【2020年を振り返る】教育不信と教育依存が高まったか
■この1年あまりを振り返る
早いもので、2020年もあとわずか。読者のみなさんにとっては、どんな1年だっただろうか。知人の校長先生らに聞いてみると、新型コロナウイルスの影響で、「40年近い教職経験のなかで、こんなことはなかったということが立て続けに起きた」と言う方もいる。たいへんな日々のなかで尽力された教育関係者は多いと思う。
さて、暦が変わると心機一転する側面はあるが、コロナ後(withコロナ)もコロナ前と連続している部分もある。同様に、2021年も今年と連続する部分もある。多くの人は忘れかけているかもしれないが、1年数ヶ月前はテレビでもネットでも大騒ぎだったことがある。
神戸の東須磨小学校での教員間暴力事件である。全国2万校近くある小学校のうちの1校で起きたことなので、これをもって全国的にそうだとは言えないわけだが、少なからず、保護者や世間の人は、「学校の先生、大丈夫か?」と思ったことだろう。
ちょうど同じ頃、教員採用試験の倍率低下が各地で起こり、2倍を切るところも出るなどして、教員の質を不安視する論調も見られた。
つまり、教師不信、学校不信が高まったのではないか。日本経済新聞社の世論調査(2019年)によると、教師を信頼できないという回答は27%で、信頼できない人としては上位にランクインした。国会議員46%、マスコミ46%よりはマシだが(日本経済新聞2020年1月10日)。
さて、問題は、この動き、学校不信、教師不信が2020年にはどうなったか、である。
■休校中の学校の対応はよかっただろうか?
3ヶ月近い休校(臨時休業)とニューノーマルのなかでの学校再開を経験して、多くの教職員や保護者等は、学校の役割や存在意義を見つめなおすこととなった。
わたしも、保護者(小中高)のひとりとしては、率直に申し上げて、学校があるありがたさを痛感している。子どもたちや家庭にもよるが、なかなか、家では子どもたちの学習は思うようには進まない(ゲームや娯楽動画など消費的な生活が多くなりがち)。学校では勉強を教えてくれて、朝から夕方まで安全な環境で過ごすことができる。給食も美味しい。繰り返すが、親としては、学校はたいへんありがたい存在だし、先生たち(教員だけでなく、他のスタッフの方も含めて)のがんばりにはとても感謝している。
と同時に、かなり多くの保護者が休校中の学校の対応には失望したのではないか。大量の学習プリントを渡されて、「あとはご家庭で見てください」と言われても、困った家庭は多かった。
業を煮やした保護者の有志は、5月に東京23区のオンライン学習(双方向性のあるオンライン授業やホームルーム)の先行事例を一覧にしたり、進捗度合いをマップ化したりした。東京だけなく、学校や教育委員会の動きが遅いことに危機感を募らせた保護者等は少なくなかっただろう。学校のICT環境が脆弱なことなど、難しい事情はたくさんあった。たとえば、動画配信しようにもカメラ付きのPCがない、インターネット回線が遅過ぎる、自治体の個人情報やセキュリティポリシーで禁止事項が多いなど。
だが、3月の急な休校要請のときならまだしも、2ヶ月以上経過した5月になっても進まなかったところは多かった。文科省の6月の調査によると、休校中、小中学校で双方向性のあるオンライン学習を実施した自治体は1割ほどに過ぎない(次の図)。これとて、学校数を把握した調査ではなく、教育委員会数を把握したものなので、実際はもっと少ない可能性もある(教育委員会は管轄内で1校でもやっていればYesと回答している可能性もあるので)。
わたしが5月に保護者向けにアンケート調査をしたところ、「休校中の学校からのコミュニケーションや働きかけが少なく(または満足できるものではなく)、信頼感が下がった」という割合は公立小中学校の保護者の約半数に上った(次の図)。
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このアンケートはSNSを通じて呼びかけたものなので、サンプリングにはバイアスが強く働いている可能性はあるが(もともと問題意識が強い人が回答しているなど)、仮に話半分で2割強がそう回答したとしても、わたしとしては心配する数字だ。
ところが、学校再開後こんにちまでの動きを見ていても、学校や教育行政のなかには、動きは鈍いままで危機感は薄いところもある。より正確に言えば、二極化している可能性が高い。たとえば、オンラインセミナーなどが増えたので、Zoomなどを使い慣れて学びを広げている先生もいる一方で、まだほとんど使ったことないという先生もいる。ちなみに、わたしは教育委員会や教職員向けの研修講師をしているが、いまもオンラインでの研修会ができないと言う自治体は少なくない。
また、休校中、学校と児童生徒、保護者とのあいだのコミュニケーション手段がほとんどなく、一斉配信メールとプリント、学校HPでの掲載くらいで、双方向性のあるものはほぼ皆無だったところは多かった。にもかかわらず、いまもそのままという地域は多いのではないだろうか。
■不信と期待が入り交じる
問題はICT活用だけではない。今年は教員のわいせつ事案や性犯罪をめぐる議論も活発に行われた。読売新聞をはじめ、よく報道していただいているし、厳しく対処していく問題だが、教育不信を高めることにもなっている。
また、肝心の授業の中身は、いいものになっているだろうか。「学校は保育所でも託児所でもない、教育機関だ」、そう多くの先生たちは言う。ならば、教育のプロとして授業づくりや自己研鑽は十分に行えているだろうか。GIGAスクールで端末が整備されても、中身のある授業のなかで活用されなければ、「活動あって学びなし」に近い状態となるだろう。
学校不信、教師不信と、学校、教師への期待、これが同居しているのがこんにちの状況ではないだろうか。
15年近く前だが、広田照幸教授(日本大学)は『教育不信と教育依存の時代』(紀伊國屋書店)という本を出されている。まさに、2020年はこのタイトルにあることを実感した。突然学校に行けなくなり、子どもを家で面倒をみることになったことで、これまでわたしたちがいかに学校に依存していたのかを痛感させた。一方で、教育不信も2019年あるいはその以前からくすぶっていたものが、さらに高まった。
同書のなかではこうも述べられてる。
この指摘は、わたしにも言える点も多々あると思うが、一部冷ややかな目線ももっているつもりだ。教育改革が必要だと叫ぶ者ほど、自身が信奉する教育モデルには過度の信頼を置いているという指摘が同書にはある。たとえば、少人数学級になればバラ色、とはわたしは思っていない。また、9月入学をめぐる今年の論調も思い出していただきたい。
一方で、保護者等のなかには、いまの学校に見切りを付けて、塾やオンライン教材、あるいは私立学校等への進学を図っている人もいる。また、私立学校とて売りにしていた修学旅行などに制約があり、授業がよいものでなければ、安心できる状態ではない。つまり、教育不信だが、教育依存ではない、あきらめモードという場合もある。
いずれにしても、教育不信、学校不信をどうリカバーするのか、これが2021年も問われることになる。教育長や校長は「教員採用試験の倍率が今年も低くて、教員の質が心配だ」と愚痴ったり、「コロナで大変ななかがんばっている。わたしは退職まであとわずか、どうか平穏で過ぎてほしい」などと悠長に構えたりしている場合ではない。
※この記事は教育新聞への寄稿(2020年12月15日)に加筆してアップしました。
※教育不信、教師不信については拙著『教師崩壊』でも関連する分析をしています。
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