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百貨店もパルコもなくなる~いま、松本市の中心市街地はどうなっているのか

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
松本市中心部にある松本パルコは2025年2月末に閉店予定だ。(画像・筆者撮影)

 戦国時代の様式を強く残し、黒く優美な外観から「烏城(からすじょう)」とも呼ばれる国宝の松本城が、人気の松本市。外国人観光客の姿も多く、観光都市としても発展しています。しかし、来年には、松本市の中心市街地から百貨店と大型商業施設である松本パルコが撤退することになり、話題になっています。

松本市中心部略図 (筆者作成)
松本市中心部略図 (筆者作成)

・井上百貨店の撤退

 松本市の地元百貨店である株式会社井上は、今年4月に本店である松本駅前店舗を来年(2025年)3月末を持って閉店することを発表しました。中心市街地に位置する百貨店の閉店は、地元にとっても大きな衝撃となりました。

 井上百貨店は、1927年に松本市内で「井上呉服店」として創業し、次第に業容を拡大し、地場百貨店として発展していきました。創業の地は、松本城の旧城下町の六九(ろっく)通りでした。

 第二次世界大戦後、高度経済成長期に入ると駅前が急激に発展します。1978年にイトーヨーカドーが松本駅前の松本バスターミナルビル(松電バスターミナルビル)に進出します。そして、1979年4月には、六九通りから駅前に井上百貨店が移転開業します。当時、松本駅前にはホテルや商業施設などが次々と進出し、新しい商業集積地を形成していきました。

 1980年代、全国的なバブル経済期には、井上百貨店もまた活況を呈し、地元では最も洗練されたショッピングの場として人気を博しました。しかし、バブル崩壊後は消費者の購買力の低下や、松本市における郊外型ショッピングセンターや大型スーパーマーケットの進出により、経営環境は厳しさを増しました。

 現在、井上百貨店の立地する駅前周辺を歩くと、お世辞にも活気があるとは言えない雰囲気です。老朽化したビルも目立ち、井上百貨店が閉店すれば、商業集積地としての地位は有名無実のものになりそうです。

 井上百貨店は、2000年には井上百貨店アイシティ21店を核店舗にしたシネマコンプレックス「アイシティシネマ」を併設した複合商業施設「アイシティ21」を開業しました。「アイシティ21」は、松本駅から南西に約10キロ、車で約20分ほどの郊外に立地しています。

 今回、駅前の井上百貨店本店を閉店し、この郊外型のアイシティ21店に事業を集約することになったのです。旧城下町から鉄道の駅前へ、そして郊外へという井上百貨店の変遷は、ある意味、日本の商業集積地に移り変わりを象徴していると言えます。

閉店が決まった井上百貨店本店(画像・筆者撮影)
閉店が決まった井上百貨店本店(画像・筆者撮影)

・パルコも撤退へ

 松本市の旧城下町には、1956年に「はやしや百貨店」が開業しました。高度成長期の波に乗り、1963年に地下1階、地上5階の百貨店として新装開店しました。しかし、1970年代に入り、売上げが低迷し、1974年に株式会社ジャスコに買収され、信州ジャスコとなりました。その信州ジャスコは、1981年に旧城下町から、約500メートル西の片倉製糸場の跡地に郊外型ショッピングモールとして移転しました。

 全国的にも珍しかった郊外型ショッピングモールへの人気は高く、また、1980年代初期には、駅前の井上百貨店を中心としたエリアも繁栄した時期であり、信州ジャスコの抜けた旧城下町のエリアでは集客力が一時的に低下します。

 こうした状況を大きく変えたのが、松本パルコの開店でした。約3年間、空き店舗のままだった旧信州ジャスコの跡に、増築した上で、1984年に松本パルコが開店しました。当時のDCブランドブームに乗って、若い世代の人気を集め、周辺にも若い世代向けの店舗が増え、再び人気の商業集積地として発展しました。

