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落語家の始祖といわれ、豊臣秀吉に仕えたという曽呂利新左衛門は実在したのか!?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉。(提供:アフロ)

 今も会社などでは、仕事はイマイチでもムードメーカーの社員がいるかもしれない。落語家の始祖といわれ、豊臣秀吉に仕えたという曽呂利新左衛門もそんなイメージがあるが、実在したのか考えることにしよう。

 曽呂利新左衛門といえば、豊臣秀吉が顔が猿に似ていることを嘆いていると、「殿下を慕って、猿のほうが似せたのです」と述べるなど、頓智を利かせたユーモアなどで知られている。

 曽呂利新左衛門は落語家の始祖といわれ、秀吉に御伽衆として仕えたといわれている。御伽衆とは主君の身辺にあって、武功話などをして喜ばせていた。秀吉に仕えた大村由己は、よく知られている。しかし、曽呂利新左衛門には、あまりに謎が多い。

 曽呂利新左衛門が発給、あるいは受給した書状の類はない。曽呂利新左衛門が登場するのは、『絵本太閤記』、『堺鑑』、『和泉名所図会』、『甲子夜話』といった、江戸時代に成立した編纂物ばかりである。そのような事情から、曽呂利新左衛門の実在は疑わしいとされている。

 曽呂利新左衛門の実名は、杉本甚右衛門(または彦右衛門、新左衛門など)といわれており、誕生したのは三河国、あるいは和泉国という説がある。

 堺(大阪府堺市)に出た曽呂利新左衛門は、刀の鞘を作ることを生業とした。その一方で和歌に優れており、能筆家でもあった。茶道の造詣も深かったといわれている。

 秀吉が曽呂利新左衛門を登用したのは、話術が優れており、頓智が冴えわたっていたからだった。それゆえ、曽呂利新左衛門は秀吉からの信任が厚く、重宝されるようになったのである。

 曽呂利新左衛門と秀吉との関係は、江戸時代に成立した『曽呂利狂歌咄』、『曽呂利物語』に描かれている。しかし、それらの話の中には、明らかに創作されたものもあるので、内容は疑わしいとされる。

 『曽呂利物語』によると、秀吉は曽呂利新左衛門に「おどろおどろしきこと」を話せと命じたので、毎日10編の話をし、それを近習の者が書き留めたと伝わっている。とはいえ、それらの話は荒唐無稽で信が置けないので、やはり単なる創作だろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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