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ドラマ『新宿野戦病院』が残した強烈なメッセージ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:西村尚己/アフロ)

混乱のまま終わった『新宿野戦病院』

『新宿野戦病院』は最後まで混乱のままで終わった。

(ドラマの最後までのネタバレしています)

最終話では、コロナのあとにルミナという似たような感染病が広がり、その対応に追われることになる。なんとかルミナは収束して、近未来でドラマは終わる。

舞台となった「まごころ病院」では、あいかわらず(元)院長がおれの朝飯はどうしたと聞いていて、1話と風景が変わらない。

ヒロインのヨウコ(小池栄子)は、もはや日本を抜け出しており、中東紛争のどこか野戦病院で仲間たちとペヤングを食べている。たぶん1話が始まる前とあまり変わらない。

いろんなことは変わったけど、でも変わらないところは変わらない。

新宿の病院の「現在」が描かれる

新宿の歌舞伎町は、華やかで闇の深いエリアであり、その過激な現場の「現在」を描き続けたドラマだった。

あまり「現在だけ」を描き続けるドラマというのは少ない。

ふつうのドラマはこれからどうなるのかで引っ張る。

「首相公選制を掲げた政治家の未来はどうなるのか」「疑似家族を続けている西園寺さんのこのあとはどうなるのか」「子供たちの受験に心血を注いでいる母たちの争いはどうなるのか」「6歳になって初めて知った自分の娘との将来はどうなるのか」などなど、連続ドラマは、この先どうなるのか、という興味で引っ張っていく。それがふつうだ。

『新宿野戦病院』はときに動かない

でも『新宿野戦病院』は、そういうビジョンを示していなかった。

舞台になる歌舞伎町の「まごころ病院」は、常に歌舞伎町で起こった事件や事故、病疫に即時に対応する。

起これば動く。

起こらないと動かない。

前線ではいま起こったことに対応する

何も起こらないと何もしない。誰も運び込まれてこないので、医者たちが暇をもてあましていて、当直以外がそこで一緒に酒を飲み出していることもある。

先へのビジョンがないのというのは、いま現在があまりに大変だからだろう。

戦場の最前線はいま目の前のことにしか対応できない。

後方に構える将校は、これからどうなっていくのか、どこで激戦化していくのかを見通すことができるかもしれないが(それはそれで天才戦略家だけど)、前線の野戦病院は常にその場で運び込まれる傷兵に対応するしかない。予想ができない。

それが現場である。

まるで演劇を見ているよう

『新宿野戦病院』はそういう現場を見せるドラマだった。

ちょっと珍しい。

それは言い方を換えると、このドラマはどうなるのだろうか、という引きがないということでもある。

それでも十分おもしろい。なんか、下北沢か新宿で演劇を見ているような気分だった。

そこまで圧倒的な評価にならなかったのもわかる。

展開の謎で引っ張らないドラマは、やはり見る人を選ぶ。

主演女優のセリフ回しが滑らかではない

そもそもヒロインのヨウコはアメリカ人で、英語がネイティブで、日本語はなぜかぼっけえ岡山弁というキャラクターだった。

岡山弁はいいのだが、英語がやはり滑らかではない。

小池栄子が英語が得意だったというのはこれまで見かけたことがないし、それでも英語中心の人物を演じて、堂々としているのは、やはりおもしろい演劇を見ている気分になった。

たぶん、ここでもついていけなくなった人もいたのだろう。

50年前の『エマニエル夫人』ネタ

でも、そこがおもしろかった。

やや大味なところを、キャラの強さと、セリフでどんどん引っ張っていって、飽きさせない。

映画へのこだわりも気になるところだったが、気にする必要はなかった。いくつかの映画名が出てきて、「エイリアン」「バッファロー66」に「戦場のメリークリスマス」「サタデーナイトフィーバー」「家族ゲーム」「エマニエル夫人」などなど、いろんな小ネタがはさまれていて、でもどれもどうでもいい内容だった。

いちおう最後に出てきた「小池栄子がエマニエル夫人椅子にエマニエル夫人座りをしている」というシーンには笑ってしまったが、ちょうど50年前の映画だ。いまどきのネタではない。

映画小ネタは本筋とほぼ関係ない。

命はどれも同じ

ドラマは、現在だけを描いているからこその力が込められていた。

おそらく「命」はどれも同じだということを繰り返し訴えていた。

だからときに社会的弱者であろうと全力で救おうとするし失うと号泣するし、事件加害者と被害者もどちらも同時に救う、現場の医者は命にまったく差別をつけていなかった。

ところどころ、少し感動できそうなエピソードも入っていたし、ちょっと感動したのだが、たぶん、それはどうでもいいところだろう。

新宿にいるのならぞんぶんにいまを生きろ

私が受け取ったメッセージはひとつだけだ。

いまを生きろ。

それだけだ。

歌舞伎町までひと駅のところ住んでいる者として付け加えるのなら、新宿にいるのなら、ぞんぶんにいまを生きろ、である。

ジャズはまったく聴かないけどジャズ喫茶のDUGは1980年代に何回も何回も行ったし、先週、前を通ったときまだ残ってるんだと感心したばかりだ。

いいドラマだった。

でも、たぶん、記憶には残らない。

それでいいんである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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