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甲子園はいつまで「聖地」なのか 高校野球を守るため「伝統」の上書きを

阿佐智ベースボールジャーナリスト
(写真:アフロ)

 まれに見る夏の長雨に「夏の甲子園」が悩まされている。史上最多の6日の天候不良による試合順延の中、大会の日程変更に迫られた。現在のところ、準々決勝後、1日の休養を挟んで、28日に準決勝、29日に決勝というスケジュールになっているが、31日にはプロ野球・阪神タイガースの主催ゲームが入っている関係上、決勝をこれ以上後ろ倒しにはできない。今後、雨天順延などがあれば、休養日なしということになる可能性もある。最悪の場合、31日の日中に高校野球の決勝と閉会式を行い、夜にプロ野球のナイトゲームという案も挙がっているが、球場の広告などを変える作業に時間がかかるため、同日開催は現実的ではないだろう。その前日も同じ理由で、高校野球側が使用するのは難しいのではないか。

 私は3年前、高まる高校野球バッシングを前に以下のような記事を発表した。

『日本の偉大なスポーツ文化である「甲子園」を「残酷ショー」と呼ばせないために』(https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20180823-00093998/ )

 日本の誇る偉大なスポーツ文化である「甲子園」を守りたいという思いから筆を執ったのだ。あれから3年が経ち、「甲子園」を巡る状況も変わり、高野連も少しずつ改革を進めつつある中、改めて「甲子園」に対する私見を述べたいと思う。

絶対的な「聖地」、甲子園球場

 「夏の甲子園」の正式名称を問われて、「全国高等学校野球選手権大会」と即座に答えられる人は多くはないだろう。今や「甲子園」の語は、単なるスタジアムの名ではなく、「ダンス甲子園」、「数学甲子園」など、高校生が「日本一」を目指して切磋琢磨する場の代名詞となっている。同様の使われ方をする「オリンピック」がスポーツ大会の名であるのに対し、「甲子園」が特定の場所に紐づけされていることは、そこが「聖地」とみなされていることを示している。今年初めて高校女子硬式野球全国大会の決勝が甲子園で行われたのも、その文脈上にあると言えるだろう。

 女子野球を巡る状況については、「甲子園」に至るまでの道のりを語る報道の多くにおいて、「聖地」での決勝戦開催を「重い扉を開いた」という語りで締めくくっていた。それはまるで長年女性を排除してきた相撲の土俵と同じだと論じる語りも見受けられたが、相撲の土俵と甲子園球場を同列に扱うことはできないだろう。女子高校野球選手は、フィールドに上がることを禁じられていたわけではなく、夏の全国大会のフィールドとして甲子園球場を使用できなかっただけなのだから。プロ野球球団の本拠地で男子高校野球の大会が行われるこの場所に、他の大会が入る余地はないと考えるのは妥当であろう。正直なところ、あの広いフィールドと巨大な外野スタンドをもつ甲子園球場の規模は女子野球選手には大き過ぎると私は思う。しかし、「甲子園」でプレーしたいという女子選手の思いが世論を味方につけ大きな山を動かすかたちになったことは、その根底に「高校野球の頂は甲子園」にあるという国民全体の共通認識があったからではないだろうか。

 現実には、球児たちのフィジカルケアの側面から日程に余裕を持たせる必要が出た結果試合のない日が出てき、またジェンダー意識の高まりから男子競技で使用するフィールドを女子が使用できないという状況は看過できなくなってきたという状況が今回の決勝戦開催につながったのだろう。競技人口の減少に悩む野球界全体としても、今後女子競技者を増やしていくには、「甲子園」はキラーコンテンツとなる。

 女子野球は女子野球なりの「聖地」を創っていくという考え方もあるが、「甲子園」が「高校生の目指す頂」を示す代名詞となっている現状では、それもなかなか難しいのかもしれない。その意味では、「甲子園」は世界的に見てもまれなスポーツの伝統であると言える。

