百貨店が無くなって20年経った~「つかしん」の今
・大型商業施設グンゼタウンセンター「つかしん」
兵庫県尼崎市にある大型商業施設グンゼタウンセンター「つかしん」は、大阪駅から北西に約10キロの位置にある大型商業施設です。滋賀県に本社のある平和堂が運営する総合スーパー「アル・プラザ」を核テナントに、約150の専門店、天然温泉、スポーツクラブなどの施設があります。
この「つかしん」は、尼崎市と伊丹市の境界にあるグンゼ株式会社の工場跡地を大規模再開発し、1985年に開業しました。開業から来年で40年が経過しますが、実はここには20年前まで百貨店があったのです。
商業施設グンゼタウンセンターの運営は、グンゼ株式会社の連結子会社、株式会社つかしんタウンクリエイトが行っています。工場跡地を手放さす、そのまま元の所有企業が運営を行っているわけです。
・開業当初は、全国から視察団が
「つかしん」は、尼崎市と伊丹市の境に位置する大規模な商業施設として1985年にオープンしました。元々は繊維メーカーのグンゼが工場跡地を再開発し、オープン当初は、百貨店やスーパー、レストラン、専門店など多くの店舗が出店し、さらにイベントホールや映画館、スポーツ施設も備え、商業と娯楽が一体となった新しい大型複合施設として登場しました。
1985年と言えば、バブル経済期の初期に当たり、華々しく登場した「つかしん」は、多くの買い物客や家族連れに人気のスポットとして有名になりました。また、地域開発の好事例として、全国から多くの視察団も訪れるほどでした。
・「生活総合産業」というコンセプトを掲げた西武の堤清二氏
「つかしん」の開発コンセプトに大きな影響を与えていたのは、核テナントとして出店した西武百貨店の創業経営者であった堤清二氏でした。当時、堤清二氏は、単なる商業施設の運営にとどまらず、文化、芸術、生活スタイルなどを包括した「生活総合産業」というコンセプトを掲げ、商業施設を地域社会の豊かな暮らしの場として捉えていました。
堤氏は、そのカリスマ的経営手腕で、1980年代前半には西武百貨店を売り上げ日本一に導き、西友、ファミリーマート、無印良品、ロフト、パルコ、WAVE、大型書店「リブロ」など商業施設にとどまらず、セゾン美術館、パルコ出版、FMラジオ局「J-WAVE」などの文化事業など、幅広い活動は「セゾン文化」と呼ばれるほどになりました。そして、「生活総合産業」の要として1972年に設立された西武都市開発(1986年から西洋環境開発。2000年解散。)だったのです。
・堤清二氏の理念の具現化「つかしん」
当時、関西地方では知名度が高くなかった西武グループが、手がけ、高い評価を受けたのが、1985年に販売が開始された京都市西京区の桂坂ニュータウンでした。「自然と人工が融合する豊かさの創出」を開発理念に、洛西の南向け斜面に一戸建てを中心とした高級住宅地が開発され、その質の高さは現在も評価されています。
そして、もう一つの関西地方での取り組みが「つかしん」だったのです。堤氏の理想を実現する大型開発は、「生活遊園地」をコンセプトに単なる商業施設を超えた質の高い郊外型生活を提案するものでした。商業だけでなく、文化、芸術、コミュニティ活動を融合させ、地域との調和や都市と自然の共生を図った都市空間の提供という堤氏の理念が、具現化したものが「つかしん」でした。
これら関西地方での二つの取り組みは、西武グループの名前を知らしめるに充分な効果があったことは、当時の報道や記録を見ても明らかです。
・短かった栄光の日々
1985年の開業からしばらくは、周辺道路は渋滞するほど、遠方からも多くの買い物客が押し寄せました。大都市の近郊の、それも鉄道の駅に隣接していない工場跡地を、それまでにないコンセプトで大規模開発を行った「つかしん」には、自治体関係者などの視察団も多く訪れました。
しかし、栄光の日は長く続きませんでした。バブル景気の崩壊と消費低迷によって1990年代後半になると、「つかしん」の集客力は急激に低下し、テナントの撤退も続きました。また、バブル経済期の象徴的な巨額経済事件であるイトマン事件では、絵画の不正取引を巡って、つかしん西武(西武百貨店つかしん店)の関係者が関与していたことが明らかになり、不名誉な形で話題になりました。
