教育と外交を切り離したはずの高校等就学支援金制度 理念ねじ曲げそれをなかったことにする国、かばう司法
■外国人学校も対象にした民主党政権
通称「高校無償化制度」は、2009年9月に成立した民主党政権が、衆院選に際して掲げたマニフェストのひとつとして打ち出したもので、当時の正式名称は「公立高等学校の授業料無償化・高等学校等就学支援金制度」と言う。家庭の教育費の負担を軽減して教育の機会均等をはかることを目的に、公立高校の生徒からは授業料を取らず、私立高校および各種学校の資格を持つ外国人学校・インターナショナルスクールに通う生徒には、学校を通じて公立高の授業料相当分の就学支援金を支給する、という制度だ。
この制度がある意味民主党政権らしく、画期的だったのは、学校教育法第一条で定める「一条校」だけでなく、もっとも低い「各種学校」の法的カテゴリーにある高校相当の外国人学校に通う生徒まで、国からの経済的支援の対象にしたことだった。ここには朝鮮学校の高級部も含まれる。
それまでの自民党政権が戦後一貫して朝鮮学校については政治的外交的な問題とみなして教育問題として扱わず、可能な限り排除するというスタンスを「一条校」の壁によって合理化してきたことを考えると、高校等就学支援金制度は、戦後初めて朝鮮学校を政治的外交的問題ではなく教育問題として扱おうとしたという点で、画期的だったとも言えるのだ。
2010年4月にスタートした同制度では、朝鮮学校も他の各種学校カテゴリーの外国人学校同様、外形的に判断され対象になる見込みだった。その前提ですでに予算も組まれていた。個人的には、同制度の実現でブレーン的な役割を果たしたある政治家が、今から10年以上前のあるシンポジウムで朝鮮学校の処遇に関する筆者の質問に対し、もしタリバンの学校が日本にあっても原則としては公的支援すべきだ、と答えたことをよく覚えている。
また当時、初等中等教育局担当の審議官として法案作りに携わった前川喜平・前事務次官も「当初から朝鮮学校を対象にすることは大臣以下の共通認識だったので、各種学校のうちインターナショナルスクールなどの外国人学校も含めた制度設計をした」と振り返る(神奈川新聞9月13日付)。
■朝鮮学校「だけ」外したまま制度開始
だが、2010年3月の法案成立を前にして、当時の中井洽拉致担当相が北朝鮮との外交問題を理由に朝鮮学校を除外するよう文科相に要請したことをきっかけに、政府、与野党内外で「慎重論」や「反対論」が表面化しはじめ、4月の制度開始において、各種学校カテゴリーの外国人学校のなかで朝鮮学校のみが法・制度的な根拠もなく適用留保とされた。
その後、専門家会議が発足し、個々の教育内容は基準とせず、外交上の配慮ではなく教育上の観点から客観的に判断すべきとの適用基準が示され、朝鮮学校の審査が始まったが、11月、当時の菅直人首相が北朝鮮による韓国への砲撃事件を理由に審査の中止を指示した。翌2011年8月に手続きは再開されたが、審査はずるずると引き延ばされたまま、2012年12月に民主党政権が終わりを迎えた。
3年ぶりに返り咲いた自民党政権は2013年2月、待ってましたと言わんばかりに省令改定によって朝鮮学校を念頭に設けられていた根拠規定そのものを削除したうえで、朝鮮学校に不指定処分を下した。ルールにもとづいて受理した適用申請について、まだ審査中であったにもかかわらず後出しじゃんけんでルールを変更して却下したのだ。
大阪、愛知、広島、九州、東京の各朝鮮高級学校および運営する学校法人、元生徒らが国を相手取り訴訟を起こしたのは、そもそも教育の機会均等を目的に、外形的に判断することになっている同制度において違法なのは国の方だ、という確信があったからだ。
■政治判断を否定する国を認めた東京地裁