 特定のスポーツが特定の場所に紐づけられる伝統は、テニスのウィンブルドンのように他の国にもある。先日、メジャーリーグが公式戦を行い、大谷翔平もプレーしたウィリアムズポートもリトルリーグ発祥の地で、毎年世界大会が行われている「聖地」だが、メジャーリーグの公式戦が行われた球場は、リトルリーグの「聖地」とは別物である。メジャー公式戦の行われた球場は、昨年までマイナーリーグの本拠だったところで、リトルリーグの世界大会は川向こうの隣町の2つの球場で行われる。「甲子園」のように「伝統」と特定のフィールドが絶対的に紐づけられているわけではないのだ。

「甲子園」という「伝統」と化した「全国高等学校野球選手権大会」

外壁にツタが絡まる改修前の甲子園球場。その外観も「伝統」を感じさせた。
外壁にツタが絡まる改修前の甲子園球場。その外観も「伝統」を感じさせた。写真:アフロ

 「創られた伝統」という言葉がある。「伝統」とは変え難きようなものに思えるが、現実には過去のどこかの時点にはじまりはあるのであり、そのはじまりは案外遠くない過去のことであったりする。そして、「伝統」は、それを「伝統」足らしめんがために意図的に「創造」されることさえある。

 例えば、相撲の土俵の上に架かっている屋根だが、現在では神明造で古代の神事に由来する相撲の「伝統」を視覚化するのに役立っているが、元々は屋外で実施される際の日よけ以上の意味はなかったらしい。つまりは土俵に必ずしも必要なものでもなかった。この屋根が意味を持ち始めるのは、昭和の時代になってからのことであり、日本が「神国」の名の下、戦時体制に入っていく中、ことさらに神道と相撲を結びつける意図が働いたものと考えられる。

 「甲子園」もそのような「創られた伝統」であると言える。夏の高校野球全国大会は、「全国中等学校優勝野球大会」の名で1915(大正4)年に始まったのだが、この時、甲子園球場はまだ影も形もない。記念すべき第1回大会は、のちに甲子園球場を建設する阪神電鉄のライバル会社となる箕面有馬電軌(のちの阪急電鉄)沿線の豊中球場で行われた。箕面有馬電軌が大阪・神戸間の新線敷設を進めていく中、阪神は「全国中等学校優勝野球大会」の開催を自路線の沿線の鳴尾球場に誘致。第3回大会からはここで大会が実施されることになる。この時主催者が会場を移すことを決めたのは、鳴尾球場が2面のフィールドを備えており、大会の期間を短縮できたことが大きな要因だったという。

 その後、大会の人気の高まりとともに、大きなスタンドを備えた新球場の要望が高まり、1924(大正13)年、鳴尾球場からさほど離れていない場所に新球場が建設された。球場の名はその年の干支にちなんで「甲子園大運動場」と名付けられ、この年の第10回大会から「全国中等学校優勝野球大会」の会場となる。翌年には前年春に愛知県の山本球場で始まった「選抜中等学校野球大会」もここで開催されるようになり、以後、甲子園球場は、高校野球の「聖地」としての伝統を築いていく。

 とは言え、「全国中等学校優勝野球大会」と戦後の学制改革後の「全国高等学校野球選手権大会」が一貫して甲子園球場で行われたわけではない。敗戦翌年の1946(昭和21)年に5年ぶりに実施された第28回大会は甲子園球場が進駐軍により接収されていたため、近隣の西宮球場で実施されている。それでも、幾多の名勝負や「甲子園の砂」など様々なエピソードが「甲子園の伝統」をかたちづくり、今や甲子園球場と高校野球全国大会は切っても切り離せないものとみなされるようになっている。1990年代に日本にもドーム球場ブームが起こったが、天候に左右されないスポーツ興行にとって夢のようなドーム化案もこの球場にあっては、内外からの猛反対で早々に撤回されている。

時代とともに不可避な改革

 以上のような歴史を経て世界的にもまれな「聖地」となった甲子園球場だが、高校野球との関係も見直しの時期に来ているのかもしれない。

 戦前の春の選抜大会で骨折した左腕を三角巾で吊り下げながら力投し力尽きた滝川高校の別所昭(のち毅彦)を「センバツの花」と称えたかつてのような風潮はもはやない。もしそんなことをすれば、指導者は責任を問われるだろう。投手の肩が消耗品であるという考えが当たり前となった現在では、エースピッチャーに連投をさせがちになるノックアウト方式のトーナメントさえ批判の目にさらされている。