・西武百貨店の撤退
つかしん西武は赤字が続きました。そして、バブル経済崩壊後、西武百貨店そのもので、2003年2月に「私的整理に関するガイドライン」に基づく「再建計画」が成立します。その「再建計画」に沿って、2004年5月につかしん西武は撤退することになったのです。
バブル経済崩壊の影響以外にも、高級志向だったコンセプトが地域社会のニーズに合っていなかったことや、鉄道の主要駅から離れていること、さらには2002年にわずか2キロ北側のJR伊丹駅前にイオンモール伊丹(開業当初はダイヤモンドシティテラス)が開業するなどが大きく影響したものと考えられます。
・この20年間に、近隣には複数の大型商業施設が
つかしん西武が閉店してから、ちょうど20年が経過しました。この20年に間に、「つかしん」周辺の商業環境も大きく変化しました。2002年のイオンモール伊丹に続いて、やはり「つかしん」から、やはり2キロ北西の三菱電線工業伊丹製作所の跡地に2011年にイオンモール伊丹昆陽が開業。その少し前の2008年には、阪急西宮スタジアム跡地の再開発によって、阪急西宮駅前に阪急百貨店を核テナントとした「阪急西宮ガーデンズ」が開業しています。
こうした競争の激化の中、「つかしん」では、2004年に天然温泉「湯の華廊」が開業、2006年には平和堂としては兵庫県初出店となった総合スーパー「アル・プラザ」が開業しています。これまでに数度のリニューアル工事や新築、改築を行っており、現在では多くの飲食店や物販店などがテナントに入り、買い物客で賑わっています。
開業当初、話題になった斜行エレベーターは健在ですが、屋上にあるフットサル場の専用になっています。西武百貨店撤退以降も、テナントの入れ替わりが続き、その構成は、その他の近隣型ショッピングモールと競合する形となっています。
広々とした敷地に樹木や川などの自然を生かした配置は、ほかのショッピングモールよりもゆったりした「街」を感じさせます。建物のあちこちには、バブル時代を彷彿とさせる装飾などが施されています。一部のフロアを除けば、空き店舗も目立たず、テナントの新陳代謝も進んでいるようです。温泉施設「湯の華廊」も2018年にリニューアルを行うなど、定期的な改修も行われています。もちろん、開業から40年近くが経過した建物もあり、さすがに一部には老朽化が否めませんんが、所有者であるグンゼ株式会社が大切に使っていることが伝わってきます。
・近隣型商業施設に転換し、復活
1980年代後半から1990年代前半にかけて、郊外に百貨店を進出させることがブームになった時代がありました。つかしん西武は、その象徴的存在でした。今、「つかしん」を歩いてみると、堤清二氏が理想とした高品質な「生活遊園地」には及ばないかもしれません。しかし、若いお母さんたちが子供を遊ばせ、若者がフットサルに訪れ、家族連れが食事やショッピングを楽しみ、高齢者が温泉に通っている姿を見ると、目指した方向には間違いはなかったのではないかと思えてきます。
2022年にはフードコートの新設、2023年には西側入口の整備などを実施、2024年に入ってからも無印良品つかしん店の全面改装などを行うほか、積極的に新規テナントの誘致しています。
それらの成果もあり、2022年度の全館売上高は前期比3%増の237億円、さらに2023年度の同売上高は前期比4.2%増の248億円と、これまでの過去最高売上高である2018年度実績である257億円に近づきつつあります。
各地で百貨店が閉店し、集客力の低下を嘆く意見を耳にしますが、百貨店が無くなってから20年が経過した「つかしん」の現状を見る限り、それぞれの地域でも、まだまだ取り組むことができる可能性があると感じます。
百貨店中心の高級品志向の商業施設から、近隣型商業施設に転換してきた取り組みは、参考になる地域は多いでしょう。まちづくりに関係する人々にとって、「つかしん」には、開業当初よりも、現在の方が視察する意味が出てきているのではないでしょうか。