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【光る君へ】藤原道長に重用された陰陽師・安倍晴明の最期

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
安倍晴明像。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」は、ユースケ・サンタマリアさんが演じる陰陽師の安倍晴明の最期の場面だった。藤原道長はことあるごとに晴明を頼っていたが、いったいどういう人物だったのだろうか。

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 安倍晴明は、延喜2年(921)に安倍益材の子として誕生し、のちに賀茂忠行・保憲父子から陰陽道を学んだ。保憲からは、天文道を教授されたといわれている。

 ちなみに、かつて晴明の名は「せいめい」と読まれていたが、その後の研究の進展により、「はるあき」、「はるあきら」、「はれあきら」と読まれるようになった。

 陰陽道とは、古代中国で成立した陰陽五行説をもとにして、日本で独自に発展・体系化された自然科学・天文・暦・呪術などのことである。

 陰陽道に携わった者が陰陽師であり、職員として陰陽博士、暦博士、天文博士、漏刻博士などがいた。所管した役所が陰陽寮である。晴明は、陰陽師の代表の一人だったのである。

 今は科学が進歩しているので、呪術などはあまり信頼されないが、当時の人々は大いに頼っていた。陰陽師や寺社に加持祈禱などを依頼し、病の平癒を祈念させたのは好例だろう。

 神頼みに効果があるか否かはあてにならなかったが、人々は加持祈禱などを頼ることによって、少なくとも心の平安を得られたのだろう。それゆえ、藤原道長も晴明を大いに頼ったのである。

 晴明は花山天皇から信頼を得て、重用されるようになった。花山天皇の退位後は、一条天皇や道長から信任された。正暦4年(993)、一条天皇が病に伏せた際、晴明の禊の奉仕により、回復したという。

 寛弘元年(1004)は旱魃により、人々は大変苦しんでいた。そこで、晴明が雨乞いの五龍祭を行うと、ただちに雨が降ったので、一条天皇は晴明に被物(かずけもの)を与えたという。

 晴明が亡くなったのは、寛弘2年(1005)のことである。晴明の死後、その子孫は陰陽師として朝廷に仕え、賀茂氏と並び称されたのである。

参考文献一覧

村山修一『日本陰陽道史話』(平凡社、2001年)

斎藤英喜『安倍晴明』(ミネルヴァ書房、2004年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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