 しかし、2023 年2月になって株式会社パルコが、2025年2月末で松本パルコの営業を終了すると発表しました。中心市街地のシンボル的な存在であることから、松本市でも大きな話題となり、2024年3月に実施された松本市長選挙でも、跡地利用に関して争点となるほどでした。当初、松本市は、松本パルコ閉店後に上層階を借り、図書館などの公共施設として利用すると発表したものの、2024年4月に入って市議会での交渉が長引くことを懸念した運営会社から協議が打ち切られました。

 2024年9月になって、運営会社が新たな複合商業施設として利用すると市に申し入れたことが市の発表により判りました。しかし、具体的な案が示されているわけではなく、閉店後の行方に関しては、不透明なままです。  

イオンモール松本は、広大な敷地を生かし晴庭、風庭、空庭の三棟に分かれている。(画像・筆者撮影)
イオンモール松本は、広大な敷地を生かし晴庭、風庭、空庭の三棟に分かれている。(画像・筆者撮影)

大型ショッピングモールの影響

 松本市の商業が大きく変化したのは、2000年代です。先に書いたように2000年に井上百貨店が、シネコン併設の大型郊外型モール「アイシティ21」を開業しました。井上百貨店は、郊外型の店舗に活路を見出そうとしたのです。

 2004年には、松本駅から西に車で約5分の工場跡地に大型複合商業施設である「なぎさライフサイト」が開業。続いて2008年に南東に車で約10分ほどのところに、スーパーやホームセンターなどからなる複合商業施設「ライフスクエアCOMO庄内」が開業。中心市街地が取り囲まれるように大型商業施設が進出します。

 そして、最も大きな影響を及ぼしたのが、2017年にオープンしたイオンモール松本です。このイオンモール松本は、片倉製糸場の跡地に郊外型ショッピングモールとして移転開業した信州イオン(イオン東松本店)を建て替え、拡張したものです。店舗面積約4万9千平方メートルは、長野市でも最大であり、店舗数約170店舗、旧城下町エリアと駅前エリアの大型店の売り場面積の合計を超す巨大な商業施設となりました。松本駅からは徒歩20分、バスで10分ほどの距離にあります。現在の松本パルコからですと、東にわずか500メートルしか離れていません。

 このようにして、松本市の中心街の集客力が急激に低下していきました。

川の土手に並ぶなわて商店街。川の左手奥の中町商店街と併せて観光客に人気のエリアだ。(画像・筆者撮影)
川の土手に並ぶなわて商店街。川の左手奥の中町商店街と併せて観光客に人気のエリアだ。(画像・筆者撮影)

・観光に特化する商店街

 松本市の商店街を歩くと、松本城を訪れる観光客を対象にした観光に特化しつつあることを感じます。特に江戸時代化の商家の並ぶ景観を保全し「蔵のある街」とする中町商店街では、昼時になると観光客が行列を作る飲食店などもあります。また、女鳥羽川沿いに長屋の形式で並ぶなわて通り商店街には、約50店舗のお土産物店や飲食店が並びます。

 郊外型のショッピングモールや、コロナ禍以降に急速進んだネット通販の利用などで、地域住民の集客が難しくなる一方で、インバウンドも加わった観光客需要が増加するなかで、こうした傾向は強まりそうです。

信毎メディアガーデン(画像・筆者撮影)
信毎メディアガーデン(画像・筆者撮影)

・中心市街地の苦悩

 2018年4月に松本パルコのすぐそばに立地する場所に、信毎メディアガーデンが開業しました。これは信州毎日新聞の松本本社ビルとして5階建てで建てられました。このビルの1階は市民に開放されたコミュニティスペースやホール、2階と3階には商業施設としてレストランやアウトドアショップなどが入居しています。明るい一階のコミュニティスペースには、人々が集い、中心市街地の集客施設として成功しているように思えます。