東京朝鮮高級学校の元生徒62人が原告となった訴訟で13日、東京地裁は国側の主張を全面的に認め、原告らの訴えを棄却する判決を下した。同じく原告が敗訴した7月19日の広島地裁、一方で原告が全面的に勝訴した同28日の大阪地裁に続き、どのような判断が下されるか注目を集めた判決だった。
ひとことで言うと争点は、2013年に当時の下村博文文科相が朝鮮学校を対象外とした不指定処分が、教育の機会均等を目的とし、政治的外交的問題を持ち込む余地のない高校等就学支援金制度に照らして違法であるかどうかだった。
下村文科相は「朝鮮学校は拉致問題の進展がないことなどから不指定の方向」と会見で述べるなど、その理由が政治的外交的判断であることを明言していた。それまでの経緯を見ても、不指定が政治的外交的理由であることは明らかだ。にもかかわらず裁判で国側は、おそらくその違法性を認識しているがゆえに不指定は政治的外交的理由ではないと詭弁を弄し、支援金が不正に流用される恐れがあるという確かな証拠もない偏見にもとづく疑惑を持ち出す戦術に出た。
今回の判決は、国側のこうした欺まん的な主張を全面的に受け入れ、文科相の不指定処分が政治的外交的理由であることを認めず、十分な理由の説明もなくその措置について「不合理とは言えない」と判断した。つまり、文科相の裁量をほぼ際限なく認めたものであって、そもそも立法の趣旨も法律の目的もあったものではない。
■法廷外では文科官僚も政治判断だと公言
これとは対照的に、原告勝訴とした大阪地裁判決は、「教育とは無関係な外交的、政治的判断があった」として、国側の対応を違法としている。司法が司法としての役割をまっとうした、妥当な判断だろう。
報道によれば、東京での国側勝訴を受けてある文科省幹部は「国連安全保障理事会が経済制裁を決議しているのに、日本政府が朝鮮学校に就学支援金を出すわけにはいかない。『教育の機会均等』とは別次元の話だ」と述べたという。またある憲法学者は「無償化を容認すれば、拉致も容認することになる。日本は北朝鮮を許さない国だということを国際的にも示すことができ、他国との関係にも影響するだろう」と歓迎した。
彼らが今回の判決内容を理解しているのかどうかは知る由もないが、その違法性を訴えている原告のみならず、法廷の外では不指定が「政治的外交的理由」であることは誰の目にも自明であり常識であり共通認識なのだ。判決は、とんだ茶番だと言わざるをえない。
しかし、憲法学者も憲法学者だが、子どもの教育を担当する省庁が、いつから嬉々として子どもの教育を差し出して外交まで担うようになったのか。もし外交と子どもの教育がトレードオフになるような事態が生じたら、ここにいる子どもの教育を守るのが文科官僚としての本分ではないだろうか。そして、高校等就学支援金制度はそのようなものとして始まったはずだ。
■事実を否定したうえ「疑惑」で責任転嫁
民主党政権が掲げたはずの、政治や外交から自由な教育の機会均等という美しい理想はいとも簡単にねじ曲げられ、無責任に投げ出されて、ここまできた。つまり、民主党政権の誰も、文科官僚の誰も、美しい理想のもとで作った制度をその理念のままきちんと運用することはできなかったのだ。今となっては、その覚悟があったのかどうかも疑わしい。制度を引き継いだ自民党政権にはもとよりその気はなかったが、今回、司法もそこに合流したことになる。
結局、戦後一貫して政治的外交的な問題として扱われてきた朝鮮学校の処遇は、今も政治的外交的な問題のままなのだ。にもかかわらず国側は今回、全国5か所で提起された一連の訴訟で誰が見ても明らかなその事実を否定し、それどころか責任を原告側の疑惑に転嫁している。そして広島地裁、東京地裁は国側のそのような詐術をまるでかばうかのような判決を出した。制度の理念を信じて裏切られ、だまされたのは原告の側であるにもかかわらず、だ。
今後、判決は愛知、福岡と続く。おそらくいずれの訴訟も最高裁まで行くだろう。この社会にとって重要な試金石となる裁判。注視してほしい。