 また、本来的に「学生」である高校球児を、勝ち続ければ2週間の長期にわたり拘束することに対しても疑問の声が湧き上がっている。そして、女子野球との兼ね合いもある。今年行った決勝戦は今後も続けないわけにはいかないだろう。しかし、そうなれば、甲子園球場の飽和状態は解決されることはない。近年の気候変動による夏の長雨や豪雨を考えると、遠からず大会の運営が行き詰まるだろう。気候変動は偶然の出来事などではなく、長年の人類の活動がもたらした恒常的な現象であることを疑うことはもはやできないだろう。それを考えれば、高校野球全国大会の代名詞としての「甲子園」は、そろそろその看板を下ろすべき時に来ているのではないだろうかと思う。

 阪神地区には、プロ野球の本拠地サイズの球場が甲子園球場のほかに2つある。ほっともっとフィールド神戸と京セラドーム大阪だ。アメリカの球場を彷彿とさせる内野フィールドに敷き詰められた天然芝をもつほっともっとフィールドは、新たな「伝統」の要素を十分に持っているし、屋根のある京セラドームには雨天でも試合を行えるというメリットがある。これら近接した球場も高校野球で使用すれば、大会の期間は短縮でき、予備日も現在より多く取ることができる。「高校野球」=「甲子園」という「伝統」を重んじる立場からは、荒唐無稽な話だと一蹴されるだろうが、すでに述べたように、「伝統」とはそもそも「創られる」ものであり、それならば、関西3大球場を男女で使用する新たな高校野球の「伝統」もこれから創っていくことも可能なはずである。例えば、男子は甲子園と京セラドームで休養日を設けながら効率的に試合を消化し、女子は神戸での試合をメインに、男子の休養日に甲子園を使用。決勝は男女同日で「聖地」甲子園で行えば、選手のフィジカル面にも、ジェンダーにも配慮した「令和の伝統」を築くことが可能になる。

 こうすることによって、もはや恒常的となった開催期間中の酷暑にも対処できる。つまり、オープンエアの球場での試合は、午前中の1試合と午後の1試合、そしてナイトゲームの1日3試合を上限とするのだ。そして、この夏のような長雨も想定し、試合中の雨天中断に際してはいわゆるサスペンデッドを導入し、実施したイニングは無効にせず、そのまま次回に生かすことも考える必要があるだろう。これについては、「継続試合」という名称で高野連も検討に入ったらしいが、昨今の状況を考えると、導入は不可避ではないかと思う。

 ちなみに、サスペンデッドはメキシコのトッププロリーグ、メキシカンリーグのポストシーズンにおいて導入されている。この国の夏の野球シーズンは、まさに雨季で、中部以南では1日に1度は、必ず派手なスコールが降る感覚である。降雨の時間は決して長くはないが、ゲーム中に降られると、たちまちのうちにフィールドには水が溜まり、その日はゲームの続行は不可能になる。普段のリーグ戦は、雨が降ればキャンセルし、連戦の初戦の場合は、同じ連戦の中で7イニング制のダブルヘッダーを行って試合を消化するが、雨天中止試合だけのために後日に別途遠征をするようなことはなく、あらかじめ設定された連戦中に試合を消化できなかった場合は、そのままキャンセルになってしまうことも多い。ただ、チャンピオンを決めるポストシーズンに関しては、かならず9イニングで決着をつけることになっているようで、降雨で試合続行が不可能になった場合は、翌日その続きを行う。チケットはそのまま有効だ。私の経験では、サスペンデッドとなったその翌日も、試合中にまたもや雨天中断となり順延。3日目は9回裏ランナーを塁上に置いた時点から再開され、プレーボール直後に、サヨナラヒットで試合終了ということもあった。サスペンデッドゲームなどほとんどない日本の野球ファンの目からは違和感があるかもしれないが、要は慣れの問題ではなかろうか。

 日本の野球界が築き上げてきた「伝統」は、守っていくべきものである。しかし、時代が変わっていく中、その変化に対応した新たな「伝統」を上書きしていくことも必要である。今、高校球界に求められているのは、「甲子園」の伝統を尊重しつつも、「甲子園」だけではない、新たな「高校野球全国大会」のかたちを創っていくことではないだろうか。やがて月日が経てば、それもまた「伝統」となっていくのだから。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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