Yahoo!ニュース

朝鮮学校無償化除外裁判で東京高裁判決の歯切れが悪い理由

明戸隆浩社会学者
朝鮮学校無償化除外裁判の二審判決が言い渡された東京高等裁判所(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

朝鮮学校無償化除外裁判、東京高裁での判決

 朝鮮学校は在日コリアンを対象とした民族教育を行うための学校であり、小学校から大学まで全国64カ所で展開されている日本最大規模の民族学校だ。そのうちの一つ、東京朝鮮中高級学校(東京都北区)の元生徒たち61人が国を訴えた裁判の二審判決が、10月30日午後、東京高等裁判所であった

 結果は国側の勝訴。争われたのは、2010年に導入された高校無償化・就学支援金制度が、朝鮮高校だけ不適用とされたことの是非である。高校無償化制度の導入により、国内の公立高校に通う生徒は授業料が無償になり、私立高校に通う生徒には公立高校の授業料分の支援金が出る。また韓国学校やインターナショナルスクールなどの外国人学校に通う生徒も、私立高校と同様、公立高校の授業料分の支援を受けることができる

 しかし同じ外国人学校の中でも、全国に10カ所ある朝鮮高校に通う生徒たちだけは、そうした支援をこの間ずっと受けられていない。これに対して2013年以降、大阪、愛知、広島、九州、東京の5カ所で裁判が起こされたが、一審では大阪のみ朝鮮学校側の勝訴、愛知・広島・東京では国側の勝訴となった。そして二審では大阪でも国側の逆転勝訴となり、二つ目の二審判決となる今回の東京でも、再び国側の勝訴に終わったのである。

今回の判決の「歯切れの悪さ」

 このように、これまでの結果だけを見るなら、朝鮮学校側が不利な状況にあることは否めない。そもそも国賠訴訟で国に勝つのはハードルが高いが、訴えるのが日本国籍をもたない子供たちが多く通う外国人学校であるとなれば、その困難はさらに高まる。

 しかも朝鮮学校は、日本と国交がなく、拉致問題や核ミサイル問題をめぐってこの間まともな外交交渉すらほとんどできていない北朝鮮と歴史的につながりが深い学校だ。イデオロギー的に明確にアンチの立場をとらない場合でも、そもそも無理筋な裁判ではないかと考える人は、この記事の読者にもかなりいるのではないかと思う。

 しかし、結果としては国側の勝訴となった今回の裁判だが、一審を含めたこの間の経緯全体を見ると、こうした印象は必ずしも正しくないことがわかってくる。実際伝え聞く今回の判決要旨には、「論理的には両立し得ないものであることは被控訴人[筆者注:国のこと]においてもこれを自認するところ」とか、「被控訴人の説明にはやや一貫性を欠く点はなくはないものの」とかいったような、言い訳とも皮肉ともつかない歯切れの悪い表現が多出する。

 また原告側の弁護士が判決後の報告集会で語ったところによると、裁判の過程では裁判長が国側に対してその手続き的な問題を繰り返し指摘する場面があったという。こうしたことからうかがえるのは、実際に「無理筋」だったのはむしろ国側で、それを何とかごまかしながら今回の判決が出されたという経緯だ。では、その経緯とはどのようなものだったのか。

朝鮮学校を除外した「2つの理由」の矛盾

 二審での争点の一つは、朝鮮学校を不適用とした2013年2月の国の決定の理由が、正当なものであったかどうかというものだった。その際に示された理由は2つ、1つめは朝鮮学校に無償化制度が適用される根拠となっていた規定(高等学校等就学支援金支給法施行規則第1条第1項第2号ハ、以下「規定ハ」)が削除されたからというもの(「理由1」)。そして2つめは、「規定ハ」に関わる規程の13条(以下「規程13条」)に照らして、朝鮮学校が適用対象として認められるに至らなかったから、というものだ(「理由2」)。

 しかし少し注意して読めば、以上2つの理由を並列したということ自体、論理的におかしな話だということがわかる。実際、そもそもの根拠である「規定ハ」が削除されたというならそれに関わる「規程13条」に適合するかどうかは問題にならないはずだし、逆に「規程13条」に適合しないと言いたいなら、その根拠である「規定ハ」がなくてはいけない。実は先に触れた今回の判決の「論理的には両立し得ないものであることは被控訴人においてもこれを自認するところ」というくだりはこの2つの理由の関係について述べた個所なのだが、要はこの矛盾は東京高裁の裁判官もよく認識していたことであるわけだ。

 しかしにもかかわらず今回、国が示した理由が不当だという判断は下されなかった。そこで採用された理屈は、朝鮮学校を不適用としたのは「理由2」、すなわち「規程13条」にかかわる理由によるものであり、「理由1」は実際には理由ではなかったというものだ。国の公的文書に正式に理由として(しかも第一番目に)書かれたものを「理由ではない」というのもなかなか強烈だが、実際ここではそのような判断がなされたのである。

朝鮮学校除外の政治的背景

 ではなぜ、このような矛盾のある決定がなされたのだろうか。政治的背景との関連で言うと、2013年2月というのは、前年12月に衆議院議員総選挙が行われて当時政権与党であった民主党が大敗し、安倍晋三率いる自民党が政権を奪還した直後である。高校無償化制度の担当である文部科学大臣には下村博文が就任したが、下村は就任直後の12月28日に、先に触れた「規定ハ」を削除する意向を示した。

