えた。60歳で定年し、嘱託や定年延長で働いてきた人たちもいよいよ70歳になろうとし、労働市場から退出していく。2017年現在で65歳から67歳になるこの団塊の世代は、男性で約300万人もいる。

 しかし、逆に大学を卒業する22歳を中心とした22歳から23歳の男性の人口は約200万人程度しかいない。つまり、団塊の世代が抜けていく分を補おうとしても、3分の1以上足りないのである。

 どう考えても労働者が不足するのである。この傾向は、今後も続く。なぜならば22歳以下の人口は、現在のそれよりも少ない。つまり、団塊の世代やその後に続く世代の定年退職者分を新卒者で補おうとしても、人数が大幅に足りないのである。

 もちろん、機械化や派遣社員やアルバイト、パートによる補充、外国人労働者の採用など採るべき手はある。しかし、こうした労働者不足、若年層の不足の影響はすでに出始めているのであり、「しばらく我慢すれば良くなる」どころか、「しばらく何の手も打たずにいたら、一層悪い状態になった」という状況が見えているのである。

 そんな中、労働者不足に具体的な手を打たず、その場しのぎを行う企業では、そのひずみがいよいよ顕在化しつつある。その一つが、「辞めたくても辞めさせてもらえない」状態である。

「辞めたくても辞めさせてもらえない」状態が職場で多発している (撮影:筆者)
「辞めたくても辞めさせてもらえない」状態が職場で多発している (撮影:筆者)

・「辞表を受け付けてもらえない」

 物流関連企業に勤務していたAさん(30歳)は、入社当時よりも労働環境の悪化をひしひしと感じていた。入社当時は、人余りでアルバイトや派遣などが簡単に集まった。そのため、正社員として入社していたAさんの職場も、人手が足りないという感じることは少なかった。ところが、ここ三年ほどで大きく環境が変わってきた。アルバイトや派遣社員が必要な人数集まらず、正社員もその不足分を負担させられるようになってきたのだ。その結果、残業や休日出勤の増加が目に見えて増えてきた。「休日出勤は、代休で処理することが規定で定められているのですが、そもそも休めるような状態ではない。さらに、代休は一か月以内に採ることになっているので、結局はタダ働きだった。」

 

 支店では、いよいよ限界が見え始めてきた。支店長以下、5名ほどが配属されている支店で、社員の1名が自殺したのだ。「家庭内のもめごとが原因ということで、家族から訴えなどはなかったのですが、休みがほとんどない状態だったのも追い詰めた原因だと思います。」さらに事務などを担当していた社員が、うつ病を発症し、休職扱いとなった。「支店長とスタッフ5名で、なんとか回していた職場がスタッフ3名になり、雰囲気も最悪。有休はもちろん、体調が多少悪くとも休めるような状況ではなくなりました。」

 思い余って本社の人事に掛け合っても、年度途中で回せる要員はいない。支店長と相談して、なんとかバイトや契約社員で充当するようにという型どおりの回答しか返ってこない。そうこうしているうちに、ナンバー2として支店長の下で働いていた課長が、ある日突然、出社してこなくなり、そのまま退社。「もともと支店長とスタッフ5名がいた支店を、支店長入れても3名で回せるはずなどない。ところが、支店長は自分が辞めさせてしまったことで評価が下がるのを嫌がってか、本社の人事には来年の三月の新採配置までは、なんとか頑張るなどと報告している。それを見て、がっくりきてしまった。」Aさんは、つてを頼って、再就職活動をはじめ、内定をもらうことができた。ところが、「支店長が辞表を受け取らないのです。それどころか、お前は会社に今まで世話になりながら、みんなを見捨てるつもりなのかなどと激高してくるありさまでした。」

 もともと真面目な性格だったAさんは、精神的にも追い詰められていった。採用の内定をくれた企業は、「いつから勤務できるのか」と聞いてくるが、支店長は一向に辞表を受けつてくれない。家族からも強く言われ、やっと本社の人事部と直接交渉して、退職の日取りを決めることができたが、辞めるまでに結局、半年近くかかってしまった。「知り合いの会社だったので、理解してもらえましたが、普通だったら内定取り消しされていても、仕方なかったと思います。」

・辞めていくやつが悪いのか

 こうした事例は、筆者の周りでも珍しくなくなっている。

 多くの場合、人員不足になり、過剰勤務が継続し、さらに退職や病欠を発生させ、転がり落ちるように職場環境が悪化していく。その過程で、経営者や管理職が事態の深刻さを理解できなかったり、その場しのぎで済まそうとすることが、悪化に加速度を与えている。

 地方部においては、大都市部よりも若年層の人口減少が深刻である。しかし、「人材を確保できている企業と、そうではない企業がある。地方部で人材がいないとは言うものの、土地を離れたくないという若い人たちも全くいないわけではない。つまり、人材確保競争が激しくなっている中で、いかに選ばれる企業になるかだが、考えがまだまだ甘い企業が多い。」中国地方のある経営者は話す。

 「辞めていくやつが悪いと批判ばかりしている経営者のところは、ますます辞めていっている。賃金の問題ももちろんあるが、従業員が居つかない企業は、傍から見ていても、それだけではない。」とも指摘する。

・突然、辞表を出している訳ではない

 辞めると決意して、再就職先を探すと言うのは、かなりの労力が必要である。しかし、その労力をかけてでも辞めようとなるのには、それなりの理由がある。

 「辞められては困るから、辞表は受理できない」というは、今の状況からすれば経営者の事情も理解できる。しかし、その兆候をつかめなかったという点では、経営者側の責任もある。さらに、従業員側が辞める理由を改善することもなく、単に「困るから辞めるな」というのでは、解決する見込みはない。

 実は、辞表、つまり退職届を受理しなくとも、正社員は退職の意志を伝えれば退職できる。精神的に追い詰められたり、過当勤務が当たり前になり、過労死や自殺などに追い詰められるまで、続ける必要はない。

過労死や自殺などに追い詰められるまで、続ける必要はない (撮影:筆者)
過労死や自殺などに追い詰められるまで、続ける必要はない (撮影:筆者)

・できる中間管理職が辞める会社は潰れる可能性が大きい

 「辞表は受理しないから、辞められない」、「今、辞めたら仲間が困るじゃないか」などと若い社員が知らないことを良いことに、ごまかしや、洗脳的なことで、当座しのぎをしても、いずれ化けの皮がはがれる。

 「できる中間管理職が辞める会社は潰れる可能性が大きいから、そういう兆候があったら、すぐに報告しろ。」筆者が営業マンだった時に、上司から強くそう言われた。ダメになる会社は、人材不足を引き起こし、本来、管理職になれないような人材が管理職に昇進し、できる人材を潰していくというサークルに入り込んでいく。

 「今時の若い連中は」と嘆いたみたところで、労働力不足が改善するわけではない。先にも書いたように、今回の人材不足は、社会構造の変化によるもので、景気云々ではない。次々と従業員が辞めていくのは、本当に賃金だけなのか、若い連中の落ち着かない性格のせいなのか。辞表を受理しないだけが、退職者を防ぐ方法だというのは、経営者としてあまりにも無責任ではないだろうか。

 

 

神戸国際大学経済学部教授

1964年生。上智大学卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、京都府の公設試の在り方検討委員会委員、東京都北区産業活性化ビジョン策定委員会委員、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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