 しかし、こうした努力もあるものの、松本パルコの撤退には、懸念する声も多く聞かれました。テナントの店主に聞くと、「今後が不透明で、どうなるのか不安。もともとテナント中心なので、パルコの名前が無くなっても、魅力的なテナントが入っていれば大丈夫じゃないかとは思いますが」と話します。別のテナントの従業員は、「外観などはきれいに見えますが、1960年代の建物に1980年代に継ぎ足していますから、老朽化していますよね。本当なら建て替えなのでしょうけれど」と話します。

 松本パルコの近くの商店経営者は、「パルコの閉店の話も聞き、うちも業態転換をする時期かなあと思っています。この地域は、ちょっとおしゃれな、良いものがあるというのが売りだったのですが、少し寂しいですね」と話します。

 一方、買い物客の若い男子大学生に聞くと、「飲み会とかは松本駅前に行きますけど、買い物はイオンモールですね。なんでもあるので。パルコが本当に無くなっちゃうと、確かにあの辺りに行く用事がなくなりますね」と話します。60歳代の女性二人に聞くと、お一人が「うちの旦那が、なんで平日の井上百貨店はこんなに人がいないんだなんて言うんですよ。自分の息子たち夫婦を見てごらんなさい。若い世代は共稼ぎで働いているのに、今時、平日にのんびり駅前の百貨店でお買い物できる奥様なんていないでしょって、言いましたよ」と言います。それに応えて、もうお一人が「私たちの若いころは、ちょっと良いものとか、おしゃれなものっていうと井上やパルコだったけれど、うちの娘なんかは、ちょっとなにか欲しいい物があるっていうと、直接、新宿や渋谷に行ってます」と話します。

 松本駅から新宿バスタまでは、高速バスで3時間20分ほど、運賃が通常で3800円、回数券を使えば3250円で、日中はほど30分に1本の運行されています。50歳代の企業経営者の女性は「昔は、松本で東京と同じものが買えるというのに多くの人が魅力を感じました。しかし、今は、交通機関も発達して、東京と同じものなら、品ぞろえも豊富で、店も多い東京に行って買うとなってます」と説明してくれました。

松本市内を取り囲むような形で郊外型商業施設がある。(各種資料から筆者作成)
松本市内を取り囲むような形で郊外型商業施設がある。(各種資料から筆者作成)

中心市街地における商業機能はどうあるべきなのか

 中心市街地に隣接する場所に、大型ショッピングモールが立地し、さらに市内を取り囲むようにして郊外型の大型商業施設が複数立地しています。地域住民の買い物需要は、これらに吸収されているといえます。しかし、他の地方都市であるような衰退した中心市街地といった雰囲気は松本では感じられません。

 駅前のバス乗り場には、休日には、松本城や隣接する浅間温泉、美ヶ原温泉などに向かう観光客が列を作っています。2023年に移転オープンした松本市立博物館は、多くの観光客が訪れるだけではなく、市民の憩いの場として人気があります。郊外型大型店への地域住民の需要流出を、観光客の需要増加で一定カバーできているからだようです。

 松本市の人口は、2002年の24万4,603人をピークに減少傾向にあります。しかし、2022年には転出を転入が上回る「社会増」を4年連続で記録しています。こうした傾向に加え、高齢者が増加し、運転免許の返上も増加する中で、いつまで郊外型小売店舗に依存できるのでしょうか。井上百貨店やパルコの閉店が大きな契機となり、中心市街地における商業機能はどうあるべきなのか議論を一層深める必要があると思われます。

松本城は、世界文化遺産登録を目指した取り組みが行われている。(画像・筆者撮影)
松本城は、世界文化遺産登録を目指した取り組みが行われている。(画像・筆者撮影)

神戸国際大学経済学部教授

1964年生。上智大学卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、京都府の公設試の在り方検討委員会委員、東京都北区産業活性化ビジョン策定委員会委員、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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