 野党時代の自民党はたびたび朝鮮学校への無償化適用に反対する立場を明らかにしており、また下村自身も野党時代に朝鮮学校は無償化制度の対象にはすべきでないと述べている。つまり政治過程としては、このときの決定は、もともと朝鮮学校の適用除外を主張していた政党が政権に就いた結果生じたものだということになる。

 そうなると、そこで所管官庁である文部科学省にできることは、そうした政権の方針に沿って手続き的な辻褄を合わせることくらいである。しかし実際には、このとき文部科学省は最低限の辻褄を合わせることすらできず、両立しない「理由1」と「理由2」を並列するという、手続き的な正当性を欠いた判断を下すことになった。

 しかもそれに加えて、実は国は「理由2」についても手続き的な正当性を欠いた対応を行っている。「理由2」が参照する「規程13条」は「適正な学校運営」について定めたものだが、要は「理由2」とは、朝鮮学校において「適正な学校運営」がなされていない疑いがあるから、無償化は適用されないという主張である。一見こちらは手続き的にはとくに問題ないようにも見えるが、実は2013年2月当時、このために設けられた専門家による審査会の審査が継続中だった。にもかかわらず文部科学省はこの審査会を唐突に終了し、朝鮮学校不適用の決定に至ったのである。

 いずれにしても、自民党の政権復帰によって朝鮮学校の適用除外が「結論ありき」で進められたことは、政治過程的には明らかだった。そこで「論理的には両立し得ない」2つの理由が乱暴に並列された背景には、このような事情があったのである。

「消極的否定」のダブルスタンダード

 しかし、2013年当時政権交代によって明確に方針が変わったという、ある意味常識的には(おそらくイデオロギー的な違いを超えて)多くの人が同意するであろうこうした事実は、昨年9月に出された一審判決においては、実はまったく認められなかった。

 朝鮮学校側は一審判決で、先に見たような事情、すなわち2013年2月の決定が政治外交的な理由によって行われたという(それ自体としてはごく常識的な)主張を展開した。しかしそれに対して一審判決は、決定が政治外交的な理由によって行われたとは「言いがたい」という観点から、朝鮮学校側が示した主張をことごとく否定していったのである

 もちろん、「常識的」な事実からあえて距離をとり、「とは言いがたい」という「消極的否定」の観点から検討を行うことは、法的なロジックにかかわる人間にとっては必要なことでもある。しかしそれはあくまでもその立場で一貫している場合であって、都合の悪いときだけ「とは言いがたい」で逃げるのであれば、それはたんなるダブルスタンダードでしかない。

 実際同じ一審判決では、「朝鮮学校が朝鮮総連などと密接な関係にある」「朝鮮学校で適正な学校運営がなされていない疑いがある」といった印象論的な国の主張が、そのまま認められている。つまり一審判決は、一方で朝鮮学校側が主張する政治外交的理由については「とは言いがたい」で退けながら、もう一方で2013年当時の国側の手続きを無視した判断については、とくに留保もつけずに追認しているのだ。

 もし、状況的には明らかな政治外交的理由をあくまでも退けるというのであれば、それと同じ慎重さをもって、2013年当時の国の判断についても、当然その不当性を問わなければならないだろう。しかし一審では、そうしたダブルスタンダードがとくに省みられないまま、判決がなされたのである。

裁判所の「良心」の示し方

 今回の高裁判決の「歯切れの悪さ」の背後にあると思われるのは、これまでのこうした経緯である。裁判所にいる人たちというのは職業柄手続き的正当性に敏感なので、当初の国の決定が手続き的に正当でないことも、またそれを追認した一審判決が無理筋であるということも、身体的にわかっているのだろうと思う。もしかしたら言わなくてもいいことかもしれないのに、手続き的あるいは論理的な矛盾についてつい判決に書いてしまうのは、見ようによっては裁判所の「良心」が中途半端に現れたものともいえる。

 しかし、裁判ではやはり結論が重要である。もし日本の裁判所に真の「良心」があるのならば、それは中途半端な言い訳としてではなく、結論として示されるべきことだ。朝鮮学校側は上告する意向とのことなので、幸い、それが行われる機会はまだ残っている。裁判の場は最高裁判所に移ることになるが、この問題について、最高裁はどのような判断を下すのか。全国で行われている他の裁判も含め、日本の裁判所の「良心」の示し方に、引き続き社会の関心が向けられ続ける必要がある。

社会学者

1976年名古屋生まれ。大阪公立大学大学院経済学研究科准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門は社会学、社会思想、多文化社会論。近年の関心はヘイトスピーチやレイシズム、とりわけネットやAIとの関連。著書に『テクノロジーと差別』(共著、解放出版、2022年)、『レイシャル・プロファイリング』(共著、大月書店、2023年)など。訳書にエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(共訳、明石書店、2014年)、ダニエル・キーツ・シトロン『サイバーハラスメント』(監訳、明石書店、2020年)など。

明戸隆浩の最近の記事